「蔑視」は森氏だけの問題か(上)スポーツとモラル その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・東京オリンピック・パラリンピックの開催が各方面から望まれている。
・開催可否の重要な局面で、森氏が性差別発言し組織委員長を辞任。
・後任として川渕氏が候補にあがるも、世論は反対。
・橋本聖子五輪担当大臣が新たな委員長に就任。大臣の後任には丸川珠代・元担当相が復帰。
冒頭から個人的な思いを述べさせていただくが、今年夏の東京オリンピック・パラリンピック(以下、五輪)について。
なんとかして、つまり医師会が主張するように屋内会場は無観客でもよいから、開催して欲しいと思う。
もちろん今や、世論が「開催は無理」という意見に傾いていることも、それが根拠のある主張であることも承知している。それでもなお、最後まで諦めたくはないのだ。
理由のひとつは、五輪出場を目指して頑張ってきたアスリートたちの気持ちを考えると、中止は気の毒に過ぎるということ。ただしこの観点からは、3月に最終的な判断を下す予定というのは、もう間もなくであるとは言え、遅きに失したとの謗りは免れ得ないだろう。一部のアスリートが求めたように、昨年末には決断を下すべきであった。
もうひとつは、逆説的だが、未だ新型コロナ禍で皆の気分が沈んでいるからこそ、である。今年正月の、箱根駅伝を思い起こしていただきたい。沿道での応援に規制がかかったりはしたが、駅伝などやっている場合か、とは誰も言わなかった。そして、創価大学の予想外の健闘、それを最終10区で逆転しての駒澤大学の劇的な優勝という、この上ない感動を国民に届けたではないか。
コロナに立ち向かう手段は、なにもワクチンだけではない。スポーツには、このように人々に元気を与える力がある。私の知る限り「元気があればなんでもできる」と断言できる人はアントニオ猪木くらいなものだが、やはり元気をなくすよりはよいと思う。
ところが、開催の可否を決断する直前の2月になって、森喜朗・組織委員長が辞任の沙汰となってしまった。まあ、このこと自体は自業自得だと思うが、あまりと言えばあまりなタイミングだった。大会本番まで5カ月、開催するか否かの最終判断まで2カ月を切ったところで、組織委員長の人選からやり直さねばならないとは……
事の発端は、森氏がメディアに対し、
「女性がたくさんいる理事会は、討論に時間がかかる。うち(組織委)には女性の役員が7人ほどいるが、みんなわきまえている」
などと語ったこと。
これにまず激怒したのはIOCの女性委員だったと伝えられるが、確かにロイターなどは、発言を以下のように英訳していた。
We have about seven women at the organising committee but everyone understands their place.
問題はフレーズの後半で、日本語の「わきまえている」もそうだが、自分の身の程を知っている、といったニュアンスになる。つまり、よくも悪くも忠実に訳されている。
早い話が「わきまえている女性」とそうでない女性との間には優劣があり、その優劣は自分がジャッジしてよいのだと言い放ったものと、英語の記事を読んだ側は受け取ったに違いない。先ほどロイター訳は「よくも悪くも」忠実だと述べたのは、当の森氏自身は、おそらく「おやじギャグ」程度のノリで口にしたのではないかと推察されるのだが、そこまで「忖度」しての英訳など、できる相談ではないからである。
日本でもフェミニストの人たちが「わきまえない女たちの会」を名乗って抗議行動に乗り出し、ついには政府与党もさじを投げてしまった。
自業自得という表現を用いたけれども、これは森氏自身に対して向けられた言葉であると同時に、彼を組織委員長の座につけた、政府やJOCに対しても言い得ることだ。
もともと森喜朗という人は、失言が多いことで知られていた、中でも有名なのは、首相時代の2000年5月、神道政治連盟のパーティーで、
「日本は天皇を中心とした神の国であると、国民にしっかり承知していただく」
