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.国際  投稿日:2020/4/3

聞いて呆れる「危機に立ち向かえ」  ウイルスより人間が怖い 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・「自粛を呼びかける前に、どうして補償の話をしないのか」。

・現場の献身と国民の従順さで破滅を免れるのがわが国危機の常。

・危機的状況だからこそ大衆的エンターテインメントの灯を絶やすな。

新元号が決定した際、額を掲げて発表した菅官房長官は「令和おじさん」と呼ばれて好感度が上がったと聞く。それに引き換え、小池都知事は「オーバーシュートおばさん」などと呼ばれて非難囂々、擁護する声はほとんど聞かれない。

3月25日、都内で多数の感染者が確認されたことを受け、知事が「オーバーシュート(爆発的な感染拡大)」と書いたフリップを掲げ、その危険性を訴えたことに由来する呼び方だが、同時に

「ロックダウン(首都封鎖)の危険性もある」

として、不要不急の外出を自粛するよう呼びかけた。

横文字を使って危機感を煽るのは、いかがなものか……という話ではなくて、前回も述べたことだが、つい数日前まで、東京オリンピック・パラリンピックについて、

「中止も延期もない」

と根拠も示さず強気な発言をしておきながら、延期と決まったとたんに東京を封鎖すると言い出したのだから、国民的ヒンシュクを買ったのも当然の成り行きというものだ。

報道やネットの各種記事を見ると、一方では「なんでも自粛」に異を唱える人がいるかと思えば、災害の時など決まって現れるのだが、自粛に従わない者は非国民だと言わんばかりの「不謹慎狩り」の風潮もすでにみられる。

前者の例をひとつ挙げると、聖火ランナーに選ばれていた、元「なでしこジャパン」の川澄奈穂美選手が、辞退を表明した。その途端に、

「聖火ランナーが誰と濃厚接触するのか。単にアスリートの<自粛アピール>で、いやな感じ。二度と聖火ランナーに選ぶな」

などと発信した人がいた。彼女は今も米国の女子サッカー・リーグで現役を続け、かの国で暮らしている。このため、移動リスクを考慮して辞退したと明言し、発表のタイミングについても、

「当日になって突然<川澄が走らない>ということになって皆をがっかりさせないよう、上の人と相談して決めた」

と説明している。

▲画像 川澄奈穂美が「聖火ランナー辞退」を表明したことに

様々な意見があった。

出典:川澄奈穂美選手のインスタグラムより

逆のケースでは、前述の小池都知事の自粛要請の後、タレントのせんだみつおが、

「体調が悪ければ自粛するけど、そうでなければ絶対(自粛など)しない。コロナをなめているわけじゃなくて(中略)せめて気持ちだけは……。そういう年代が我々の年代」

などと発言して炎上した。後日、謝罪している。

▲画像 せんだみつおのオフィシャルブログ サイト

出典: せんだみつおオフィシャルブログ「ナハ!ナハ!物語」

「出歩いたっていいじゃないか、人間だもの  みつお」

という色紙でも掲げてギャグにしておけば……というのは、今考えついた冗談だが(これまで炎上するようでは、本当に世も末だ)、家に閉じ込められては気分まで落ち込み、足腰も弱るし、かえって健康に悪いのではないか、というのが発言の趣旨だったわけだから、個人の意見として「あり」だったと私は思う。

さらに言えば、自粛するかしないか、それぞれの立場から自分の意見を言える人と、国民には花見まで自粛するよう呼び掛けておきながら、自分は芸能人を集めての「私的桜を見る会」を催していたという首相夫人と、人間としてどちらがまっとうか、これは読者それぞれの判断にゆだねたい。なぜならば、聖火リレーは中止となり、一方では渋谷駅前のスクランブル交差点からも人影が消えた、という今となっては「川澄・せんだ発言」の話を蒸し返してもはじまるまいと思えるからだ。

それよりなにより、くだんの「オーバーシュートおばさん」に対する批判の中で、まことに正鵠を射ている、と思えたのは、

「自粛を呼びかける前に、どうして補償の話をしないのか」

という意見である。乙武洋匡、東国原英夫の両氏をはじめ、幾人もの人が発信した。

諸外国は、すでにこの問題に敏感に反応している。

今や感染者数が10万人を超え、中国以上となってしまった米国(3月29日現在)では、およそ220兆円(2兆ドル)の経済対策を打ち出した。個人に最大1200ドルの現金給付を行う他、航空業界や飲食業界への補償に充てるという。

