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.国際  投稿日:2024/1/1

米中のネオ・デタントが始まる?(上)【2024年を占う!】国際


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・露は軍需インフレによる「見せかけの好況」。漁夫の利得を得ている中国。

中東でも中国一人勝ち状態。兵器市場で中国製がシェアを大いに伸ばす。

・米英は、ウクライナとパレスチナでの戦役を「勝者なき戦争」と見切り、中国と対話路線復活に傾斜。

 

読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。

……と言うそばから、世界にとって「不条理な事実」を報告しなければならないが、ウクライナとパレスチナ(ガザ地区)における戦役は、収束を見ないまま年を越してしまった。

順を追って見てゆくと、2023年6月上旬から開始された、ウクライナ軍による「反転攻勢」、すなわちロシアが占領あるいは実効支配している全ての地域から、その軍事的プレゼンスを一掃する、との戦略目標を掲げた大規模な軍事行動は、一時的にせよ挫折したようだ。

しかもそのあたりの評価をめぐって、ゼレンスキー大統領とザルジニー総司令官との間に感情的な行き違いが生じ、大統領の求心力が急激に低下しているとも伝えられる。

反転攻勢は昨年=2022年にも発動され、南部のヘルソン州と東部のドネツク州において、広範囲の領土を奪還した。その勢いに乗じての今次の作戦であったと思われるが、ロシア軍もさるもの、一部の占領地は放棄して戦線を整備し、かつ全長800㎞にも及ぶ防衛線を構築した。

塹壕をめぐらし、地雷や障害物で戦車の前進を阻むというものだが、とりわけ対戦車地雷については、軍事常識からいささか逸脱した物量(英戦略研究所の報告書に、本当にこう書かれている)と称されるほど、大量に埋設されたという。実際これによって、ドイツ製レオパルト2戦車や、米国製ブラッドリー歩兵戦闘車などが、相次いで破壊されている。

▲写真 ウクライナの首都キーウを狙ったロシアの弾道ミサイルの破片で被害を受けた地域。53人が死傷した(2023年12月13日 キーウ)出典:Photo by Vitalii Nosach/Global Images Ukraine via Getty Images

もともと日露戦争と二度にわたる世界大戦において、陣地にこもったロシア兵は滅法強い、という評価が確立していた。私は以前この話を紹介させていただいた際、

「20世紀の戦訓が現代戦にどこまで通用するかは微妙だが」

との見方を付け加えたのだが、蓋を開けてみれば、評価は揺るがず、むしろ新たに書き換えられたと言ってよい。

そればかりか、12月25日には、ドネツク州のマリンカという街が、ロシア軍の手に落ちた。ここは2014年に親ロシア派とウクライナ政府との紛争が勃発して以来、最前線の拠点として、9年間にわたりウクライナ軍が死守してきた。ロシア軍の士気が上がり、ウクライナ軍が大いなる精神的ダメージを受けたことは想像に難くない。

しかも1月のウクライナは、雪と氷雨、なによりもそれがもたらす泥濘によって、戦車などがきわめて動きにくくなる。地面が固まり始める2月頃まで、次なる大規模軍事作戦は発動しにくいだろう。そもそも、この戦役が始まったのは2022年2月24日であった。

とは言え、ロシア軍が苦境に立たされていることに変わりはない。

なにしろ、砲弾の不足が深刻になったことから、北朝鮮に供与を求め、見返りに食料や軍事技術の提供を約束したとされる。ところが、北朝鮮から供与された砲弾は信管がまともに作動しない(つまり100%近く不発になる)欠陥品ばかりで、見返りにロシアから送られた小麦粉は賞味期限切れであったという、笑うに笑えないオチがついた。

しかし、そのまた一方では、ロシア経済は思いのほか堅調で、そのことがプーチン大統領の再選(12月、立候補の意思を表明)を確実視させる要素になっているとも聞く。

もちろん、これにはカラクリがある。

ロシア軍は今次の戦役で、3000輛以上もの戦闘車両を喪失した。

これを補うべく、有名なウラル戦車工場(現在も国営企業ROSTEC社の傘下にある)では、民生用のトラックや農業機械、バスや電車まで手がけていたものを、戦車と自走砲の生産に集中することとし、今では昼夜兼行で操業している。

他の工場も状況は似たり寄ったりで、いずれ民間の流通などに支障が出るに違いないのだが、直近の現象面だけ見れば、製造業が大いに活気づき、GDPを押し上げているのだ。

ご案内の通り、昨年2月の侵攻開始を受けて、日本を含む西側諸国は一斉に対ロシア経済制裁に踏み切り、携帯電話会社からマクドナルドまで、多くの企業がロシアから撤退した。

