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.政治  投稿日:2022/2/16

朝日新聞とヒトラー その2 小泉首相も標的に


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・朝日新聞の語法には悪魔化と呼ぶべき手法があり、悪の見本としてヒトラーとかナチスをよく使ってきた。

・菅元首相の橋下氏へのヒトラー呼ばわりを批判した朝日新聞の記事に当惑させられる。

・同紙はかつて靖国参拝した小泉元総理とヒトラーを結び付けて批判した。菅直人氏の「ヒトラー発言」を非難した記者は何と論評するか。

 

朝日新聞の語法には悪魔化と呼ぶべき手法がある。自分たちの嫌う相手、反対する相手に対してまるで悪魔のような邪悪の人物を重ねあわせる方法である。相手の意見や見解、さらには性格が気に入らないような場合、その相手を歴史上でも、現時点でも、悪だと断定されている他の人間と同様だと断じる手法なのだ。その悪の見本として朝日新聞はヒトラーとかナチスをよく使ってきた。

この語法はアメリカのジャーナリズムではdemonization、つまり悪魔化と呼ばれる。特定の対象を悪魔のように描くという意味である。だがほとんどの場合、その対象と邪悪な悪魔とは直接にはなんの関係もない。類似性さえもない。だがその目前の相手のごくごく一部の特徴を切り取って、まったく別の邪悪な存在、つまり悪魔といっしょくたにしてしまう。

朝日新聞はこの方法が得意なのだ。そして前述のように、その「悪魔」にはヒトラーを使うことが多かった。朝日新聞にとっての敵をヒトラーのような邪悪性が確定した存在に仕立てあげてしまう作戦である。朝日新聞の得意中の得意の戦術だといえる。標的となる側は実際にはヒトラーのような邪悪な存在とはなんのつながりもないのだから、かわいそうである。

私は朝日新聞の長年のそんな戦術を知るからこそ、今回、菅直人元首相の橋下徹氏へのヒトラー呼ばわりを批判した朝日新聞の記事に当惑させられるのだ。菅直人氏が橋本氏に「ヒトラーを思い起こす」と述べることが「不用意に持ち出すべきではない」とか「日本の見識が問われる」と非難するのならば、朝日新聞自身の長年のヒトラー利用の慣行はどうなのか。こんな疑問である。

では朝日新聞の紙面上でのヒトラー利用の実例をあげて、論評を続けていこう。

まずは古い例から始めることとする。

朝日新聞2001年12月11日付朝刊に載った「ポリティカにっぽん」と題するコラム記事である。筆者は朝日新聞コラムニストの早野透氏だった。この記事の主見出しは以下だった。

ファシズムか『小泉酔い』か

ここでいう小泉とは当時の日本の総理大臣の小泉純一郎氏のことである。この年、つまり2001年4月に総理に就任した小泉氏はかねての公約として総理としての靖国神社参拝を実行した。朝日新聞はもちろん猛反対である。中国政府と歩調を合わせての反対だった。

中国も朝日も首相の靖国参拝は「軍国主義礼賛」とか「侵略戦争の賛美」と断じていた。小泉首相は「戦争で自国を防衛するために戦った先人への弔意」であり、「心の問題だ」と述べていた。首相の靖国参拝は日本の防衛政策や戦争史観とは関係がない、という小泉首相の見解だった。だが朝日新聞は小泉首相や小泉政権への批判を政権発足の冒頭から激しくぶつけていた。

早野記者のこの記事はまず「小泉内閣のポピュリズムがファシズムになっていくということだけは気をつけていかなければならない」という古賀誠・自民党道路調査会長(当時)の言葉を取り上げていた。

ファシズムというのはほとんどヒトラーと同義語である。ファシズムの背後や土台にはナチス・ドイツが存在し、その中心は最高指導者のアドルフ・ヒトラーであることは、ふつうの日本国民ならまず常識として知っている。

だが小泉首相を論じるうえで、さらには日本のいまの政治を論じるうえで、まずこの「ファシズムか」という言葉自体は、無意味である。「ファシズムか」という表現が的外れだった。現実から離反していた。日本のいまの民主主義政治がファシズムになるはずがないからだ。

当時の小泉純一郎首相の政治の手法がどんな内容であっても、ファシズムになるはずがない。戦後の日本の民主主義の堅固な枠組みがそんな事態を許すはずがない。だが朝日新聞が古賀誠という当時の自民党内でもどぎつい色のついた反主流派の人物の見解をあえて取り上げ、ファシズムなどという言葉を登場させることがもう悪魔化の導入部だった。

同コラム記事はさらに以下のように書いていた。

《小泉さんはファッショなのかどうか。ファシズムといえばドイツのヒトラーだけど、それと比べるのはさすがに大げさだ。そこでチャップリンが映画『独裁者』でヒトラーを模したヒンケルと小泉さんを比べると、これがよく似ているので驚く》

▲写真 映画「独裁者」で、ナチスドイツの風刺である独裁者のアデノイド・ヒンケルを演じる俳優兼監督のチャーリー・チャップリン(1940年1月1日) 出典:Bettman/GettyImages

この記述はずる賢いといえる。小泉純一郎を本物のアドルフ・ヒトラーではなく、映画に登場するヒトラーのような独裁者にまず重ねるのだ。だが小泉氏をヒトラーと結びつけるという記事の最大主旨は明白だった。記事は以下のように続いていた。

《ヒンケルの演説は絶叫である。小泉さんの演説も絶叫でやんやの喝采を浴びる。ヒンケルはユダヤ人を敵に仕立てる。小泉さんは『私に反対するのは抵抗勢力』と明言している。ヒンケルはヒンケル・ボタン、小泉さんは小泉グッズを売り出す》

この記述はもう「小泉・ヒトラー」の重ねあわせを明確にしていた。早野記者は記事の冒頭でまず古賀誠という異端の人物の言葉を使って、小泉首相とファシズムを結びつける。そのうえで映画を利用して、小泉首相とヒトラーを結びつけていく。

小泉批判のために小泉氏とは本来なんの関係もない過去の邪悪の人物、つまりヒトラーを引き合いにするという手法だった。筆者の主観的、感情的な断定を支えるために過去の悪魔を持ち出してくるのである。この詐術のような筆法で「小泉→ヒトラー」という悪魔化の連想は読者にかなりの程度は伝わることとなる。

同記事はそのうえで後半で小泉氏を標的としてすえ、小泉首相の言動を「小泉酔い」のナルシシズムだと断定するのである。「小泉酔いのナルシシズム」なんて客観的にどんな意味があるのだろうか。筆者のトゲトゲした情を表すだけの、装飾つきの、ののしり言葉でしかない。つまりはこのコラム記事は悪魔化とののしりなのである。その中核となるのがヒトラーへの言及だった。

さあこの早野透記者が21年前に書いたこの記事での「ヒトラー発言」を、今回の菅直人氏の「ヒトラー発言」を厳しく非難する記事を書いた小手川太朗、石井潤一郎両記者は何と論評するだろうか。

(その3につづく。その1

トップ写真:靖国神社を参拝のため訪れる小泉元首相(2003年1月1日) 出典:Photo by Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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