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.国際  投稿日:2021/10/15

金正恩の狡猾な新「外貨収奪作戦」


朴斗鎮(コリア国際研究所所長)

【まとめ】

・コロナ禍による国境完全封鎖により、北朝鮮では外貨が急速に不足。

・外貨収奪の為、外貨使用を禁止したり、中央銀行が「トンピョ(金票)」発行したりしている。

・北朝鮮ではそれが外貨収奪の手段と認識されており、外貨保有者は警戒を強めている。

 

金正恩政権は、2019年2月のハノイ首脳会談決裂後、同年12月末に党中央委員会総会を開き、「核保有路線」を明確にし「自力更生での長期戦」で「正面突破」すると宣言して、経済分野を基本戦線と位置づけた。この方針で経済制裁を突破できると思ったのだ。

しかしその直後、新型コロナウイルスが全世界を襲った。金正恩総書記が国境を完全封鎖したことで「正面突破」の目論見は完全に外れた。金正恩を慌てさせたのは、経済の沈下もさることながら、核ミサイル強化と統治で欠かすことのできない外貨の急速な枯渇だった。

▲写真 平壌市内(2018年8月24日) 出典:Photo by Carl Court/Getty Images

1、新たな「トンピョ(金票)」発行作戦

金正恩政権に外貨獲得が緊急課題として浮上したが、国境封鎖の中での外貨獲得は、主に国内の商人や住民が保有する外貨の収奪しかない。しかし彼らからの外貨収奪を露骨に行えば反発は必至だ。

金正恩の脳裏には、2009年の「貨幣改革(デノミ)」で外貨使用を禁止した時の大混乱が浮かんだはずだ。

そこで金正恩政権は、貿易封鎖を「外貨収奪」に利用する方法を考え出した。外貨の使用を禁止し、市場(チャンマダン)で北朝鮮通貨しか使えないようにしたのである。ドルや人民元が使えなくなれば、当然外貨の交換率は大きく下落する。それをあたかも市場の需給によるものと見せて北朝鮮ウォンで買い叩こうとしたのだ。

この思惑通りドルや人民元は急落し始めた。昨年10月に1ドル=8000ウォン、1元=1200ウォンだった為替相場は、1ドル=5000ウォン以下、1元=700ウォン以下にまで下落した。

しかし、当局の思惑とは異なり商人や住民は外貨を持ち続けた。安くなった外貨を買い叩いてこっそりと買い集めようとした当局の思惑は完全に外れたのだ。

そこで今度は北朝中央銀行が発行した「トンピョ(金票)」による外貨収奪策を考えだした。

▲写真 北朝鮮で発行された『金票(トンピョ)』 提供:朴斗鎮

2、過去の「トンピョ(金票)」との違い

北朝鮮では以前にも「トンピョ(金票)」が発行されたことがある。1979年に朝鮮中央銀行が「外貨兌換券=パクントン(外貨と交換できるお金)」として初めて発行した(1988年9月から発行元を朝鮮貿易銀行に変更)。外貨を持っている人が北朝鮮で物品を購入するにはこの「トン票」と交換しなければならなかったため「パクントン」と呼んだのだ。

北朝鮮が2002年6月まで使用したこの「パクントン」は、すべての外貨が国家の所有であり、民間人が外貨を使用することができなかった時代のものだ。労働党幹部や外貨稼ぎ労働者は、当局が運営する両替所に外貨を持って行き、公式為替レートに基づいて「パクントン=トン票」を受け取り「外貨商店」などで使用した。

しかし、市場(チャンマダン)経済が大きくなる中で民間両替商も登場し、金正日政権が「7・1措置」(市場サヤ寄せ政策)に踏み切ったことで「パクントン」制度は2002年に廃止された。

3、「トンピョ(金票)」発行目的を隠蔽

ところが今回の「トン票」には「外貨と交換できる」という表記はない。なぜだろう?それは今回の「トン票」発行が外貨収奪作戦だということを隠蔽し欺瞞するためだ。

発行の目的が外貨不足を埋めるためではなく、国内経済と人民生活向上のためと偽装したのである。そのために発行目的を記した通達文書まで出した。韓国の脱北者団体などが入手したというその通達文書には、「トン票」発行目的を次のように記している。

「国の貨幣流通を円滑にして生活上の条件を保障するために、中央銀行は、トン票を発行する措置を取った。中央銀行トン票を新しく発行することに対する国家的措置は、民族貨幣制度を強固にして朝鮮労働党第8回大会が提示した闘争綱領を高く掲げて社会主義建設の新しい勝利を完遂していき人民生活を安定、向上させるための崇高な意図が込められている」

すなわち、北朝鮮貨幣が足りないので満足に生産活動ができず、人民の生活が苦しいから、「トン票」を発行すると言っているのだ。こんな欺瞞が通用するわけがない。いま北朝鮮では価値のない北朝鮮通貨が溢れている。わざわざ「トン票」を発行するまでもない。

手がこんでいるのは、この通達文書を意図的に外部に流出させたことだ。そこには米国などに外貨の枯渇を知られたくないとの思惑もあったと見られる。

一部の専門家は、極秘文書を手に入れたと喜んで、今回の「トン票」は外貨獲得のためのものでないと断じて、韓国デイリーNKなどの報道を「誤報」としているが、それは北朝鮮の謀略戦に乗せられた主張といえる

北朝鮮内部ではこの通達文内容を額面通り受け取っている人はいない。「トン票」は外貨収奪の手段と認識しており、外貨保有者は警戒を強めている。

トップ写真:金正恩総書記のニュースを見るソウル市民(2021年5月28日) 出典:Photo by Chung Sung-Jun/Getty Images




この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長

1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統治構造ー」(新潮社)など。

朴斗鎮

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