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.国際  投稿日:2021/11/25

「1票の格差」こそが問題(上) 似て非なる日英「二大」政党制 その3


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・700年の長い歴史の中で構築された英国の二院制

・英国式選挙システムの原型である「ひとつの選挙区から一人だけ当選者が出る単純小選挙区制」

・日本にはない「階級別支持政党」の概念が存在する英国

 

英国人はよく、我が国の議会政治は700年の歴史がある、などと自慢する。

たしかにイングランドにおいては、14世紀には二院制の議会が招集されていたので、これは決して間違いではない。ちなみに我が国の歴史では、鎌倉幕府が終焉を迎え、やがて室町幕府が開かれようという時期である。

つまり世界史の教科書的区分で言うと中世だが、中世においては、ブリテン島に割拠する三つの王国、すなわちイングランド、ウェールズ、スコットランドにおいて、それぞれ独自の議会が存在したことは指摘しておかねばならない。現在に至る「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国議会」は1801年1月1日に設立された。

二院制というのは、爵位を持つ者はハウス・オブ・ローズ(貴族院)、持たざる者はハウス・オブ・コモン(庶民院もしくは衆議院と訳される)に議席を持つことと決められていたからだ。

日本語メディアではもっぱら「上院」「下院」と表記されるので、以下は本稿もそれに倣うが、正式名称は今も前述の通りである。

立法権は下院にあり、また、首相や閣僚はすべて下院議員で占められるのが一般的だ。上院から閣僚を選ぶのは、制度上は可能なのだが、実例はほとんどない。貴族出身の首相も幾人か出ているが、これは爵位を世襲するまでは、下院の被選挙権があるためだ。

また、コモンとは「庶民」「平民」といった意味だが、産業革命以前にはジェントリーと呼ばれる地主階級だけが議員になることができた。

ジェントリー階級は爵位こそなかったが、地方の行政官として徴税を担い、また自身も高額納税者であったため、次第に政治的な発言力を強めていった。この結果として下院(=庶民院)が上院に対して優位に立つようになったというわけだ。また、読者ご賢察の通り、このジェントリーこそジェントルマンの語源である。

このジェントリー階級は、イングランドの人口の3%を占めていたに過ぎなかったが、産業構造が変化するにつれ、都市部の商工業者や自営農民の間からも、選挙権および被選挙権を求める声が高まっていった。

その後の経緯を詳しく述べるには、ゆうに単行本一冊分の紙数が必要になってしまうが、煎じ詰めて述べれば、数次にわたる選挙改革を経て、19世紀までには成人男性の大半が選挙権を持つに至った。

こうして現在に至る普通選挙法の原型ができあがったわけだが、その選挙システムは、

ひとつの選挙区から一人だけ当選者が出る単純小選挙区制

であり、選挙区の区割りは、

「人口3万5000人あたり議員一人を代表として議会に送れるようにする」

とされていた。

さらにはまた、前述のような歴史のしがらみから、当初は農村部=地主および自営農民の利益を代表する保守党と、都市部の商工業者の利益を代表する自由党による二大政党制であのだが、これまた英国の産業構造が変化し、それが社会構造の変化を招いたことで、20世紀に入ってからは、中産階級の利益を代表する保守党と、労働者階級の利益を代表する労働党、という図式に変化したのである。

▲写真 Photo by Leon Neal/Getty Images 出典:労働党会議で労働党党首のキア・スターマーの演説を聴く人々(2021年9月29日、ブライトン、イギリス

私見ながら日英の政党政治を見比べた場合、最大の違いとは、この「階級別支持政党」という概念が成立するか否か、という点にある。

英国の不動産業者ならば、自分が担当する地域に関して、あのあたりは中産階級が住むエリアであるとか、あの通りは労働者階級の家が並んでいると言ったことを熟知しているのが普通だ。

このため選挙区によって、保守党が強い地域や労働党が強い地域といった色分けがはっきりしている。

英国の総選挙において「風が吹いた」というのは、この枠組みが崩れる状態を意味する。

2019年の総選挙においては、EU(欧州連合)からの離脱実現を公約に掲げた、ジョンソン首相率いる保守党が圧勝したわけだが、この時は

「赤い壁が崩れた」

と称された。

イングランド中西部(まさしくミッドランドと呼ばれる)には、日本でもよく知られるリバプールやマンチェスターといった工業都市があって、産業革命以降、労働組合運動の中心地であり、労働党の金城湯池であった。その地域においてすらEU問題に対して煮え切らない態度を取ったコービン党首への失望感が広まり、多くの議席を保守党に明け渡してしまったのである。

1977年には当時のブレア党首率いる労働党が、18年ぶりに保守党から政権を奪還したが、この際は総選挙の勝利に先駆けて

「南部問題がついに乗り越えられた」

と称された。

イングランド南部のケント州やサリー州は、ロンドンのベッドタウンとして発展した町が多く、比較的裕福なホワイトカラーが家を買って住むことから、保守党が圧倒的に強かった。これが長きにわたって、労働党内部で「南部問題」とされてきたわけだが、ブレアは、

「生産手段の公有化」を定めた労働党の規約第4条を改正し、いわば社会主義の旗を下ろしてまで選挙に勝とうとした。

当時の日本はバブル崩壊の後遺症に苦しんでいたが、英国でも似たような状況であったわけだ。読者ご賢察の通り、ブレアはこれを保守党の執政のツケであると非難し、経済対策を正面に打ち出したニュー・レイバー(新生労働党)の旗を掲げた。

このように、ドラスティックな選挙結果がしばしば見られるから、英国の議会政治は面白いのだが、ここから日本は、どのような教訓を得れば良いのだろうか。

その話は、次回。

その1その2。その4に続く)

トップ写真:保守党大会で党首として演説を行うボリス・ジョンソン首相(2021年10月6日、マンチェスター、イギリス) 出典:​​Photo by Ian Forsyth/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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