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.国際  投稿日:2019/10/27

まさかの北アイルランド切り捨て ブレグジットという迷宮 その1


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・10月17日、英国が離脱する問題で合意に達したと速報が流れた。

・北アイルランド、EUの関税同盟のルールに従うことに。

・英国首相、EU離脱の延期要請の簡書に署名せず。

 

(そう来たか……)

英国とEUがブレグジット=英国が離脱する問題で合意に達した、というロイターの速報に接したのは、10月17日朝のことであった。

私が前述のように思わず呆れ声を出しそうになったのは、昼近くになって、具体的な合意内容が伝えられてきた時のことである。最大の懸案事項であった、アイルランド共和国と英領北アイルランドとの国境問題について、ジョンソン首相は、「北アイルランドは当面EUの関税同盟(統一市場)のルールに従い、アイルランド共和国との間で厳格な国境管理は行わない。この制度は4年後に見直す」という妥協案をEU側に示したのだ。

一方で、もうひとつの大きな懸案事項であった単一市場の問題については、「まずは〈第三国〉となり、あらためて貿易協定の締結を目指す

とした。メイ前首相が、なんとか単一市場にだけは留まりたい、としていたのに対し、国家の主権を回復するのと引き替えなら、単一市場から抜けても構わない、と開き直ったようなものである。

これまでの「決められない政治」に苛立ちを募らせていた英国の有権者の間から、この「英断」を賞賛する声が上がったことは事実で,市場では早々に、ブレグジットの先行きについての不透明感がひとます払拭されたと受け取られたようで、ポンドやユーロが買われ、ドルが下落したそうだ。

わが国でも、初の自国開催となったワールドカップで、日本代表が見せた快進撃に触発されたラグビー・ブームのせいか、「まさかの逆転トライ」などと褒めそやす人までいた。冗談ではない。

これはラグビーにたとえるならコラプシング(故意にスクラムを崩す行為)みたいなものだ。危険きわまりない反則として、相手にペナルティーキックが与えられる。

実際、この合意に最初に異を唱えたのが、これまで保守党内閣とスクラムを組んでいた(閣外協力していた)北アイルランドの民主統一党で、

「アイルランド島とブリテン島とを隔てている海峡に,新たな国境線を設けるに等しい」として、議会での採決では反対票を投じることを早々に表明した。

最大野党である労働党も、英国人労働者の雇用を守るという観点からは、メイ前首相が提示した離脱案よりもむしろ後退していると批判し、やはり反対票を投じると宣言した。

実際、米国の有名な投資会社ゴールドマン・サックス『フィナンシャル・タイムズ』など英国の経済紙は、英国経済の先行きについて悲観的な見通しを開陳している。

前にも述べた通り、現在の英国下院において保守党は与党ながら過半数を割り込んでおり、法案を通過させるには、20票ほどの賛成票の上積みが必要であった。

ジョンソン首相としては、ここで民主統一党(10議席)を切り捨ても、労働党内にも「隠れ離脱支持派」がおり、無所属議員の中には、やはり「決められない政治」に辟易して、ともかくも合意なき離脱が避けられたのだから……と考える者が一人や二人ではないはずなので、僅差でも可決の持ち込める、と踏んだらしい。

労働党のコービン党首も、「(新たな離脱案は)否決されるだろうが、かなりの僅差になるだろう」と予測を語っていた。私など、「五分五分よりもやや高い確率で、離脱撤回・ジョンソン辞任となるのではないか」という予測を開陳していたので、正直ハラハラしながら続報を待ったものである。

そして10月19日、土曜日に議会が招集された。土曜日の招集とは、アルゼンチンとの間でフォークランド紛争が勃発した1982年以来37年ぶりで、日程的にも異例だが、ジョンソン首相としては、どうしてもこの日までに新たな離脱案を批准させなければならなかったのだ。

しかし、待っていたのは野党のペナルティーキックであった。すでに日本でも大きく報じられた通り、関連法案を先に整備するという野党の動議が、賛成322・反対306という僅差ながら可決されたのである。

すでに9月に可決された法案により、19日までに離脱案が議会で承認されない場合は、首相はEUに対して離脱の延期を求める義務を負う、とされていた。これが、土曜日にもわざわざ議会が招集された理由であったことは言うまでもない。

野党、とりわけ労働党としては、(否決して政権の求心力を一挙に失わせることができれば理想的だが、票読みは微妙なところだ)という読みがあったものと、英国の政治ジャーナリストたちは見ている。当然ながら

「これでは単なる審議妨害ではないか」という批判も巻き起こった。

▲画像 ボリス・ジョンソン首相 出典:flickr by EU2017EE Estonian President

しかしながら、9月段階で、強権を発動して議会を休会させ、ブレグジットを強引に進めようとしたのは首相の方である。これはただちに法廷闘争に持ち込まれ、「議会制民主主義の原則に反する」との判決が下された。日本のマスコミでは「違憲判決」と書かれたりしたが、英国には成文憲法はなく、判例の蓄積がそのまま法律として機能するシステムだ。

こうして再開された議会において、早速可決されたのが、前述の「10月19日までに議会の承認が得られなければ……」という法案であった。

ジョンソン首相は「法には従う」と繰り返し明言して、その言葉通り19日にはEU議長宛に離脱の延期を要請する書簡を送ったが、そこに首相の署名はなく、また、自分としては延期は望んでいない、との書簡も同時に送付されたという。

とどのつまり、今や英国議会においては、与野党ともに、「本音と建て前は違いますよ」ということを隠そうともしないまま、国運を左右する大問題についての「論争」を続けているのである、こんなことで、よいはずがないのだが。

その2に続く)

トップ画像:pixabay by stux


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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