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.国際  投稿日:2022/4/20

ロシアが突きつける核の脅威 最終回 ウクライナの核放棄が侵略を招いた


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視

【まとめ】

・ロシアが新戦略「非エスカレートのためのエスカレーション」に沿ってウクライナに核を使う最悪のシナリオも。

・ウクライナの「核放棄」がロシアの侵略を招いたとの分析も。NPTの効果は弱まった。

・日本流の「核兵器を全世界から全廃せよ」と一方的に叫ぶだけの対応ではなんの解決策も生まない現実が立証された。

 

アメリカ側の軍当局や核戦略専門家がさらに注視するのはロシア側の核がらみの新戦略のなかの「非エスカレートのためのエスカレーション」という概念である。この概念は地域的な軍事衝突や戦争が起きた場合に、ロシア側からみての戦闘の拡大を防ぐために、早期に戦術的な小型核兵器を使うという作戦だとされる。

ロシア側では直接に「非エスカレートのためのエスカレーション」という表現は使ってはいない。だがその内容は地域的な限定戦争でロシア軍に対する敵側への支援拡大を防ぐために、早い時期に限定された核攻撃を断行して、敵側の動きを抑え、戦争自体のエスカレーションを防ぐ、あるいはロシア側の敗北を防ぐ、という考え方である。

アメリカ側ではロシア軍がウクライナで万が一、核兵器を使う場合はこのエスカレート防止の戦略に沿うという最悪シナリオが複数の専門家によって予測されている。

しかし今回のウクライナ戦争には壮大な歴史の皮肉がある。侵略されたウクライナがかつて大規模な核戦力を保有していた事実である。だがウクライナはその核戦力をみずから放棄した。もし放棄しなければ、今日のロシアによる侵略はなかっただろう、という歴史の逆説なのである。

この点はワシントンの安全保障研究機関「民主主義防衛財団」の戦略政治研究部長ブラッドレー・ボウマン氏が2月末に発表した論文「プーチンのウクライナ侵略は核兵器拡散をあおる」と題する論文で詳しく説明されていた。

同論文はウクライナが1991年、崩壊したソ連から独立するまでは世界第3位の核兵器保有を続けてきたことを指摘し、94年のブダペスト覚書で合計1800基もの核弾頭やミサイルを放棄したことが今回のロシアの侵略へとつながったと分析していた。

ボウマン氏の論文は侵略される国の側に核兵器があれば、その侵略の可能性が減るという現実を強調していた。ウクライナ戦争はウクライナも加盟した核拡散防止条約(NPT)の効果を弱め、多数の国に自国の防衛上の核兵器の効用を実感させたという主張だった。

さてプーチン大統領の今回の言明に対するアメリカでの反応に報告を戻そう。

この言明が単なる脅しなのか、それとも実行がありうるのか。その点をめぐる議論が軍事、戦略の専門家たちの間で熱っぽく始まったのだ。そのうちの代表的な実例を以下に伝えよう。

アメリカの主要外交問題専門誌「フォーリン・ポリシー」が3月11日に掲載した専門家2人の緊急対談である。登場は欧州問題研究の大手機関「大西洋評議会」のマシュー・クローニグ副所長エマ・アシュフォード上級研究員だった。ともにアメリカの政府や大学で欧州やロシア、米欧関係などを専門としてきた人物である。

この対談は「プーチンは核兵器を使うか?」と題されていた。まさに関心対象の核心だった。

以下は2人の意見の交換の一部である。

クローニグ氏 「今回のウクライナをめぐる動向で当然ながら最も恐怖を感じるのはロシアと米欧側との核戦争の危機の可能性だ。東西冷戦の終了後、初めてロシアの核戦力が臨戦状態におかれたのだ」

アシュフォード氏 「プーチン大統領とラブロフ外相の両方から『もし欧米側がウクライナに直接の軍事介入をすれば、ロシアとの核戦争の覚悟をせねばならない』という警告が発せられたわけだ。ロシアは核兵器保有国なのだ、という改めての警告だといえる」

▲写真 プーチン大統領とラブロフ外相(2018年) 出典:Photo by Mikhail Svetlov/Getty Images

クローニグ 「ロシアはいまこそ『非エスカレートのためのエスカレーション』戦略を実行する構えをみせたわけだ。いざとなれば核兵器を使うぞ、と脅して、米欧側が引き下がれば、ロシアは目標達成となる。いまの段階ではアメリカとNATOを後退させるための脅しに過ぎないといえるが、ウクライナでの戦闘が長引くと、ロシアの戦術核兵器の使用という危険も現実になりかねないと思う」

アシュフォード 「私もその危険性は現実的だとは思う。しかしウクライナはNATOのメンバーではない。アメリカの核の傘には入っていない。だからアメリカは非同盟国のために核戦争になりかねない紛争に軍事介入はすべきではないと思う。しかしアメリカとしてロシアのウクライナの完全軍事制圧を防ぐ支援の方法はまだ多数、あるはずだ」

クローニグ 「しかしどうあっても米欧としてはロシアのウクライナ完全占領だけは許容できない。かといって核戦争はできない。米欧はかつてないジレンマに陥ったわけだ」

以上の対話のごく一部分を一読しただけでもプーチン大統領の今回の核宣言がアメリカや西欧に投げた重大な暗雲の深刻さがわかるだろう。

核兵器がもたらすこうした現実の危機は日本流の「核兵器を全世界から全廃せよ」と一方的に叫ぶだけの対応ではなんの解決策をも生まないことが改めて私たち日本国民の目前で立証されたともいえよう。

(終わり。その1その2その3。全4回)

**この記事は月刊雑誌「正論」2022年5月号の古森義久氏の論文「プーチンの『核宣言』と米欧のジレンマ」の転載です。

トップ写真:ハルキウでは、ウクライナ東部におけるロシアの新たな攻撃に対する備えが行われている。(2022年4月16日 ウクライナ・ハルキウ) 出典:Photo by Chris McGrath/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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