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.国際  投稿日:2020/10/25

菅首相 東南アジア訪問光と影


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・菅首相の東南アジア訪問に安保上の戦略的背景あり。

・インドネシアは日米豪印の「インド太平洋」構想に消極姿勢。

・外相会談で米がインドネシアに構想への積極関与を要請か。

菅義偉首相は10月18日から21日まで就任後初の外遊としてベトナムとインドネシアを訪問した。

ベトナムは今年の東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国であり、インドネシアはASEANの主要国である。同時に両国は日本とは経済面で関係が深く、南シナ海での中国の活動活発化を受けて両国と日本との関係強化が安全保障面で重要視されているなどの共通点から実現した2国訪問といえるだろう。

ただ、安保の枠組みを巡っては特にインドネシアでは警戒感も強く、ベトナムとの違いや経済問題での歓迎ぶりとの温度差が浮き彫りになるなど必ずしも「諸手を挙げた評価」とはならず、光と影が交錯する結果となったといえるだろう。

ベトナムのグエン・スアン・フック首相との会談で菅首相はベトナム中部の水害被災地への支援を表明したほか、日本からの経済支援、投資促進など官民で12案件の覚書に調印した。

▲写真 文書署名・交換式に臨む菅首相とベトナムのフック首相(右端)(2020年10月19日) 出典:首相官邸ツイッター

インドネシアのジョコ・ウィドド大統領との間ではASEAN域内最悪となっている新型コロナウイルス対策への支援や人的交流の早期緩和に向けた交渉開始などで基本的に合意した。

こうした経済分野での支援に加えて菅首相が今回重視していたのが安全保障問題でベトナム、インドネシア両国と地域の安定と安全を目指した関係緊密化だった。

■  日米豪印の枠組みに不可欠な東南アジア

これは10月6日に東京で日、米、オーストラリア、インドの4カ国外相による会議で「一帯一路」や「真珠の首飾り」などの一方的な独自の権益拡張を進める中国の動きを念頭にして「自由で開かれたインド太平洋」構想を今後推進することで一致、今後定期的に「クワッド・日米豪印戦略対話会議」を開催するという新たな「枠組み」を確認したことが根底にある。

▲写真 日米豪印4カ国外相会合(2020年10月6日 東京) 出典:外務省ツイッター

この「日米豪印」4カ国は「インド太平洋地域」の要となる国であるが、太平洋とインド洋の間には東南アジアが横たわり、ASEAN抜きでは「インド太平洋」は一つの地域にはならないという現実がある。

こうした背景から南シナ海で、中国と領有権問題を抱えるベトナム。そして中国とは直接的な領土問題を抱えていないものの、南シナ海南端のインドネシア領ナツナ諸島北方海域の排他的経済水域(EEZ)に中国漁船、中国海警局公船が頻繁に侵入を繰り返すという問題を抱えるインドネシア。

▲画像 南シナ海におけるナツナ(Natuna)諸島の位置。IDはインドネシア、VNはベトナム、CNは中国。 出典:Hobe / Holger Behr

そしてなにより南シナ海からインド洋に抜ける海の要所であるマラッカ海峡を抱えるという地理的状況がインドネシアにはあるというように両国訪問には安保上の戦略的背景が存在した。

菅首相のベトナム訪問直前にはベトナム沖海域に中国海警局の公船が接近して調査活動をするなどベトナムを牽制する動きをみせていたことも南シナ海の権益問題で中国の「一歩も譲らない頑なな姿勢」の表れととらえられている。

■  中国「新たなNATOを構築」と反発

東京での日米豪印外相会合開催を受けて10月13日、中国の王毅外相は4カ国による「自由で開かれたインド太平洋構想」に対し「新たな北大西洋条約機構(NATO)を(インド太平洋地域に)構築しようとしている」と批判した。

▲写真 中国・王毅外相(2020年10月20日) 出典:中国外務省ホームページ

中国にしてみれば4カ国外相会合を受けて菅首相がベトナム、インドネシアを訪問し「インド太平洋構想」を持ちだして連携強化を求めたことで「NATO構築への懸念」をさらに深めたことは間違いないだろう。

