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.社会  投稿日:2022/6/22

現地語風と自国語風(上)地名・人名・珍名について その3


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・日本人の姓名のバリエーションの多さは世界一、10万とも30万あるとも言われる。

・姓名を現地語風に読む場合と、日本語風に読む場合があるが、これは相互主義に基づくもの。

・これは北東アジアの漢字文化圏だけに見られる問題ではない。

 

キラキラネームとかいった話題に、さほど関心はないという方でも、日本人の姓名のバリエーションの多さは世界一だという話は、一度くらい聞いたことがおありではないだろうか。

たとえば、姓を名乗る習慣を最も古くから持っているのは中国人だが、かの国では、姓の種類は少数民族など非常に珍しいものまで含めても4000程度でしかないという。

李(リー)、王(ワン)、張(チェン)が三大姓と称され、中国公安局の統計によると、王姓は総人口の7.25%、三大姓の合計だと21%強。さらに劉、陳、周など上位100位までの姓の人で、実に総人口の87%を占めるという。

数字は2007年のものだが、キラキラネームよろしく変わった姓が流行るということは考えにくいので、今もそれほど変わっていないだろう。漢字の読み方については後述する。

ちなみに李という姓の人は韓国やヴェトナム、日本を含め、世界中で1億1000万人以上(日本の総人口にほぼ等しい!)いることから、世界で最もポピュラーな姓としてギネスブックにも載っている。

中国人は世界で最も古くから姓を名乗っていると述べたが、具体的には紀元前5000~6000年までさかのぼれるという。

姓そのものは、集落の名前やその集落の長の名前に由来するものが多いと考えられ、また、同姓であれば、遠い祖先が同じ集落で暮らしていたことになるので、近親結婚を忌避する考えから、同姓の男女の結婚は認められなかった。現在でもタブーが完全になくなったわけではないと聞く。

韓国でも同様の傾向が見られる。具体的には、姓のバリエーションが、よほど珍しいものも含めて300に満たないとされ、金(キム)、李(イ)、朴(パク)の上位3位までで総人口の45%ほどを占めている。

これに対して、日本人の姓の種類は10万とも30万とも言われる。おそろしく幅があるではないかと言われそうだが、実はこれこそ日本人の姓の特色なのだ。

今世紀の初め頃、大学文学部の教授から聞かされたのだが、同じ「浜崎あゆみ」さんでも、姓の読み方は「ハマサキ」だったり「ハマザキ」だったりする。これは同姓同名と見なしてよいか、やはり別々の姓名なのか、国語学的にも難題とされているのだとか。引き合いに出す例が少し古くないか、などと言ってはいけない。当時は国民的歌手だったのだ笑。

ワタナベという姓など、渡辺、渡邊、渡邉などの表記があるし、渡部だとワタベかワタナベか、字面を見ただけでは分からない。

サワダという姓も、澤田しくは沢田と表記されるが、これについては、戦前までは前者が本家筋、後者が分家筋だと判断できた、と聞かされたこともある。

結局、こうした姓の「表記揺れ」があるので、姓名のバリエーションが世界一、などと言われるようになったのだろうが、本当は上には上があるもので、世界中から移民が集まっている米国は、住民登録されている姓の種類が150万に達すると聞く。

話を日本に戻して、佐藤、鈴木という姓が多いことはよく知られているが、これは、それぞれ由来がある。

佐藤というのは、字面から分かるように藤原氏にルーツを持ち、後に台頭する武士階級の間でもポピュラーとなった。源義経に最期まで従った佐藤兄弟などが有名だ。

時代が下って戦国時代が終わり、徳川幕藩体制が確立すると、日本人の大部分が今で言う専業農家となったわけだが、関東や東北の農民の間では、

「うちも昔は立派な武士だった」

という家系伝説を好んで語る人が多くなった。

一方の鈴木は、熊野神社の氏子が伝統的に「鈴木氏(すずきうじ)」と呼ばれたことに由来する。そして、熊野信仰が全国に広まって行くにつれ、鈴木氏の数も増えていった。

かくして1875(明治8)年に、天皇家を除く全国民が「氏」を名乗ることが義務づけられた(同年2月13日付・太政官布告)際、多くの人が鈴木姓を名乗ることとなったのである。

またしても余談にわたるが、翌1876年の太政官指令では原則として「夫婦別氏」とされたものが、1898(明治31)年に制定された旧民法で、はじめて夫婦同氏となった。

もともと、氏というのは男系祖先を同じくする血縁集団の意味で、姓とはいささか異なる概念なのだが、現在では「氏名」と「姓名」は同じ意味ととらえて差し支えないし、詳述する紙数もないので、この問題は棚上げにして、以下「」「姓名」で統一させていただく。

ともあれ前述のように、皆が姓を名乗ることになった際、佐藤と鈴木が沸いて出た、もとい、急に増えたのである。これはあながち冗談ごとではない。時代劇を見れば、昔の武士に鈴木姓がほとんどいないことが分かるであろう。佐藤の方は、前述のように源氏の名門だから、割と見かけるが。さらに言えば、どちらも沖縄ではごく珍しい姓とされている。

私の林という姓も、どちらかと言えばありふれているが、中国大陸、朝鮮半島、日本列島にまたがってポピュラーな姓というのは他にまずないから、貴重な存在だと言えるかも知れない。本人は家柄だの血筋だのを云々する趣味はないが。

ただ、漢字の読み方はそれぞれ違う。中国大陸ではリン、朝鮮半島ではイムと読まれる。

時折、朝鮮半島の人名についてはキム・ジョンウン(金正恩)とかユン・ソギョル(尹錫悦)のように現地の発音に即して読み書きするのに、どうして中国の人名は「しゅうきんぺい」と日本語風に読むのか、といった疑問を呈する人がいる。

たしかに習近平は英語メディアではXi Jinpingと書かれるので、おそらく近似的な発音はシー・ジンピン(もしくはチンピン)なのだろう。

これはどういうことかと言うと、相互主義という考え方に基づくものだ。

たとえば私が中国のメディアに取り上げられたような場合、リンさんと紹介される。一方、韓国のメディアではハヤシさんとされてイムさんとは呼ばれない。

そうしたわけで、日本のメディアでは朝鮮半島の人たちの姓名は現地風に、中国大陸の人たちの姓名は日本風に発音しているというわけだ。NHKのハンドブックなどにも、中国の地名。人名は「原則として(中略)日本で通用する漢字で書き、日本語読みとする」と明記されている。

とは言え、上海、北京、香港などのように、現地音読みが定着している場合は問題なしとされている。中国のメディアでも、さすがに東京をトンチンとは呼ばないようなので、これも相互主義なのだろうか。

以前私は、和製英語をただして行こうという発想は良いが、なにをもって正しい英語と定義するかは難しい議論になるのではないか、と述べたことがある。

中国語にせよ、話を漢字の読み方に限っても漢音と呉音があり、先ほど「現地語読みが定着している場合は」などと述べたが、たとえば北京の人はペキンではなくベイチンと発音するというように、所詮は「現地語風」にとどまるのではないか。

中国人とちゃんとコミュニケーションをとれるようになりたいと思うのなら、中国語を一から学ぶのが実は一番の早道であると、私は思う。

さらに言えば、これは北東アジアの漢字文化圏だけに見られる問題ではない。

次回は、その話を。

トップ写真:はんこショップにならぶ三文判(2020年10月21日、東京) 出典:Photo by Carl Court/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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