見えぬ各候補の対露方針 「2島返還」か「4島返還」回帰か
樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【まとめ】
・自民総裁選、政策論争活発だが安保・外交は目立たず
・期間中、激しい世界の動きの中で、ロシアは領土問題で強硬姿勢繰り返す
・新しい総理・総裁は成算のない「2島返還」を放棄し、「4島返還」にもどるべきだ
■論争の中心は、コロナ、内政
次の総理・総裁が今月29日に決まる。選挙戦は大詰めだ。
今回の選挙は各派閥が〝自主投票〟を決めたこともあってか、政策論争もそれなりに活発だ。コロナ、年金、子どもの将来・・。いずれも緊急、国民の関心が高い問題だが、国のありかたを含む、外交・安全保障問題での論戦はほとんどない。
とくに対ロシア政策では、安倍前内閣による「2島返還」への転換の失敗が鮮明になり、時あたかも、先方がますます強硬になっている。にもかかわらず、各候補から、「2島返還」を維持するのか、従来の大方針「4島返還」に立ち戻るのかは伝わってこない。新政権登場という政策再転換の好機に、明確な方針が示されないのは残念というほかはない。
■安保・外交はほとんどテーマにならず
自民党総裁選各候補の発言を筆者は細大漏らさず取材しているわけではもちろんない。少なくとも各出馬会見、自民党の所見発表演説会、日本記者クラブでの共同記者会見、党女性局、青年局主催の討論会、各メディアのインタビューなどをみるかぎり、この問題が話題にのぼることはなかった。
9月18日の日本記者クラブでの討論会で、「(2018年の)シンガポール合意を維持するのか、それともこれを変更して、4島返還にたちもどるのか」ーとの質問書を提出してみたが、残念なことに司会者が採りあげず、各候補に対する質問には含まれなかった。
9月24日、外交、安保などをテーマにしたタウンミーティング形式の討論会でも、参加した有権者からの北方領土問題での質問、候補者からの言及、いずれもなかった
■プーチン大統領、「北方領土を外資誘致の特区に」
総裁選期間中のいま、世界では大きな動きが続いている。アフガニスタンからの米軍撤退、それに伴うタリバン政権の復活、日本の救出活動の失敗、北朝鮮の巡航、弾道ミサイル発射、中国を意識した米英豪によるあらたな枠組みAUKUS(オークス)の発足・・。
そうしたなか、ロシアのプーチン大統領は、菅義偉首相が退陣表明した9月3日、ウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムで演説。北方領土に、外資誘致の特区を設置する方針を明らかにした。不法占拠している日本固有の領土を、自らの思いのままにしようとする暴挙であり、同時に表明した平和条約締結交渉への意欲は空虚に響いた。
▲写真 東宝経済フォーラムで演説するプーチン大統領(ウラジオストク、2021年9月3日) 出典:Photo by Mikhail Svetlov/Getty Images
同フォーラムにはこれまで、安倍前首相が在任中、毎年出席してにもかかわらず、ことし菅首相は招待すらされなかった。
これに先立ってロシアは、東京五輪開会中の7月下旬、メダルラッシュの熱気に水を差すように、ミシュスチン首相を北方4島のひとつ、択捉島へ派遣した。
7、8月にはそれぞれ、国後、択捉島での射撃訓練を通告するなど、ロシアが北方領土を自国領と既成事実化する動きは常態化している。
■成果生まなかった「2島返還」への譲歩
ことしは1956(昭和31)年に、戦争状態の終結などをうたった日ソ共同宣言に調印されてから65年の節目にあたる。
本来なら、両国間でこれを記念するイベントが開かれているところだが、祝賀ムードはまったくなかった。ロシアでも同様だろう。これひとえに、領土問題が膠着状態になっていることが原因といっても差し支えあるまい。
安倍政権時代の2010年代末、戦後の懸案である4島の返還問題を解決しようと、日本側は大幅な譲歩を行った。
2016(平成28年)12月、安倍首相の地元、山口県長門にプーチン氏を招いて行った首脳会談で、北方領土で両国が共同経済活動を進めることで合意した。
2018(平成30)年11月には、シンガポールで行われた首脳会談で、「56年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を継続する」ことが確認された。メディアを賑わした「シンガポール合意」だ。