ドイツも、およそ90兆円(7500億ユーロ)の対策を、すでに取りまとめている。対策の目玉は、従業員10人以下の事業者に対し、3カ月で最大およそ180万円(1万5000ユーロ)の支援を行うことだ。財源は赤字国債の発行でまかなわれる。

もともとドイツという国は、第一次世界大戦後のハイパー・インフレーションの経験から、財政規律は特に厳格だが、今次は非常事態ということで基本方針まで転換したのだ。

今次も「震源地」となったのは中国だが、こちらはすでに

「新たな感染者の増加は見られない。事態は収束した」

と公式発表している。その真偽については未だ確定的なことは言えないが、主眼を経済対策にシフトしたことは事実で、年金や失業保険などの負担を軽減することになった。

額にしておよそ7兆9000億円(5100億人民元)だが、失業保険の受給資格を満たしていない人に対しても、最大6か月間の給付が認められるそうなので、総額はもっとずっと膨らむことになろう。

英国でも、外出が事実上禁止され、食料品や医薬品を扱う商店以外は休業を強いられているのだが、政府はこうした事業主に対して、およそ43兆円(3300億ポンド)の「つなぎ融資」をすると発表した他、およそ33万円(2500ポンド)を上限に、従業員の給与の80パーセントを肩代わりすることも決めている。

これに引き換えわが国では、通常の予算の成立が優先され、新型コロナ対策については、3月も終わろうという時期になって、ようやく

「リーマン・ショック時を上回る緊急経済対策を取りまとめるよう指示した」

と発表したにとどまっている(28日。『日本経済新聞』などによる)。リーマン・ショック当時の対策は、額にして56兆8000億円ほど。今次はそれを上回り「名目GDPの1パーセントに達する」とも述べているので(同前)、60兆円程度のことを考えているのだろうか。

ドイツよりかなり少なく、物価水準を加味して考えたならば、中国と五十歩百歩といったところだ。しかも減税は今のところ考えていないそうである。

「日本の新型コロナ対策は、諸国に比べて甘い」

というのも、最近ネットではよく見かける意見だが、これは諸国の経済対策との比較についての話ではなく、早く緊急事態宣言を出せ、と言わんばかりなのだ。

オーバーシュートと言われながら、日本での感染者数が欧米よりはかなり少ないのは、医療現場の奮闘と、皆が検査や「自粛」に協力的であること、衛生に対する意識の高さ、それに、握手してハグしてキスして、という文化がないので、同様に「濃厚接触」と言っても程度問題だ、という側面がある。

つまり、こういうことではないか。

権限と責任を同時に与えられている「お偉方」には当事者能力が欠如しているのに、現場の献身と、国民の従順さ、規律正しさのおかげで、破滅を免れるばかりか、やがて復元力が発揮される。

わが国が直面する「危機」は、いつもこのようだ。

 

【追記】

この原稿の本文を書き終えたのと入れ違いのように、志村けん氏の訃報が届いた。よく知られる通り、新型コロナウイルスに感染して肺炎を発症し、闘病中であったが、ついに還らぬ人となってしまった。享年70。ご冥福をお祈りいたします。

同時に、安倍総理はじめ政府関係者に、再考を促したいことがある。

減税と同様、今次の事態のおかげで大きな損失を被っている芸能・イベント関係の補償に関して「税金の投入は難しい」としている点だ。

これについては、芸能界だけが大変なのではないし、大儲けしている芸能人が大勢いる、という声もあるようだが、それは少し違う。ライブや舞台、それにTV番組の制作には、薄給に堪えて頑張っているスタッフも大勢関わっているし、生活の危機に直面している芸能人も大勢いるのだ。

それよりなにより、このような危機的状況であるからこそ、国民に元気を与える、大衆的エンターテインメントの灯を絶やしてはならないと思う。

半世紀近くにわたって日本のお笑いをけん引してきた人の死は、この上もなく痛ましい。だからこそ、彼の薫陶を受けた若手芸人を援助し、そのことを通じて「新型コロナに立ち向かう元気」を得ることこそ、一番の供養だと私は考えるが、どうだろうか。

 

▲トップ画像 記者会見する小池百合子・東京都知事。都内の新型コロナウイルス感染状況を「感染爆発重大局面」とした。(2020年3月25日 都庁)

出典: 東京都庁ホームページ

 

(このシリーズ全4回。

 

【訂正】

2020年4月10日、本記事追記中の一部を以下のように訂正した。

誤)減税と同様、今次の辞退のおかげで

正)減税と同様、今次の事態のおかげで

 


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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