真の脅威はインフォデミック(上) ウイルスより人間が怖い 1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・パンデミックの理由のひとつは「地球が狭くなったから」。
・パニックを避け、助長しないためには「基礎の基礎の知識」が重要。
・我々の生活に甚大な影響を及ぼすのは「インフォデミック」。
3月11日。本来ならば、東日本大震災の慰霊祭が行われるはずであったが、今年は中止となった。
すでに誰もが知る通り、新型コロナウイルスが蔓延しているので、政府がイベントの中止を呼びかけ、学校も臨時休校となっているためだ。
なにしろ、この日WHO(世界保健機構)はパンデミックを宣言した。あまり耳慣れない言葉だが、病気が世界的に大流行している状態を指す。今ではPandemicという英語として普通に通じるが、語源は「すべての人々」を意味するギリシャ語である。
他にエンデミック、エピデミックという言葉があるのだが、それぞれどのような意味なのか、ここで知っていただくことは、決して無駄ではないであろう。
エンデミックとは、特定の地域で特定の病気が1年中流行している状態で、かつては風土病と呼ばれることが多かったが、今やこの呼び方は死語に近くなっている。この問題は、少し後で見る。
エピデミックは、ある感染症が広まり、ピークを迎えた後、収束に向かう状態を指す。インフルエンザが典型だと言えば、大体のところはお分かりいただけるであろうか。
つまり、エピデミックが世界規模に拡大した状態がパンデミックなのだ。
次に、ウイルスとはなにかだが、実はこれ、生物なのかそうでないのかさえ、未だ専門家の間で見解が統一されていない。DNAなどの遺伝物質がタンパク質に包まれているだけで、生殖もしなければ、なんらかの養分を外部から採り入れることもない。生物の細胞に付着し、そのエネルギーを利用して遺伝情報をそっくりコピーするだけだ。
▲画像 ヒト免疫不全ウイルスの模式図 出典:Los Alamos National Laboratory
一方で、取りつかれた細胞はエネルギーを失って死滅してしまうので、これがつまり炎症などの病気の原因であるが、感染しても必ず発病するとは限らない。毒性の低いウイルスもあるし、抗体や健康状態には個人差があるからだ。
感染ルートは様々だが、今次の新型コロナウイルスをはじめ、咳やくしゃみで拡散する「飛沫感染」がもっともよく知られている。この場合、最初に感染するのは気管の上部で、他に、飛沫が付着したままの皮膚も危険だ。「うがい手洗い」がなぜ効果的なのか、これ以上多くを語るまでもないだろう。
報道によれば、外出から帰った際に、
「20秒以上かけて丹念に手を洗うことと、手を洗う前に顔を触らないこと」
さえ徹底すれば、感染リスクをかなり低減できるのだとか。
次にマスクだが、花粉用のマスクではウイルスは防げない。理由は簡単で、花粉とウイルスの大きさを比べたならば、バスケットボールとケシ粒ほども違うからだ。ただ、くしゃみや咳で飛沫を散らさないことは有効な対策なので、
「外出の際マスクをするのは、自分のためでなく他人のため」
なのだと考えるべきだろう。そのマスクが手に入らないのでは、いかんともしがたいが。
ところで、どうして今回パンデミックという事態にまで至ってしまったのか。
理由のひとつは「地球が狭くなったから」である。
先ほど、風土病という言葉が死語になりつつある、と述べたのも話がここにつながってくる。かつて西インド諸島の風土病であった梅毒が、アメリカ新大陸を発見したコロンブスの航海(1492年)の結果ヨーロッパに上陸し、その後、交易を通じてユーラシアおよびアフリカ大陸に広まっていった。そして1543年、ポルトガル船によって、九州の種子島に鉄砲と共にもたらされたが、これが日本初上陸だと考えられている。
つまり当時は、ヨーロッパに広まった疾病が日本に達するまでに半世紀の時間を要したわけだが、今は、東京ーロンドン間の直行便なら11時間。それほど移動手段が発達し、なおかつ、時期によっては成田空港だけで連日万単位の利用客があるわけだから、疾病が伝播する速度が別物になったのも無理はない。
もうひとつの理由は、蔓延しているのが「新型」コロナウイルスだからである。
▲画像 1964年のソ連の切手に描かれたドミトリー・イワノフスキー。 出典: Andrei Sdobnikov
ウイルスというのは「毒液」を意味するラテン語だが、1892年にドミトリー・イワノフスキーというロシアの医学者が、細菌ろ過機を通過し、光学顕微鏡では観察できない微小な病原体が存在することを報告したことで、その存在が明らかとなった。今では多数が知られているが、コロナというのも「王冠」を意味するラテン語(英語のクラウンの語源)で、その形から命名された。
▲画像 米CDCが作成したコロナウイルスのイメージ。外側の突起がクラウン(王冠)のようなのが特徴。 出典:CDC (Public domain)
そして、ウイルスというのは前述のように、遺伝物質がきわめて不安定であるため、容易に突然変異が起きる。今回もその例に漏れないわけだ。
私も前回の記事の中で、うっかりコロナウイルスとだけ書いてしまったが、これでは不正確だということになる。お詫びして訂正いたします。
ともあれ、今回の新型コロナウイルスの厄介な点は、発症する前に2次感染、3次感染が起きてしまうことで、感染ルートの特定が困難な上、最新の検査技術を用いてさえ、検出率も現状70%程度にとどまるという。逆に言えば、感染していても10人のうち3人は陰性と判断されてしまう可能性がある。実際に、3度目の検査で初めて感染が確認された例もあるそうだ。
こうして現状で、ワクチンが未だ開発されていないのでは、とりあえず多くの人が集まるイベントなどを避けるくらいしか拡散を防ぐ手立てがない。咳などの飛沫を浴びたり、密閉された空間で長時間一緒にいるといった「濃厚接触」さえなければ、感染リスクは実はそれほど高くない、というところまでは分かっている。
この問題に関心を持ち、報道などによく目を配っている読者は、何を今さら分かり切ったことを……といった感想を持たれたかも知れない。
批判は甘受するけれども、報道と並んでネット情報に目を通すと、事態がよく把握できないまま、パニックに巻き込まれているというより、わざわざ(自覚的かどうかはともかく)助長しているような人が数多く見受けられる。
そうならないためには、このように「基礎の基礎」から知識を仕込む習性をつけてゆくことである。
パンデミックについてはすでに述べたが、最近はインフォデミックという新奇な言葉も耳にするようになった。このようなパニックと並行して、世界規模で縷言が広まる状態を言うのだが、これまた、インターネットで世界中がつながっている現代社会ならではの現象だと言えるだろう。
そして、これは私見ではあるが、感染した場合を別として、我々の生活にもっとも甚大な影響を及ぼすのは、間違いなくこのインフォデミックだろう。
次回は、よく知られる実例を挙げつつ、この問題を考えたい。
トップ画像:新型コロナウイルス(Novel Coronavirus SARS-CoV-2)出典:flickr; NIAID
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。