無料会員募集中
.国際  投稿日:2021/5/18

インドネシア・パプアで進む軍事作戦


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・インドネシアからの独立求めるパプア武装闘争が続いている。

・現役陸軍准将が殺害され、大統領が徹底対処を指示。

・軍幹部殺害の「虎の尾」踏んだパプア独立運動は壊滅の危機に。

 

インドネシア東端、ニューギニア島の西半分を占めるインドネシア領パプア地方(パプア州、西パプア州)で今、インドネシア軍と国家警察による小規模ながら「軍事作戦」が進行中だ。

パプア地方では長くインドネシアからの独立を求める武装勢力「自由パプア運動(OPM)」による武装闘争が1969年以来続いている。OPMは各地で複数の下部組織に分かれ、独自に武装闘争を続けてきたが、装備や組織力、財源も豊かではなく、インドネシア国軍にとっては「低強度」の紛争として、徹底的な壊滅作戦の実施には踏み切ることはなかった。

ところが4月25日、パプア地方を統括する国家情報局(BIN)の責任者である陸軍のイ・グスティ・プトゥ・ダニー准将が、パプア州山間部のプンチャック県イリガ地方を視察中、車列が武装勢力による待ち伏せ攻撃を受けて、銃傷で死亡するという事件が起きた。

これまでパプア地方での独立勢力と治安当局による衝突で死亡した軍人として、プトゥ・ダニー准将は最高位の階級といわれ、インドネシア政府、軍は大きな衝撃を受けた。

大統領が武装勢力をテロ組織指定

こうした前代未聞の事態を受けてジョコ・ウィドド大統領は直ちに治安当局に犯行グループの特定と真相解明、容疑者グループ拘束を厳命するとともに襲撃への関与が濃厚とされるOPMの分派で地元プンチャック県を主な活動拠点とする西パプア民族解放軍(TPNPB)」を「テロ組織」として指定したのだった。

▲写真 インドネシアのジョコ・ウィドド大統領 出典:Oscar Siagian/Getty Images

これを受けて5月6日にハディ・チャフヤント国軍司令官、リスティヨ・シギット・プラボウォ国家警察長官という治安当局のトップ2人が揃ってパプア州を訪問、現地の軍、警察関係者、地方政府関係者と会談して、今後の対処方針などを協議した。

その結果、小規模ながら「軍事作戦」を展開して「TPNPB」の壊滅を進めることになった。

4月以降プンチャック県などではパプア人の教師、タクシー運転手、16歳の少年などが殺害される事件が続発。TPNPBが「インドネシア側へ情報を提供するスパイだった」と犯行声明を出すなど、現地での治安は急速に悪化していたことも軍事作戦開始の一つの理由となったが、やはり准将死亡という事実が大きく作用したのは言うまでもない。

スハルト時代の負の遺産

パプア地方は1998年に民主化のうねりと折からのアジア経済危機により崩壊したスハルト長期独裁政権時代にはスマトラ州北部のアチェ州、オーストラリアに近い東ティモール州と並んで独立武装闘争が激しく、「軍事作戦地域(DOM)」に指定され、増強された軍による武装勢力やその支持者への人権侵害が多く報告されていた地域だった。

その後インドネシアの民主化進展に伴い東ティモールは2002年5月に独立を果たし、アチェ州は2004年12月の「スマトラ島沖地震津波」の大被害を受けて和平交渉が進み、最終的にイスラム法が適用される特別な州としての地位を獲得して停戦が実現した。

その結果パプア地方だけがDOMの負の遺産として現在まで残されていた。

インドネシア人の間にはメラネシア系にキリスト教徒が多数であるパプア人への差別意識も根強く、治安当局による人権侵害も多く報告されているが、国際的な支援組織も少なく、独立運動はインドネシアの「喉に刺さったトゲ」として長らく放置されてきた経緯がある。

それが今回の現役陸軍准将の殺害という事件発生で新たな局面に入ったのだった。

武装勢力幹部を殺害

陸軍部隊を中軸とする部隊がプンチャック県に増派(陸軍は定期的なローテンションであると増派を否定)されて始まった「軍事作戦」では、5月13日にプンチャック県ウロニ村でTPNPBのメンバー2人を殺害したほか、14日未明に同県イリガ地方でTPNPBの拠点を襲撃し、地方幹部とされるレスミン・ワケルら2人を殺害、武器を所持して逃走中の他のメンバーを捜索中だと軍は発表した。

現地ではインターネット回線が遮断されるなど情報統制が実施されており、軍事作戦の詳細は軍の発表以外には確認できない。そのため実際に何が起きているのかは不明の部分が多く、人権団体などからは「人権侵害」への懸念も高まっているという。

このように圧倒的な人員と武器を持つ軍による作戦は着々と進み、武装勢力を山間部に追い込んでいるといわれている。

ほとんど報道されることがなく、「忘れられた独立武装闘争」とも言われ続けてきたパプアの独立紛争は、インドネシア軍の総力を挙げれば完全に掃討、壊滅させることはそう難しいことではない。そのためこれまではパプア」のような紛争の現場をあえて残すことで兵士に実戦を経験させ、パプア社会に緊張感を持たせるために政府や治安当局は意図的に現状を維持してきたのではないか、との憶測も度々でていた。

しかし、今回軍幹部の殺害という「虎の尾」を踏んだことでパプアの独立運動はまさに風前の灯火、壊滅の危機に直面しているといえるだろう。

トップ写真:西パプアを独立国として認めるよう求めるパプア人のデモ参加者(2012年12月1日 インドネシア・ジョグジャカルタ) 出典:Ulet Ifansasti/Getty Images




この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."