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.政治  投稿日:2022/1/16

北方領土「2島返還」から転換か 林外相「〝4島〟が日本の立場」と明言




樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)

【まとめ】

・林外相は北方領土問題で「4島の帰属が交渉対象」と明言した
・林発言は「2島返還」に譲歩した2018年のシンガポール合意からの決別を示唆している
・「4島返還」に立ち返る意図があるなら、岸田首相は通常国会で明確に表明すべきだ

 

■ 「2島返還」が見直される可能性が出てきた。

 林外相は1月13日、日本記者クラブでの会見で、北方領土について「交渉の対象は、4島の帰属問題だ。これが日本の一貫した立場だ」と明確に述べた。

 安倍晋三首相(当時)とプーチン大統領による2018年秋の「シンガポール合意」で、日本は「2島返還」へと転換したが、岸田政権は、これと決別、従来の基本方針への回帰をめざすのだろうか。

写真)安倍晋三首相とプーチン露大統領 2018年11月14日、シンガポール
出典)Photo by Mikhail Svetlov/Getty Image

■ 岸田発言より踏み込む

 外相発言自体は、就任直後の岸田首相がプーチン大統領と電話協議した後の発言(2021年10月7日)、と同趣旨ではある。

 首相はこの時、「4島の帰属の問題を明らかにして、平和条約を締結する、これが従来の政府の基本的な考え方だ」と述べている。

 13日の林外相発言は、この岸田発言よりさらに踏み込んだ。

写真)記者会見する林芳正外相
出典)公益社団法人日本記者クラブ

 外相は「これまでの両国の諸合意を踏まえて交渉に取り組む」として、シンガポール合意に加え、1993年のエリツィン大統領と細川護熙首相(いずれも当時)による「東京宣言」、2001年の森喜朗首相(同)とプーチン氏による「イルクーツク声明」にわざわざ言及した。

写真)エリツィン大統領と共に「東京宣言」に署名する細川総理 1993年10月
出典)内閣官房領土・主権対策企画調整室 (写真Ⓒ内閣官房広報室)

 「東京宣言」は、「国後」、「択捉」、「歯舞」、「色丹」の4島名を列記して「法と正義」による解決を謳っている。イルクーツク声明も同様に4島を明記、これを追認する内容だ。

 二つの合意にわざわざ触れた林発言は「2島」を放擲、「4島返還」への回帰を、いっそう強くにじませるのが狙いではなかったか。 

 外相は13日の会見で、メモに目を落としながら、慎重に答えた。事務方が作成、外相が承認した想定問答とみられ、咄嗟に自分の判断で答えたものではなく、慎重に検討、決められた方針に沿ったとみるべきだろう。

 岸田内閣の北方領土問題に望む基本方針になるのかもしれない。 

 ■ 歓迎すべき「4島返還」への回帰 

 「4島返還」をいっそうにじませた林発言は、日本の国益を考えれば、むしろ歓迎すべきだろう。

 「2島返還」は主権放棄につながるからだ。

 国後、択捉、歯舞、色丹の4島は、歴史的にみて一度も他国の領土になったことがない。 

 日本とロシアの初めての外交取り決め、1855年の日露通好条約でも、国境は「エトロフ島とウルップ島との間にあるべし」と明記されている。詳細に立ち入ることは避けるが、そのほかの文書、歴史的経緯からも、日本固有の領土であることは明らかだ。 

 しかし、旧ソ連は、太平洋戦争で日本が降伏した直後の昭和20年8月末から9月にかけて、混乱につけ込んで、武力をもって4島を不法占拠した。その後も居座り続け、日本の返還要求に応じず、今日までその状態が続いている。 

 シンガポール合意において安倍首相が、歯舞、色丹の2島返還という大幅譲歩をしたのは、先方のかたくなな態度を考慮、2島だけでも取り戻すことができるなら、とりあえず実現し、国後、択捉については、共同経済活動の特区として双方が実利を得る手段を講じるのが得策という判断だった。

 1996年、安倍氏の地元、山口県・長門で行われたプーチン大統領との首脳会談で、安倍氏が漁業、医療、環境など8項目の共同経済活動を提案したのも、2島返還への布石だった。 

 ■ シンガポール合意はもはや根拠失う

 しかし、案の定というべきか、シンガポール合意での譲歩、共同経済活動という提案にもかかわらず、ロシア側はその後も返還に応じる意思をみじんもみせていない。

 2021年は、北方領土で軍事演習を繰り返し、7月下旬には、ミシュスチン首相が択捉島訪問を強行。同時期、プーチン大統領は、北方領土について前年の憲法改正に盛り込まれた「領土割譲の禁止」条項を盾に、北方領土の返還が困難なことをあらためて明確にした。

 この間、安倍首相は、シンガポール合意を見直すのか、維持するのか明確にしないまま2020年初秋に退陣。後任の菅義偉政権も、何らの決定をすることなく、約1年で総辞職してしまった。 

 こうした経緯を考えれば、シンガポール合意は、もはやその根拠を失ったと考えるべきだろう。

 1月13日の記者会見で、林外相は、シンガポール合意が依然効力を持つのかについては言及を避けた。当事者である安倍元首相への配慮と、首脳間の合意を破棄したと受け取られることへの影響を考慮した判断があったのかも知れない。 

■ 首相は施政方針演説で説明を

写真)記者会見に臨む岸田首相 2021年12月21日 首相官邸
出典)Photo by Yoshikazu Tsuno – Pool/Getty Images

 「4島返還」は戦後一貫して日本政府の悲願だった。主権を守ることは国の成り立ちの基本であるからだ。

 実利を得るのが目的としても、わが国の固有の領土を手放すことは、その主権を放棄するに等しい愚行という非難は少なくない。「自国の主権を維持する」(日本国憲法前文)という国の責務にも反するという指摘もなされている。

 「4島返還」の看板を下ろしてしまったら、尖閣、竹島問題にも極めて悪い影響を与えるだろう。

  「2島返還」は〝官邸官僚〟の誤った進言を容れた安倍内閣の失政という厳しい指摘すら聞こえてくる

 岸田政権が、「4島返還」に方針変更するにしても、「合意破棄」などと正面切って宣言する必要はあるまい。交渉の過程で事実上骨抜きにしてしまえばいいことだろう 

 通常国会が1月17日から始まる。岸田首相は就任後初めての施政方針演説を行う。「2島返還」を放棄し、「4島返還」という従来の日本の大原則に立ち返ることを国民、ロシアに鮮明にするには、またとない機会だろう。施政方針演説は召集日の17日に予定されている。

トップ写真:林芳正外相と英国のリズ・トラス外相 2021年12月11日英国・リバプールで開催されたリバプール博物館でのG7外相・開発大臣サミット初日
出典)Photo by Paul Ellis – WPA Pool/Getty Images




この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長

昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

樫山幸夫

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