ロシア、85年前の武力衝突で日本非難 制裁の報復か、北方領土でけん制も
樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【まとめ】
・ロシア外務省が85年前に起きた日ソ間の武力衝突を巡り唐突に日本を非難する声明を発表。
・ウクライナ戦争での制裁に対する報復とみられるが、北方領土返還要求批判など無関係な問題に言及する牽強付会な内容。
・日本政府は、抗議などはしていないが、先方の根拠のない主張を容認することになりはしないか。
怪談は夏の定番だが、この〝怪説〟には背筋が寒くなった。
1938年に日ソ両軍が衝突した張鼓峰事件(*1)の停戦記念日にあたる2023年8月11日の声明でロシア外務省は、事件を日本による「ソ連を攻撃する計画実行の序曲だった」と非難、「第2次大戦の結果」を認めるよう要求し、暗に北方領土は自国領だとする不当な主張を展開した。
ソ連を攻撃する計画というのが何をさすのか不明だが、北方領土は張鼓峰事件、第2次大戦の結果いずれとも関係のない日本固有の領土だ。
厚顔無恥の暴論に日本政府は断固として抗議すべきだろう。
■「ソ連攻撃の秘密計画の序曲」
ロシア外務省報道官の声明は、「日本軍は国境警備隊を攻撃したが、ソ連側は任務を遂行し敵軍を国境外に撃退した」として、日本側の一方的な行動による「挑発」との見方を示している。
そのうえで、唐突に岸田政権の外交政策に言及、「再軍備化を進める現在、こうした歴史の教訓に目を向けることは重要」と強調、「第2次世界大戦の結果を認め、靖国参拝の慣行をすてるよう」要請している。
■ウクライナ情勢の苦境反映との見方も
張鼓峰事件の原因をめぐっては、ソ連国境警備隊が現地で軍備を増強、軍事施設を築いたためという見方もなされており、原因究明は歴史家に委ねられた格好になっている。
そうした戦前の軍事衝突をめぐって、ロシアが突然日本を非難する声明を発表したことについて訝る向きも少なくない。
「ウクライナ侵略で日本も強い制裁を科していることへの反撃ではないか」、「日本批判を展開しなければならないほど、ウクライナ戦争が苦しい状況なのではないか」などの推測がなされている。
■理解できぬ張鼓峰と領土問題関連づけ
声明の我田引水ぶりがはなはだしいのは「(停戦の)記念日に思いを馳せつつ、日本政府に第2次大戦の結果を全面的に認めるよう」要求していることだ。
「大戦の結果」というのは、ロシアが北方領土返還要求を拒否する際に決まって持ち出す論理。クリル諸島(北方領土のロシア名)は、戦争でソ連が得た領土だから、その結果を認めて返還要求をやめよという理屈だ。
張鼓峰事件と北方領土返還要求に何の関係があるのか理解に苦しむが、戦争末期のヤルタ協定(1945年2月)などをよりどころとしているようだ。
米英ソ3国指導者によるこの取り決めは「樺太(サハリン)南部、これに隣接する諸島はソ連に返還される」「千島列島はソ連に引き渡される」などと明記されている。
しかし、「千島列島」がウルップ島以北を指し、択捉、国後、歯舞、色丹の南千島4島が、それに含まれないことは日魯通好条約(1855年)、千島樺太交換条約(1875年)から明らかであって、どこにも引き渡されるべきものではないことは自明の理だ。
そもそも、北方4島を「第2次大戦の結果」、つまり〝戦利品〟というなら、むしろロシアこそ「ポツダム宣言」(45年7月) に違反するという批判を免れないだろう。同宣言は、「領土拡張」を否定した「カイロ宣言」(1943年11月)を援用しているからだ。
■責められるべきはシベリア抑留の蛮行
そもそも、日本固有の領土である北方4島をロシアが「自国領土」だと主張するのは、1945年(昭和20年)8月15日の日本の降伏後に、どさくさにまぎれて不法占拠したためにほかならない。
ソ連軍は、8月18日ー31日、8月28日ー9月5日の両期間にそれぞれ、ウルップ島以北、北方4島を占領、その状態のまま今日までの長きにわたって居座りを続けている。
終戦直前の8月9日、ソ連はまだ有効だった日ソ中立条約を無視して旧満州に攻め込んだ。わずか一週間の戦闘で、戦勝国を自任、日本軍将兵の復員を認めたポツダム宣言(1945年7月)に違反して約60万人をシベリアで重労働に従事させ、5万8000人を死に追いやった。悪魔の所業ともいうべき蛮行はきびしく追及されなければなるまい。
北方領土をめぐるロシアの主張がいかに不当か理解できようが、それについて述べるべきことは枚挙にいとまがない。
■抗議見送れば不当な主張認めることに
真相不明の過去の武力行使を持ち出して、現在の岸田内閣の外交政策を批判、領土問題でけん制すること自体、不当を通り越して噴飯ものというべきだろうが、不可解なのは日本政府の対応だ。
外務省は、ロシアの声明はもちろん把握しながら、先方への抗議などは一切控えている。
「根拠のない主張にいちいち反論しては際限がない」(外務省ロシア課幹部)、「反論すれば、むしろ先方の主張を際立たせる」(ロシア専門家の元外務省高官)などというのがその理由だ。
もっともらしく聞こえるが、そういう理屈は通用しないだろう。
理性の通じない相手だけに、嫌気がさすのは理解できるが、不当な主張を放置しておけば、それを追認することになりはしまいか。「日本はわれわれの主張に反論できなかった」という悪宣伝に利用される恐れもあるだろう。
23年7月に、ロシアのメドベージェフ国家安全保障会議副議長(前大統領)が、ウクライナへの侵略戦争に関して、「広島、長崎への原爆投下と同じことをすれば解決する」と核使用を示唆して恫喝した時も、日本政府は被爆国として何の抗議もしなかった。
政府の生ぬるい方針と同様に指摘しておきたいのは日本のメディアの対応だ。ロシアの声明を知ってか知らずか、時事通信が報じた程度でほとんどの社は無視した。感覚の鈍さは同罪だろう。
8月後半のこの時期は、時あたかも78年前、ソ連が北方4島を奪って日本の主権を蹂躙した期間。領土問題を考えるうえで、決してわすれてはならない時だ。
ロシア声明は「歴史の教訓に目を向けることは重要」と指摘しているが、日本もロシアの歴史的な蛮行を思い起こさなければなるまい。
いまからでも遅くはない。このタイミングを逃すことなく、日本政府はロシアに厳重抗議をすべきだろう。
沈黙は無法国家の思うつぼだ。
*1張鼓峰事件
日中戦争勃発の翌年、1938(昭和13年)7月から8月にかけて、満州国東南端のソ連・満州国国境地帯の丘陵で起きた日本軍とソ連軍による大規模軍事衝突。国境線をめぐって長年対立してきたソ連国境警備隊と日本の第19師団が7月中旬から小競り合いを始め、次第に激しい戦闘に発展。日本軍は苦戦を強いられたが、双方にかなりの損害が出て8月10日、日本側がモスクワの大使館を通じて停戦を申し入れた。翌11日に協定が成立、戦闘が終了した。
トップ写真:岸田外務大臣(当時)とプーチン露大統領会談 2016年12月2日 ロシア・サンクトペテルブルグ
出典:外務省
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この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長
昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。