にも関わらず、市民生活には心配されたほどの影響が及んでいないという。

理由は簡単で、中国という巨大なサプライヤーが存在するからだ。

さらに言えば、徴兵年齢の上限を引き上げて対象を拡大するなど、あの手この手で補充兵を集めているが、この結果、多数の労働者が生産点から引き抜かれ、その結果として失業率が下がってきていると聞く。

しかも、志願兵の給与が大幅に引き上げられたことから、中央アジアなどの恵まれない層が応募し、その給与は故郷に送金されて、家族の生活向上にも一役買っている。このことが、さらにGDPを押し上げていることは言うまでもない。

言うなれば、軍需インフレによる「見せかけの好況」なのであるが、将来の不安よりも、目先の収入が増えて欲しいものが手に入る方がありがたいと考えるロシアの一般市民を、誰が責められるだろうか。

▲写真 ロシアの首都モスクワの赤の広場にあるスパスキー・タワー横でコーヒーカップに乗る親子。(2023年12月2日 モスクワ)出典:Photo by Contributor/Getty Images

経済制裁に話を戻すと、西欧諸国は経済制裁のため、ロシアからのエネルギー(石油や天然ガス)輸入量を制限し、価格の上限を設けるなどしたが、これがいかなる結果を招いたかと言うと、たとえばドイツなど、ガスの備蓄が底を尽きかけており、対応を誤ればこの冬、凍死者が続出しかねない、とまで言われる有様だ。

ここでもまた漁夫の利を得ているのが中国で、西欧諸国に売れなくなったロシアのエネルギーを買いたたき、一方では前述の「見せかけの好況」を享受するロシアを、格好の市場としているのである。

江戸時代の、世に言う大岡裁きの中に「三方一両損」と呼ばれるものがある。

三両を拾って届けた男がいたが、落とし主は、もうあきらめたお金だから、拾った方のものに、などと言う。一方、拾った男は「親の遺言で、仕事の手間賃以外の金は受け取れない」と言い張る。

二人の正直と一本気に感じ入った南町奉行・大岡越前守は、懐から一両(現在の貨幣価値にして8~10万円らしい)取り出し、計四両として二人に二両ずつ与えた。

「二人とも、三両受け取れるべきところ、二両となった。奉行(自分のこと)も一両出した。それぞれ一両ずつ損をしたということで、了見(納得)せよ。これにて一件落着」

という話だが、この伝で行くと、ロシアと西欧諸国が一両ずつ損をして、中国だけが二両得していることになるではないか。

パレスチナ、と言うより中東においても、中国が一人勝ち状態だ。 

今次の戦役において損耗はなはだしかったロシア製(多くは旧ソ連製)兵器が、その市場価値を大きく下落させてしまったことは、すでにマスメディアでも報じられているが、加えて、その損耗を補填すべく、一度売った軍需品、たとえばエジプトに売った軍用ヘリコプターのエンジンなどを買い戻している。これでは、商取引の相手としての評価まで下がる。

もはや他言を要しないであろうが、中東や他の第三世界における兵器市場で、中国製はシェアを大いに伸ばしている。

兵器だけではない。

ガザ地区の戦役は、10月7日、イスラム武装組織ハマスによる、大規模な奇襲攻撃によって始まったのだが、どうしてこの奇襲が成功したのか、様々な理由が取り沙汰されている。

色々読んで見ると、やはり3年前から念入りに準備を進めてきたハマスに対し、イスラエルの側に油断があったと総括されるようだが、ひとつ面白いと思ったのは、ハマスは中国製の携帯電話で連絡を取りあっていたが、これがきわめて盗聴しにくいのだそうだ。

当方なにぶんITには強くないので、詳細までは正直よく分からないのだが、この情報がもし事実(あるいは、事実として広く喧伝される)ならば、通信機器の市場においても中国製が存在感を増すということが、十分考えられる。

そのような中国を、米国がどう見ているのかと言うと、実はこの秋頃から、軍高官を含む人的交流が復活して、これまでの「封じ込め路線」から、対話路線に舵を切りつつあるようにさえ見受けられる。

英国においても似たような動きが見られる。11月13日、スナク首相は国王陛下の外務・英連邦・開発大臣(外相の正式名称)に、キャメロン元首相を指名した。バイデン大統領は「中国びいき」などと称されて久しいが、キャメロン新外相も自他共に認める親中派である。

いずれにせよ米英は、ウクライナとパレスチナにおける戦役が、いずれも「勝者なき戦争」でしかないと見切った。この上、中国との軍事的対立が深刻化するのは御免だ、という考えに傾斜しているのだと、私の目には映る。

なぜそう考えるのか、そして、日本を含む東アジアにはいかなる影響があり得るか。

次回、もう少し深掘りしてみたい。

(下につづく)

トップ写真:建国74周年の国慶節(建国記念日)に先立つレセプションでの演説を終えて乾杯する習近平国家主席(2023年9月28日 北京)出典:Photo by Andy Wong-Pool/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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