こうした中国の批判を念頭に菅首相は21日、訪問先のジャカルタでの内外記者会見で「インド太平洋構想は特定の国を対象にしたものでもなく、インド太平洋版のNATOを作るつもりもない」との立場を明確にした。

その上で「南シナ海の緊張を高めるいかなる行為にも反対する」として直接の名指しを避けながらも中国に釘を刺した。

■  安保の枠組みに警戒感抱くインドネシア

今回の菅首相のベトナム、インドネシア訪問は外務省や同行した日本の大手メディアなどでは「大きな成果があり成功」との評価が高い。しかしそれはあくまで経済協力の分野でのことである。

特にASEAN域内でコロナ禍による最悪の感染者数、感染死者数を記録し続けているインドネシアには、コロナの影響が深刻な経済状況やそれに伴う各種の問題解決協力のため500億円の財政支援による円借款供与を表明した。

さらにジョコ・ウィドド大統領の重要政策の一つであるインフラ整備ではジャワ島北部鉄道高速化計画、首都ジャカルタの都市高速鉄道(MRT)延伸計画、西ジャワ州パティンバン港湾施設開発計画への協力などを確実に実行することなどでも合意した。

しかしその一方で「自由で開かれたインド太平洋構想」に関してはその掲げる理念にインドネシアも基本的理解は示したものの、ベトナムのように防衛装備品、防衛技術など軍事面での踏み込んだ合意はしなかったとされている。

これはインドネシア政府が伝統的に「超大国のパワーバランスで一方に与しない」という外交的立場をとっていることが関係しているとされる。

■  米哨戒機の基地使用、給油を拒否

10月20日、ロイター通信は米国が今年7月と8月にインドネシアに対して要請していた米軍P8哨戒機の空港施設利用、給油をジョコ・ウィドド大統領が拒否していたことを伝えた。

同哨戒機は南シナ海で中国軍の動きを警戒監視する任務についており、これまではマレーシア、シンガポールの基地を使用してきた経緯がある。

ロイター通信の報道ではインドネシアのルトノ・マルスディ外相による「インドネシアは一方の側に付きたくない」との発言や元駐米インドネシア大使の「インドネシアは騙されて反中キャンペーンに乗せられたくない」との発言も伝えた。

こうした発言、姿勢はつまり直接利害が関係してくる南シナ海問題では積極的関与を示しながらも、一方の側の軍による基地使用は拒否し、中国が「NATO構築化」と危惧する「インド太平洋構想」には消極的というか「あまり関わりたくない」という考え方がインドネシア政府の根底に根強くある結果といわれている。

■  米国務長官がインドネシア訪問へ

こうした中、ポンペオ米国務長官が25日から30日にインド、スリランカ、モルジブそしてインドネシアを訪問することをルトノ外相や在ジャカルタ米大使館が22日に明らかにした。

▲写真 ポンペオ米国務長官 出典:Secretary Pompeo twitter

インドネシア・米外相会談では当然のことながら南シナ海問題、さらにインドも今回の訪問国に含まれていることから「インド太平洋構想に関しても当然協議することになる」(米大使館)としており、南シナ海からインド洋、太平洋にかけての中国の動きを意識した外交問題が主要議題となる。

ポンペオ国務長官の訪問は11月3日の米大統領選の直前となるだけにインドネシアとの間ではこれまでの協力関係を再確認するとともに、改めて「インド太平洋構想」への積極的関与を米側から求められることになるとみられている。

菅首相のインドネシア訪問では経済支援でほぼ「満額回答」を得ながら、安保問題では明確な意思を明らかにしなかった「したたかな外交」のインドネシアが、ポンペオ国務長官との会談でどこまで具体的に踏み込むことになるのかが注目されている。

写真:インドネシアを訪問した菅首相とジョコ大統領(右から2番目)(2020年10月20日) 出典:首相官邸ツイッター




この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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