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.社会  投稿日:2020/8/3

もともと怪しいオリンピズム(下)嗚呼、幻の東京五輪 その5


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・クーベルタン男爵は「ナチス礼賛者」であった。

・1940年の東京五輪開催は日独伊防共協定を見据えたヒトラーの後押し。

・クーベルタン男爵にはスポーツに対するエリート主義があった。

 

「近代オリンピックの父」ピエール・ド・クーベルタン男爵が、ヨーロッパでは評判が悪い、と述べた。

その最大の理由は、彼が「ナチス礼賛者」であったからである。

実は2年ほど前に、昭和の戦争について語ったシリーズの中で、この話に触れたことがあるのだが、当時は、まさか東京オリンピック・パラリンピックの開催が危ぶまれることになろうなどとは、想像もしていなかったので、少しだけ復習をさせていただく。

晩年のクーベルタンは「右派社会進化論」と称される思想の信奉者となっていたが、これは煎じ詰めて言うと、人間界にも優れた種と劣った種とが存在し、福祉などの社会資本の恩恵は、優れた種に集中しなければ社会の進歩がもたらされない、というものである。

ナチスの思想は、これをさらに純化させたもので、ゲルマン民族を「支配民族」と定義し、ユダヤ系やスラブ系などは「劣等人種」と決めつけられている。日本人はどうなとかと言えば、ヒトラーの『我が闘争』の中で、

「利用価値だけはある」

などと書かれていることをご存じか。

どこかの政党が、ダーウィンを引き合いにだして「変化するものだけが生き残る」と称して憲法改正への賛意を促す漫画を印刷して配布し、進化論を曲解している、と批判を浴びた。そもそも進化論は「発展途上」の学問であるし、進化が常に正解だと限らないことなど、最近よく売れた『ざんねんな生き物辞典』(高橋書店)にまで描かれているのだが、その話はさておき。

クーベルタンは1936年に開催されたベルリンオリンピックを、

ヒトラーの熱意とリーダーシップがもたらした、素晴らしい大会

などと絶賛し、

「この熱気と規律正しさは、後年の大会の規範となる」

とまで言った。

前にも少し触れたが、1940年のオリンピック開催地が東京に決まったのは、日独伊防共協定(1936年に締結。1940年に三国同盟へと発展)を見据えていたヒトラーの後押しがあったことに加え、そのヒトラーにシンパシーを抱いていたクーベルタンの意向も反映していた、と見る向きがある。

彼は第二次世界大戦が勃発する少し前、1937年9月に他界している(享年74)。

あえて「たら、れば」の話をするなら、もしも戦後まで生きながらえていたなら、まず間違いなくナチスのシンパとして糾弾されていただろう。

「近代オリンピックの父」の称号は、別人のものとなっていた可能性もあり、彼が考案した五輪のマークも別ものになったかも知れない。

これはあながち、空想だと決めつけられない。

サッカーに関心のある読者は、各国代表のユニフォームに、その国のサッカー連盟の紋章があしらわれていることをご存じだろう。日本代表の場合、八咫烏がボールに足をかけている図柄だ。鳥の絵だと思っていた、という向きは、もう一度よくご覧になられよ。三本足の鳥など実在しない。

しかしイタリア代表は、ユニフォームに国旗をあしらっている。

▲写真 イタリア代表(2017) 出典:Flickr; Nazionale Calcio

なぜなら戦前から戦時中にかけて、イタリアサッカー連盟はムッソリーニ率いるファシスト政権の有力な支持母体であった。北部の工業都市トリノのファシスト組織など、あのユベントスのサポーター集団が旗揚げした。そのような歴史を恥じて、連盟の紋章を封印したのである。

ヒトラーらがなした暴虐を思えば、クーベルタンにあまり同情の余地はないが、と言って、故人に対して一方的な非難もいかがなものかと思うので、ナチスによるユダヤ人虐殺などは、戦争が最終段階に入るまで明るみに出なかったということだけは、ここで指摘させていただく。

それ以上に、クーベルタンのとなえたオリンピズムの底流には、抜きがたいエリート主義が見られる、という批判があることを知っていただきたい。

たとえばアマチュアリズムだが、これはそもそも、

「スポーツは肉体労働の一形態ではない」

というエリート主義に根差している。

クーベルタン自身がそう言ったわけではないが、共和制に移行して久しいフランスにあって貴族を名乗り続けていたわけだし、前回述べたように、英国のパブリックスクールの教育に大いに感化されたのは事実だが、この学校自体が「良家の子弟」を対象としているのだ。

もともと王侯貴族の子弟は、家庭教師から勉強を教わっていたのだが、それでは社会的(パブリック)な視野が狭くなるから、ということで、こうした学校が作られたわけだ。そもそも公立(パブリック)の学校でもなければ庶民的(パブリック)な学校でもない。

そうした学校で、知識偏重ではなくスポーツや寮での団体生活を重視しているのは、

「社会をけん引するエリートは、肉体的にも頑健でなくてはならない」

という思想に基づくものである。ラグビーについても前回触れたが、サッカーがいち早くプロ化への道を歩んだのに対し、ラグビーは未だアマチュアリズムにこだわっている。これを反映して、英国では一般に、

サッカーは労働者階級の娯楽で、中流以上の英国人はラグビーかクリケットを楽しむ」 とされているほどだ。実際には例外も多いのだが。

そもそも近代オリンピックにおいて、クーベルタンが一押しの花形種目と位置づけたのは、フェンシングや射撃など、上流階級のたしなみではあるが、それゆえ競技人口の少ない種目から成る「近代五種」だったのである。

近年、ドーピングなどに象徴される勝利至上主義や、その根底にあ

「国威発揚」という思想に対し、

「クーベルタンが理想としたオリンピック精神に反する」

といった声がよく聞かれる。

傾聴すべき面はたしかにあると思うけれども、ひるがえって、エリート主義に支えられたアマチュアリズムがそこまで貴いのか、という側面からの考察も必要なのではないかと、私は考える。

スポーツと政治の話は、次回あらためて。

【訂正】2020年8月4日08:00

訂正前:「両家の子弟」

訂正後:「良家の子弟」

トップ写真:ピエール・ド・クーベルタン男爵 出典:米国議会図書館


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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