中国漁船、死亡船員を水葬に
大塚智彦(フリージャーナリスト)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
【まとめ】
・中国漁船が航海中に死亡したインドネシア船員を海に〝投棄〟。
・過酷労働も判明。「土葬」が原則のイスラム教徒の反発も。
・インドネシア国内で中国に反発強まり、両国関係に影響か。
太平洋上で操業していた中国漁船に乗り込んでいたインドネシア人船員が1日18時間労働を強制されたほか、海水をろ過した水を飲まされ不衛生な食事をとらされた上、体調を崩して船上で死亡した場合、契約に反して遺体を海中に投棄する「水葬」にされていたことが明らかになり、インドネシア政府が中国に真相解明を求めるとともに、中国漁船の非人道的処遇が大きな問題となっている。
これは4月27日に韓国・釜山漁港に寄港した中国漁船3隻に契約船員として乗り組んでいた18人のインドネシア人が約1年2カ月にわたる長期航海中に密かに撮影した病気で死亡した仲間のインドネシア人船員の遺体を海中に投棄する様子が人権団体を通じて韓国の文化放送(MBC)で5月6日に放映されたことで中国漁船の非人道的処遇が明るみになった。
その後インターネット上の動画サイトなどに拡散した映像によると、死亡したインドネシア人の遺体が入っているとみられるオレンジ色の袋が甲板に置かれ、中国人船員とみられる男性が袋に液体を注ぎ、線香を手向けて頭を数回下げた後、仲間の半ズボン姿の中国人船員とともに袋が舷側から海中に投棄される様子が記録されている。
2019年に2月14日に釜山港を出港した中国船団3隻は共に太平洋のサモア諸島周辺海域で操業し4月27日に釜山に帰港していた。釜山でMBCや人権団体に対して残っていたインドネシア人船員が証言したところによると「中国漁船では1日18時間労働を強いられ、酷い時は30時間連続で働かされた」「食事は6時間ごとに10~15分で、この時だけ座ることが許された」「中国人は持ち込んだ瓶詰の真水を飲んでいたがインドネシア人は海水をろ過したものを飲料水としていたが、最近3カ月はろ過機が故障し、海水を飲まされた」「不衛生な食事、海水飲料、過剰労働で体調を壊す仲間が相次いだ」などと過酷な労働環境を告白している。
こうした酷い実態を暴露するきっかけとなった動画は今年3月30日、航海中に死亡したインドネシア人船員アリ氏(24)の「水葬」の様子を記録したもので、これ以前の2019年12月に死亡したインドネシア人船員アルファタ氏(19)とセプリ氏(24)も同じように遺体は海中投棄されたという。
インドネシア船員らは「契約書では航海中の死亡は最寄りの港に寄港して火葬して本国に戻し、家族には1000米ドル相当が支払われることになっており、遺体海中投棄には驚いた」としている。中国船長らは韓国港湾当局に対して「契約書では水葬もやむなしとなっており、アリ氏の場合は家族に事前に連絡して水葬の許可もとっている」としているが、韓国のインドネシア大使館やインドネシア外務省ではその事実を確認していない。
このほか4月27日に釜山に寄港した中国漁船から急病人として釜山の病院に急搬送されたインドネシア人のEP氏は同日病院で手当てのかいなく死亡、医師は「死因は肺炎とみられる」と診断した。
EP氏は釜山に向かう途中衛星経由のテレビ通話で漁船からスマトラ島の母親と会話しており、その際EP氏は「体調を崩している」と話し、母親によると顔が異常にはれていたという。その後「上陸後すぐにインドネシアに帰る」と伝えてきたが、その次に届いたのが死亡の連絡だったという。
スマトラの故郷で葬儀を終えたEP氏の母親は、遺体に複数の不審な傷があったことから船上で暴行を受けていた可能性もあるとして、インドネシア政府に対し「何が起きたのかを明らかにしてほしい」と要求する事態になっている。
インドネシアのルトノ・マルスディ外相は5月7日に在インドネシア中国大使を呼んで「インドネシア人船員に対する処遇に問題がなかったかどうか真相解明を求める」と強く要求した。
▲写真 インドネシアのルトノ・マルスディ外相(2020年3月17日)出典:インドネシア外務省facebook
インドネシアの人権団体などは「インドネシア人船員の1年2カ月の給与は1カ月約1000円という考えられない低賃金であり、労働問題というより人権侵害である」として、インドネシア人船員を中国漁船の会社に斡旋して派遣したインドネシアの会社にも「人身売買の疑いもある」として捜査するよう警察に訴えることも検討している。
この中国船団は表向きマグロ漁が目的だが、インドネシア人船員によると高級食材である「フカヒレ」を主な目的にしていたという。1年2カ月の間死者が出ても一切寄港せずに「水葬」してきた背景にはこうした違法操業の発覚を恐れたこともあるとみて現在韓国の海上法執行機関などが中国人船長、乗組員に対して詳しい事情聴取と捜査を実施しているという。
インドネシアの人権団体や弁護士などは、中国側が「新型コロナウイルスによる感染を防止するためにやむなく遺体を海中投棄した」という内容の弁明を始めているとの情報に接し、「コロナのせいにすればなんでも正当化できると思っている中国の説明を政府は鵜呑みにするべきではない」と強い姿勢を示しており、この問題がインドネシア・中国の2国間関係に発展する可能性も出ている。
中国漁船で航海中に3人が死亡して「水葬」とされ、さらに釜山の病院で1人の合計4人が死亡するという今回の事件はインドネシア社会にも大きな衝撃を与えている。
特に5月22日まで約1カ月の断食月で敬虔な祈りの時間を過ごしているイスラム教徒にとっては「死後24時間以内の土葬が原則」という葬儀規定に反することや、「水葬」の直前に遺体袋に中国人船員が注いだ液体がインドネシア人船員の証言では中国式の酒とみられていることからアルコールを禁忌とするイスラム教徒にとっては「死に際しての冒涜」の可能性も出ており、今後事実関係が明らかにされればイスラム教関係者からの強い反発も予想されている。
今回の新型コロナウイルスに関しては、感染拡大が一向に止まらないインドネシアでは5月12日に感染死者数がついに1000人を超え、東南アジアで最悪の状況となった。
インドネア政府が中国人観光客の受け入れ制限を早期に実施しなかったこともこうした感染拡大の一因と指摘する声もあり、インドネシア国内での中国への反発が今回の「水葬」事件でさらに高まることも予想されている。
トップ写真:中国の習近平国家主席(2020年3月26日 北京)出典:中国外交部ホームページ
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この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。