56年宣言には、北方4島のうち、歯舞群島、色丹島について、「平和条約が締結された後に日本側に引き渡される」と明記されている。
その宣言を基礎とすることは、歯舞、色丹の2島返還を目指し、残りの国後、択捉2島は断念することを意味した。
安倍首相は国会で、「われわれの主張を繰り返していればいいということではない」「それで70年間、まったく状況は変わらなかった」と述べ、これまでの方針を転換する必要性について説明した。
▲写真 安倍晋三首相とプーチン大統領(2018年11月14日、シンガポール) 出典:Photo by Mikhail Svetlov/Getty Images
こうした発言は、1993(平成5)年の東京宣言、2001(平成19)年のイルクーツク声明など過去に日本が勝ち取ってきた成果を、故意かどうかは別として、「無視した」、「努力に敬意を欠く」と批判されても、やむを得なかった。
エリツィン大統領と細川護熙首相(いずれも当時)による東京宣言には、国後、択捉、歯舞、色丹の4島名が列記され、その「帰属問題を解決して平和条約を締結する」と明記されていた。森喜朗首相(同)とプーチン大統領によるイルクーツク声明もまた、東京宣言を、そのまま踏襲した。
これらは、旧ソ連時代の「領土問題は解決済み」などという先方のかたくなな態度を押し切った成果であり、「一歩も前進しなかった」などという発言は、事実に反することは明瞭だろう。
■ロシアには最初から返還の意思なし
安倍発言の是非は措くとして、首相の目論見は、2島返還を実現させておいて、国後、択捉については、共同経済活動で得られるメリットをもって、返還に代えようところにあったようだ。
共同経済活動は、漁業、養殖漁業、観光、医療、環境など幅広い分野にわたっている。
しかし、ロシアが不法占拠をしている日本固有の領土での経済活動に、どちらの法律を適用するのかなどという難問に加え、日本が資金だけをつまみ食いされるのではないかという危惧が指摘され続けてきた。
そもそも、日本側の大幅譲歩にもかかわらず、ロシア側の態度は硬く、これに応じる姿勢を見せなかったことが、その後の問題の進展を阻んだ最大の理由だった。
シンガポール合意直後の2019(平成31)年1月、モスクワで行われた首脳会談では全く前進がみられず、期待を裏切られた安倍首相は意気消沈の表情を隠さなかった。
ロシア側は2020(令和2)年7月には、領土割譲を禁止する条項を含む憲法改正を強行。プーチン氏は、これが北方領土にも適用されると明言、ロシア側の不当な態度はいよいよ明らかになった。
むしろ、ロシア側は最初から返還に応じる考えなどなかったとみるべきだ。
■方針明確にし、有権者の意志を問え
安倍政権が退陣した後、後任の菅政権は、コロナ対策にエネルギーを費やすことを余儀なくされ、北方領土問題では、その基本姿勢すらうかがうことができなかった。
それだけに政権担当に名乗りをあげている各候補者にとっても、対ロ政策、北方領土問題であらためて方針を示すチャンスであるはずだが、その口から、明確な説明をきくことができずにいることは残念というほかはない。
4候補のうち、河野太郎氏は、シンガポール合意時の外相として交渉の責任者に指名され、ロシア側の責任者、ラブロフ外相と実際の交渉に当たった。
その前任外相の岸田文雄氏は、ラブロフ外相とウォッカを酌み交わして長時間、議論したといわれる。
それぞれ、過去の経験をもとに、どんな考えで交渉に臨むのか、ぜひとも聞いてみたいところだ。
領土問題は、主権にかかわる重大な問題でありながら、安倍政権は、解散・総選挙によって民意を問うこともせずに、いとも簡単に、「4島返還」を放棄した。
新総理・総裁が選出された後、時を置かず、衆院議員の任期満了を迎え、総選挙が予定されている。
「2島返還」か「4島返還」への回帰かー。各候補は、首相に就任した後でも、ただちにその方針を明確にし、国民の信を問う総選挙に臨んでほしい。
トップ写真:千島列島 出典:Photo enhanced by maps4media via Getty Images
あわせて読みたい
この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長
昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。