などと言い放ち、政教分離に反するではないか、とバッシングを浴びた一件である。この時はまた、保守派や改憲派と称される人たちも、彼を積極的に擁護しようとしなかった。政治的信念を問われるものでなく、単なる酒席での放言に過ぎないことが、誰の目にも明らかだったからであろう。今次も一部の保守系メディアにおいては、
「毎週病院に通いながら(前立腺がんの手術歴がある)頑張ってきた人を、マスコミが袋叩きにするのはいかがなものか」
という同情論を開陳した人がいたものの、批判の声は小さくならなかった。
▲写真 2021年2月12日に東京で開催された東京2020評議会および理事会に出席する元日本サッカー協会会長で東京2020オリンピック組織委員会の理事川渕三郎氏 出典:Yoshikazu Tsuno – Pool/Getty Images
その後、後継人事に焦点が映ったが、これも大きく報道された通り、Jリーグ初代チェアマンで日本サッカー協会会長も務めた川淵三郎氏の名前が最初に上がった。
ところが、この人事案までが「老老交代」などと世論の逆風にさらされたのである。
たしかに、83歳の森氏が失言の責任を取って辞任したというのに、後継者が84歳で、それも辞任した森氏の指名だと聞かされては。わきまえてなどいられるか、と言い出す人が大勢現れたのも当然の成り行きなのだろう。
そうではあるのだけれど、ここはやはり「川渕委員長」が最善手ではなかったか。
批判にも一理あるにせよ、私のようなサッカー者にとって、Jリーグを産み育てて日本にサッカー文化を根付かせた功績は不朽のものであるし、その後、日本のバスケットボールを建て直した実績もある。
こちらは初耳だという読者もおられるかも知れないが、実はJリーグの旗が上がった1990年代には、バスケットボールも全国の中学高校でブームになっていた。最大の理由は『SLAM DANK(スラムダンク)』(井上雅彦・著 集英社)という漫画が大ヒットしたことであると聞く。ともあれこのブームに乗って、バスケットボールもプロリーグを立ち上げてはどうか、という声が高まったのだが、ここで問題が生じた。
日本のバスケットボールは、かつてのサッカーと同様、実業団のリーグが頂点にあったのだが、前述のプロ化構想によって立ち上げられたJBL(バスケットボール日本リーグ機構)においても、あろうことかプロ化に消極的な実業団が主導権を握り、プロ化を目指して旗揚げされた市民クラブ(新潟アルビレックスなど)は冷や飯を食わされた。最終的には複数の市民クラブがJBLを脱退し、独自のbjリーグを立ち上げる。
これが2005年のことで、以降10年にわたって内紛が続いたのである。その過程で一度はJOCから資格停止処分を受けて五輪に参加できなくなり、FIBA(国際バスケットボール連盟)からも、ガバナンスに欠けるとして同じく資格停止処分を受けた。
この事態に対応すべく、またFIBAからの勧告もあって、両リーグは2015年に内紛の収束を目指す「タスクフォース」を設立。チェアマンとして招かれた川渕氏は、わずか四カ月で両リーグを統一し、Bリーグの旗揚げを実現したのである。
早大サッカー部時代は「槍の川渕」と称された、突破力自慢の選手だったが、指導的な立場となってからは、調整能力と組織運営能力を世界中に知らしめた。年齢的なことばかり言う人もいるが、当人が「人生最後の大仕事」との意気込みを語ったと聞いているので、なんとかそれを現実のものとしてもらいたかった。
しかしながら、もはや決定は下された。橋本聖子・五輪担当大臣が新たな委員長に就任し、大臣の後任には(閣僚は公益財団法人などのトップにはなれない)丸川珠代・元担当相が復帰することが決まった。
早速、新委員長の略歴などを確認しようと検索をかけてみたところ、驚いたことに
「橋本聖子 セクハラ」
が急上昇ワードになっていた。この問題については、次回。
トップ写真:東京2020評議会および理事会で講演する東京2020組織委員会の森喜朗会長(2021年2月12日) 出典:Yoshikazu Tsuno – Pool /Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。