安全神話が国難招いた(上)日本メルトダウンの予感 その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・安全神話は意図的に流布されたものでなく、技術への過信による誤解
・反対派との論争の切り札として推進派が安全神話を利用する傾向
・スリーマイル事故が日本で起きないと考える根拠は何かあったのか。
この原稿は2021年3月11日に書いている。そう、東日本大震災から10年。
朝のニュースで、今も避難生活を続けている人が全国で4万1241人もいることを知った。被災した42市町村の人口は、10年前に比べて4%以上減っているそうだ。
2万1959人にのぼる死者・行方不明者の大部分は津波の犠牲者だが、長きにわたって多くの人が避難生活を強いられている最大の原因は、福島第一原発の事故であることは言うまでもない。
つい先日、DVDで『Fukushima50』という映画を見た。
事実に基づく物語、というキャッチフレーズが最初に流されるが、私は最後、吉田所長の葬儀の場面で読み上げられた弔辞の一節、
「2号機が爆発しなかった理由は分からない」
というくだりで、あらためて慄然とさせられた。
事故からほどない3月下旬の段階でも、強い西風が吹いていたおかげで、放射能の大部分は太平洋上に拡散したため、避難区域が首都圏まで拡大されずに済んだ、と報じられていた。同時にその時点でさえ、琵琶湖の面積よりはるかに広い地域で、人が住めなくなってしまっていたのだが。
今回あらためて検証すべきは、原子力発電(以下、原発)を推進する原動力となってきた「安全神話」についてである、と私は考える。
列島のいたるところに活断層があり、世界に冠たる地震大国とまで言われる我が国において、事故が起きた時点では全部で54基もの原子炉が稼働し、全発電量のおよそ30%をまかなっていたとは、一体どういうことであったのか。
大きく分けて、ふたつの理由によるものとされている。
ひとつは、石油の供給がいつ途絶えてもおかしくない、と考えられたこと。
多くを語るまでもなく、第二次世界大戦後の中近東は、油田地帯であると同時に、世界の火薬庫とまで言われる、繰り返し紛争の舞台となる地域でもあった。だからこそ、石油に頼ることなく同等以上の発電量が得られる原発へと、政策的にシフトしてきたのである。なおかつ発電コストが安く、二酸化炭素(CO2)の排出量も少ない。電力会社は一貫して、原発は「安価でクリーン」であると宣伝してきた。
とは言え、日本は世界で唯一、核兵器による被害を受けた国であり、核とか原子力といった言葉を聞いただけで抵抗を感じる、という国民が多かったことも、また事実である。
そこで、原発は安全だというキャンペーンが大々的に張られてきた。これが世にいう「安全神話」だったわけだ。
福島の事故でその神話も吹き飛ばされた、と言われているが、事故が起きた年すなわち2011年の11月に、NHKが『シリーズ原発危機』と題するドキュメンタリー番組を連続で放送した。
過去に原子力行政にたずさわってきた人たちが、
「起きるはずがない、とされてきた事故がどうして起きてしまったのか」
という疑問に対し、各自の見解を開陳してゆくのだが、そこから浮かび上がってきたのは、もともと安全神話は政府筋や電力会社が意図的に流したようなものではなく、単に日本の技術力に対する過信からくる「美しき誤解」であった、ということであった。
被災された方々の身になってみれば、美しいとはなにごとだ、と責められても致し方ないが、ここで語っているのは、もともと安全神話が捏造されたものでもなければ意図的に流布されたものでもなかった、というだけのことだ。それが事故を起こした電力会社の免罪符になるわけでもなければ、10年前の事故の被害すら回復できていないのに、再稼働を主張するなど論外だという、私の立場と併せて明記しておく。
それはそれとして、出発点は日本の技術力を過大評価した結果であったかも知れないが、その後の原発をめぐる議論を注意深くフォローしてゆくと、推進派と反対派の軋轢の中で、推進派が論争の切り札として安全神話を利用する傾向が出てきたことまでは、どうやら争えないようだ。
「原発が嫌ならクーラー使うな」
という議論(と呼ぶに値するか否かは読者の判断にゆだねたい)があった一方で、
「安全対策は充分。日本ではチェルノブイリ原発事故のようなことは起きない」
といったような、今にして思えば、なにか科学的な根拠があったのか、と思わざるを得ない言説も流布していた。
福島第一原発は海抜15メートルの位置にあり、津波がそこまで押し寄せて、地下にある緊急用ディーゼル発電機までが海水に浸かって、SBO(ステーション・ブラックアウト=全電源喪失)に至るなど、まったく想定外の事態であった、とも言われたが、事故調査委員会が下した結論のひとつは、設備の老朽化に加え、防潮堤の高さも不十分ではないか、との危惧を表明する技術者が複数いたにも関わらず、東京電力は福島第一原発を稼働させていた、というものであったことは指摘しておきたい。
またもや『Fukushima50』の話をさせていただくと、米軍横田基地の高級将校が、
「父親がGE(ゼネラル・エレクトリック社)の技師だった。子供の頃あの近くに住んでいて(現地福島の)子供たちとよく遊んだものさ」
などと回想するシーンがある。そして「ミッション・トモダチ」と称する、被災地に救援物資を空輸する「作戦」を発動するのだ。
このエピソードまでが事実なのかどうか、残念ながら信頼すべき資料を見つけることはできなかったが、我が国の原発が、ソフト面も含めて米国から導入した技術によって建設され稼働してきたことは周知の通りである。
その米国では、1979年に『チャイナ・シンドローム』という映画が公開された。
タイトルの由来は、原発の炉心が融解して放射性物質が容器を突き破って流れ出たならば、高温で地面を溶かし、最終的には地球の裏側の中国まで突き抜けてしまうのでは、というブラックジョーク(米国から見て地球の反対側は中国ではない)だが、そこで描かれていたのは、利益優先で安全対策にコストをかけようとしない電力会社と、その実態を暴こうとするメディアの姿である。事故に遭遇しながら決死の取材を続けるTVレポーターをジェーン・フォンダが演じた。
そして、公開からわずか12日後にペンシルバニア州スリーマイル島の原発で、メルトダウン(炉心融解)事故が起きてしまうのである。
▲写真 メルトダウン事故のあったスリーマイル島(1999年3月15日) 出典:John S. Zeedick/Getty Images
確かにこの事故の原因は、冷却水ポンプの配管が詰まったという、半ば「人災」のようなものではあった。しかし、日本で同じようなことが起きないと考える根拠は、なにかあったのだろうか。まさかとは思うが、
「映画にかぶれた者が、原発反対の世論を煽るため、意図的に事故を起こした」
などという陰謀論を真に受けていたわけではあるまい。
次回は、その話を。
(下に続く)
トップ写真:福島第一原発事故を受け、市内への立ち入りを制限する警察官ら(2011年4月25日 福島・南相馬市) 出典: Ken Ishii/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。