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.国際  投稿日:2020/6/5

米比地位協定「破棄」保留の今後


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・比が米とのVFA(訪問軍地位協定)破棄方針を保留。

・コロナ禍の中、南シナ海で権益拡大続ける中国の存在が背景に。

・米は歓迎も、中国に加え比の動向にも神経使う事態変わらず。

 

フィリピンのロクシン外相は2日、今年2月に一方的に破棄を表明して8月の失効が迫っていた「訪問軍地位協定(VFA)」の破棄方針を一旦停止する「保留方針」を明らかにし、米との安全保障関係を見直す可能性を示した。

この方針転換の背景にはやはり中国の存在がある。新型コロナウイルスの感染拡大阻止に東南アジア各国が集中する隙に乗じる形で、南シナ海の領有権に関する関係国の主張を無視して一方的に自国の権益拡大を図る中国に米国とともに対抗しようとするドゥテルテ大統領の思惑があるものとみられている。

今回フィリピンが方針を転換したことに関して、同じく南シナ海で中国の一方的措置に「航行の自由作戦」などで対抗を強めている米政府は「緊密な協力への期待」(在マニラ米大使館)と歓迎する意向を表明しており、今後南シナ海のパワーバランスにも少なからず影響を与えそうだ。

1998年に締結されたVFAは米軍がフィリピン国内で共同軍事演習を行う際の米軍兵士の地位などを規定した協定で、米軍がフィリピン国内で展開する際の法的根拠となっていた。

しかし2019年1月、ドゥテルテ大統領の側近の一人とされ、大統領が積極的に推進してきた超法規的殺人を含む強硬な麻薬犯罪関連対策を国家警察長官として推進してきたデラロサ上院議員の入国ビザを、米政府が拒否したことにドゥテルテ大統領が激怒、対抗措置として、VFA破棄を表明し、米側に通告していた。

フィリピン側の協定破棄の通告に対しトランプ米大統領は当時「気にしていない、そうしたいのであればそうすればいい。これで多くのお金を節約できるというのが私の考えだ」(2月12日)と冷静に受け止めたものの、エスパー米国防長官は「中国に国際的規範順守を米と同盟諸国が求める中、間違った方向への動きだ」とドゥテルテ大統領の方針を批判、南シナ海での中国の動きを牽制する各国の協調に支障が生じる可能性があるとの懸念を示していた。

▲写真 エスパー国防長官はフィリピンのVFA破棄方針に懸念を表明。写真は2019年8月28日。 出典:U.S. Secretary of Defense

南シナ海での中国の活動活発化

南シナ海では中国が一方的に自国の海洋権益が及ぶ範囲として「九段線」を設定しているが、フィリピン、ベトナム、マレーシアなど領有権を主張する各国はこの「九段線」を一切認めていない。2016年7月にはフィリピンからの提訴(2013年)を受けた国連海洋法条約に基づくオランダ・ハーグの仲裁裁判所が「中国が主張する九段線に法的根拠はない」との裁定を下したが、中国は完全無視の姿勢を貫いている。

▲写真 南シナ海で軍事訓練を行う中国海軍(2019年5月29日-6月3日) 出典:China Military

現在東南アジア各国政府が中国から世界に拡大したとされているコロナウイルスの感染拡大阻止の対応に集中せざるを得ない状況にあるが、中国はこうした事態をある意味で「利用する形」で4月から調査船「海洋地質8号」を南シナ海に派遣して南下させ、ベトナムやマレーシアの排他的経済水域(EEZ)内での違法な調査活動を続けた。

こうした活動に対し米海軍とオーストラリア海軍は複数の艦艇を同海域に派遣して中国を牽制した。

4月2日には南シナ海西沙諸島のウッディ島付近で操業中のベトナム漁船が中国海警局所属の船舶「4301」と衝突して沈没する事案も発生している。さらにフィリピンが実効支配している南沙諸島のセカンド・トーマス礁の周辺海域に中国海警局の船舶「5302」が接近して示威行動をとったことも明らかになっている。

一方で中国は人工島や実効支配する島などで海事調査拠点と称する軍事施設の建設や拡張整備を続けるなど、周辺国の神経を逆なでし続けている。(参考:410日「コロナ禍、中国南シナ海で攻勢」

こうした事態に米政府は中国に対して懸念と深い憂慮を示し、国際社会に対し中国包囲網構築を呼びかける事態になっている。コロナ禍の影響で6月開催から9月以降に開催が延期された「先進7カ国首脳会議(G7)」にトランプ大統領が5月30日、ロシア、オーストラリア、インド、韓国の首脳を招待したいと表明したが、その背景には中国包囲網に日本を含めたG7のメンバーに加えて、それら4カ国を取り込みたいとの大統領の強い意向があるといわれている。

 

■VFA破棄の回避は依然不透明

フィリピン政府は、今回のVFA破棄通告の見直しは即座に「破棄を完全に撤回」するものではなく、正確には「破棄通告の効力を6月1日から6カ月停止」するものだと説明している。つまり現状では、8月に失効するVFAの破棄通告の効力を半年延長して様子を見る、というもので将来に再度破棄通告を有効化してVFAを破棄するという選択の余地を残しているのだ。

こうした柔軟というかはっきりしない姿勢にはドゥテルテ大統領独特の「融通無碍さ」あるいは「変幻自在さ」が表れているとも言えるだろう。

米側もとりあえず8月に迫ったVFAの失効が当面回避されたことを歓迎してはいるものの、今後のドゥテルテ大統領の出方を注視する姿勢に基本的に変化はなく、米側にしてみれば対中国とともに対フィリピン外交でも「余計な神経戦」を続けざるを得ないことには変わりがなさそうだ。

トップ写真:会談するトランプ米大統領(左)とドゥテルテ比大統領(右)(2017年11月13日 マニラ)出典:White House


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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