NY、失業者急増と治安悪化
柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)
【まとめ】
・NY、コロナで飲食業従事者が大量失業。
・銃犯罪が頻発。
・治安も徐々に悪化し始めている。
アメリカでは9月が年度の頭で日本の4月に相当する。
ニューヨークの公立校は、州知事の号令のもと、低い感染率(現在1%以下)を背景に、いつもの年より遅い9月10日からまずはオンラインで授業を開始、その後、希望する家庭の子供のみ、週1~2日程度、学校に通うことができる予定だ。
学校の再開は経済の再開とも密接に絡んでいて、それだけに、ニューヨーク州、ニューヨーク市とも、当初から慎重に事を進めてきた。ニューヨーク市内だけで122万人以上の児童生徒とそれに伴う親などが一斉に動き出す。感染拡大にふたたび繋がりかねない、という批判が強くある中での学校再開が物議を醸さないわけがない。だが、学校再開を経済の再生の嚆矢(こうし)としたい当局の思惑も理解できる。
小学生がいる我が家の一番の関心事はその学校再開だが、それ以上に、気になる話がある。
毎日報道される銃犯罪のニュースだ。
情報によれば、犯罪とはほぼ無縁だった我が家の周りでも事件が頻繁に起こっているらしい。
ニューヨーク市は先週末2日間だけで、32件の発砲事件があり、43人が負傷。昨年同時期の発砲事件は4件だったというから、いかに異様な状況であるか。トランプ大統領は事件の増加を止められないニューヨーク市長をツイッターで批判。市長が対応できないのならば「我々がやる」と連邦による介入すら匂わせている。
▲写真 筆者の携帯に次々と入ってくる銃撃事件の速報。この日は昼前〜夕方5時までの間に市内で重大銃撃事件のニュース4件。7月以降、毎日この状態 出典:筆者提供
昨日になって知ったことだが、実際おとといの夕方4時ころ、息子が通う学校の近くでティーンエージャーによる撃ち合いがあり、3人が負傷、一人が重体だという。
もはや夜中にさえ外出をしなければ良い、という考えも甘く思えてきた。
人々の暮らしが目に見えて変わってきている。
▲写真 人気の少ない夜の地下鉄の入り口 出典:筆者提供
我がアパートの隣に、ナンシーさんという、とにかくおしゃべり好きな一人暮らしのおばさんが住んでいる。南米移民で我が家の子供達をことのほか、かわいがってくれる。出掛けに捕まると世間話から5分は開放されないのだが、そのナンシーさんがコロナ禍が始まって以降、貴重な近所の情報源となっている。
ナンシーさんも私とほぼ時を同じくして仕事をなくし、当初は貯金で食いつないでいたものの、ここ2ヶ月は貯金も底をつき、週に数回、食料の配給所に通っているという話をしてくれた。
彼女によれば、配布する団体によってその内容も規模も違い、日によってそれらを渡り歩くのだという。
そのいくつかに行ってみて驚愕した。
比較的近くのラテン・コミュニティーの中心地、と言われる場所では、教会による食料の配布が行われていた。
だが、そこの場所は想像を超えていた。
教会を囲む歩道に延々と並ぶ数百人の人達。
食料配布は昼の12時から始まるという。
多くの人々品切れを恐れて、早朝から炎天下、列をなしていた。その長さ、およそ500メートル。皆、車輪のついた大きな買い物カートを押している。家族連れも多い。並んでいるのはほとんど中南米の人たちであった。
▲写真 ニューヨーク市が配っている無料の朝昼食2人分。ターキーハム・チーズサンド、ハムサンド、ジャムサンド、コーンフレーク、ひよこ豆の煮物、りんごスライス、生にんじんスナック、バナナ、コーヒー牛乳、低脂肪乳 出典:筆者提供
この問題を報じる「Eater」というサイトによれば、6月のニューヨーク州の失業率が15.7%だった時、ニューヨークで接客業に類する仕事に従事する人の失業率は60%であった。コロナ禍以前は20万人が従事していたとされ、その殆どが中南米の人たちだ。
ニューヨークのレストランでは表に出てこない皿洗いや汚れ仕事をする「バスボーイ」と呼ばれる彼ら下働きの人たちの働きなしには機能しない。
彼らは職を失っても、州政府や、連邦政府の失業保険の対象になることはほとんどない。
収入の道がほぼ絶たれ、選択肢がなく、その列に並ぶ。
▲写真 ニューヨーク市が配っている無料食料。左が朝食(コーンフレーク、牛乳、ジュース)右が昼食(りんごスライス、ジャムパン、付け合せ野菜)。内容は毎日変わるが3種類くらいの繰り返し 出典:筆者提供
市内で26000軒ものレストランが存在する(した)が、現在でも店内で飲食が禁じられている状況でとりあえず再開したレストランはおよそ9000軒。1/3ちょっとに過ぎない。ざっと考えても10万人以上の人々が今でも収入がないと考えられる。
食料配布の列に並ぶ人々は他の仕事を探そうにも、立場的に表立った仕事につけない人々がほとんどだ。
公的支援が受けられない彼らに自治体はいまだに手を差し伸べていない。かろうじて給食の配布が公的な援助と言えるが、金銭は受けることができず、住むところも失い、職を探す機会も失われていく。コロナ禍における家主による住人の追い出しを禁ずる行政命令も、正規な入居契約がなければ適用されない。
7月末で、連邦から支給されてた週600ドルの給付金は打ち切られ、失業保険に頼らざるを得ない人々の収入は半分以下になった。一時期持ち直した、と言われた失業率も、その後、ニューヨーク州全体では悪化している。運良く仕事に復帰できても、収入が戻るとは限らない。
マンハッタンからも人々のかつての生活が変わりつつある。
オフィスや仕事も一部しか再開せず、訪れる客も減ってあえて再開しないレストランも多い。
いまだに出勤できる従業員数の制限もあり、出勤する必要もなく、収入も減り、マンハッタンらしい生活も変わり、賃料が高い住居に見切りをつけ、あえてここにいる必要はない、とばかりに郊外に転出する人が増えた。
空き室は13000軒以上で、2006年に統計を取り始めて最大であるという。8月は9月から始まる新年度に備え、本来は人の出入りが多いシーズンで、賃料は10%以上下落しているというがどうなるだろう。
地下鉄の24時間営業もニューヨーク史上、初めて取りやめになった。深夜運行の車両がホームレスの人々の住居となってきたのを防ぐため、消毒を兼ねて、夜1時から朝5時までは駅が閉鎖されることになった。レストラン、バーの営業も夜11時までしか許可されないため、深夜のニューヨークは行くあてのない人々と、多くの無法者が跋扈する、恐ろしい場所になってしまった。
いままでは、深夜であっても、人々の目や、止まらない経済活動が安全を担保していたのだ。
夜は早く帰って家に引きこもれ。
ニューヨークで犯罪がとてつもなく多かった頃、合言葉のように言われていた言葉が頭に蘇る。
▲動画 「コロナがNY経済を直撃!食糧配給に長蛇の列」
トップ写真:無料食料配給所に並ぶ人々。皆大型のカートを持っている 出典:筆者提供
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この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー
1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。