インドネシア、ウイグル問題で二重基準
大塚智彦(フリージャーナリスト)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
【まとめ】
・ウイグル問題でインドネシアのダブルスタンダードが露呈。
・経済支援、コロナワクチン・・・脱中国できないインドネシア。
・背景に大国間の戦略に巻き込まれることへの警戒感も。
中国政府による大規模で組織的な人権侵害が国際問題となっている新疆ウイグル自治区。その新疆ウイグル自治区などに主に居住するウイグル族に対するインドネシア政府の対応が波紋を広げている。
同じイスラム教徒の、ミャンマーの少数派ロヒンギャ族に対して、インドネシアは人権擁護の立場に基づく姿勢をとる。しかし、それとは異なり、ウイグル族には厳しい対応をとり、中国政府に忖度しているとしか思えない「ダブルスタンダード(二重基準)」が明らかになったからだ。
中国政府の弾圧を逃れてインドネシアに不法入国したウイグル族の多くはインドネシアのテロ組織「東部インドネシアのムジャヒディン(MIT)」に合流してテロ活動を行っていたとされる。新疆ウイグル自治区から中国南部で国境を越えてラオス、タイ、マレーシアを経由してきたのだという。
その多くはMITの活動拠点であるスラウェシ島中部スラウェシ州ポソの山間部などでの治安当局との銃撃戦などにより死亡した。しかし、2015年にウイグル族4人が不法入国とテロ関連犯罪容疑で逮捕され、禁固6年と罰金1億ルピア(約71万円)の実刑判決が確定、インドネシアの刑務所に服役した。
■ ウイグル族を密かに中国へ強制送還
ところがこのウイグル族服役囚が2020年9月に密かに中国に強制送還されていたことが分かった。米政府系放送局「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」が10月23日に報じた。
RFAによると、インドネシア入国管理局担当者が刑務所から4人を移送、その後強制送還措置で国外追放したという。RFAに情報をもたらしたインドネシア当局者の話では「ウイグル族服役囚の未納だった罰金をジャカルタの中国大使館が代理で支払ったことから、中国に強制送還されたのは間違いない」という。
中国大使館、外務省、法務人権省、入管当局はいずれもRFAの問い合わせに「無回答」「情報がない」「確認できない」などと事実関係の確認を避けており、インドネシア政府として秘密裏に中国に強制送還したことは間違いないとみられている。
ウイグル族保護を訴えながら、一方でウイグル族服役囚を中国に強制送還した事実を認めれば、国際社会だけでなく国内のイスラム教団体からの「ダブルスタンダード」「中国忖度」との非難が不可避だ。そのため政府として公式に認める訳にいかないという事情があるとみられている。
中国へ送還された可能性が高いウイグル族のその後の消息に関しては一切情報はなく、生命の危険すら指摘されている。
■ ポンペオ米国務長官の中国批判
10月29日にインドネシアを訪問したポンペオ米国務長官は、イスラム教団体に向けた講演の中でウイグル問題に触れ「中国共産党のウイグル族への対応は宗教の自由を侵害する最大の脅威である」との認識を示した。
その上でポンペオ氏はインドネシアのイスラム教徒に対して、同じイスラム教徒としてウイグル族に対する中国の対応の事実を見極めるように求めた。
これはインドネシア政府のウイグル族問題に対する「ダブルスタンダード」を暗に批判した「手厳しい指摘」ととらえられている。
RFAは米国系の報道機関であり、米政府関係者も当然その「ウイグル族の中国への強制送還」という報道内容は承知しているものとみられるからだ。
ただし現在のトランプ政権は対中強硬策を続けており、ウイグル族の処遇に関してインドネシア政府を表立って批判することは対中包囲網にインドネシアを取り込みたい米政府の思惑に反するとみられることから、あえてこの「強制送還問題」には触れなかったものとみられている。
■ 脱中国に踏み切れないインドネシア
今回のウイグル族の中国への強制送還について、人権団体などは「中国へ送還後直ちに処刑される可能性もある人権上極めて重大な事案だ」として、インドネシア政府に説明を求めているが、政府は沈黙したままだ。インドネシアのメディアもこれまで報道した形跡はなく、背後に大きな政治力の存在をうかがわせる。
菅義偉首相のインドネシア訪問、さらに今回のポンペオ米国務長官と相次ぐ訪問でインドネシアは中国が覇権を主張している南シナ海問題で「国際法や秩序に基づく問題解決」で基本合意した。
しかし、日米がインドやオーストラリアなどと目指す「安全で平和なインド太平洋の確保」という新たな枠組み構築に対してインドネシアは慎重姿勢を維持している。中国はこうした構想を「新たなNATOを作ろうとしている」と批判している。
インドネシアは、中国から巨額の経済支援やインフラ整備などでの協力を受けている。その中国への一定の配慮がジョコ・ウィドド政権内に存在していることがこうした慎重姿勢に影響している。
特にインドネシアは、新型コロナウイルスで東南アジア諸国連合(ASEAN)域内で最悪の感染者数、感染死者数を記録し続けており、「中国のワクチン」への期待も高い。そのため両国関係に影響を与える事案を極力避けたいという事情もある。
「心情的に中国と距離を置きたくても、実際そうすることの経済的リスクを考慮すると躊躇せざるを得ないのが今のインドネシアだ」と、与党関係者はジョコ・ウィドド大統領の心中を読み解く。
主要英字紙「ジャカルタ・ポスト」は10月19日のコラムで菅首相のインドネシア訪問についての論評を載せ、「菅首相のインド太平洋イニシアチブはインドネシア及び地域に警鐘を鳴らす」として大国の戦略構想に巻き込まれることへの警戒感を訴えた。そしてインドネシアの古いことわざを引用してインドネシアの置かれた立場を言い表した。
「象たちが闘い、その真ん中でネズミの群れが死ぬ」。
トップ写真:インドネシアのジョコ・ウイドド大統領(左)と中国の習近平国家主席(右) 出典:ジョコ・ウイドド大統領 facebook
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この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。