津軽弁で押し通すアイドル 方言とソウルフードについて その5
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・津軽弁というのは、世代を超えて堅持されている数少ない方言のひとつ。
・同じ方言でも世代によって用法や意味合いが異なる。
・津軽弁のイントネーションは、あまりにも標準語とかけ離れているので、 かえって標準語を話す際にも妙なイントネーションにならない。
「RINGOMUSUME=りんご娘」というグループをご存じだろうか。
青森県弘前市を拠点に活動する、いわゆるご当地アイドルで、メンバー全員、りんごの品種を芸名としている。王林、ジョナゴールド、彩香(さいか)、とき等々。歴代メンバーを検索すると、金星、つがる、紅玉などの他に、あまり聞いたことのない品種の名前もある。
私なども、インドりんごとは実は米国インディアナ州原産である、といった程度の知識はあったが、りんごの品種がそれほど多岐にわたるとは知らなかった。
彼女たちには、もうひとつ特色がある。全員、津軽弁でまくし立てるのだ。とりわけリーダーだった王林という子は、身長170センチのモデル体型と、津軽弁での「天然発言」のギャップが受けて、バラエティ番組などで引っ張りだこになっている。
どのあたりが「天然」なのかと言うと、たとえば映画を見る際は、まず一人で見に来ている人を探して隣に座る。しばしばストーリーが分からないので教えてもらうためだとか。それだけでも迷惑この上ないと思うが、その隣の人のポップコーンを食べてしまったこともあるなどと悪びれずに語ったりする。
それは天然でなく非常識と言うべきだろう、と思うが、これまで幾度となく
「美人はなにをしても許される」
と書いてきた手前、あまり強く批判もできないのが辛いところだ笑。
さて、本題。
これまでも、ご当地アイドルと呼ばれる人たちはいたが、方言を正面に打ち出すことは、あまりなかったのではないか。もっとも彼女たちの場合は、青森への思い入れをアピールするために、あえて方言で通しているのではないか、と見る向きも多いようだが。
まったくの偶然ではあるが、古い友人の一人に青森県出身者がいたので、色々と質問することができた。ちなみに現在、都内の私大で日本文学の教鞭をとっており、その彼が以前、
「上京してきた友人は、みんな標準語になってるよ。津軽弁で仕事をするというのが状況的にあり得ないので」
と語ってくれたのを覚えていた、という理由もある。
まず、王林が津軽弁でまくし立てたところ、あるお笑いさんが。
「フランス語にしか聞こえない」
と言って笑いを取ったエピソードについて聞くと、
「イントネーションがよく似ている、ということは、前々からよく言われますね」
とのことだった。ちなみに、同じ大学の文学部で、方言を研究している教授から聞かされた話として、
「津軽弁というのは、世代を超えて堅持されている数少ない方言のひとつ」
なのだとか。多くの地域で、親の世代までは方言が通じても、この世代には伝承されず、TVなどの影響と思われるが、むしろ標準語でないと話が通じにくい、という現象が起きているのだとか。
そう言えば、2013年上半期のNHK朝ドラ『あまちゃん』が大ヒットした際、岩手県出身の女性ライターと、こんなメールのやりとりをした。
「かっこいい、を〈かっけー〉と発音するのは、岩手の方言だったんだね」
「え、方言なんだ。標準語かとばかり思ってた」
こちらは当人に言わせると、彼女の出身地は一ノ関というところで、岩手県内の市町村としては最南端であり、同じ岩手県内でも、ドラマの舞台となった三陸海岸とはかなり離れているので、
「方言からなにから、結構違うと思います」
とのことであった。そう言われてみれば、イギリス英語と一口に言っても「20マイル(約32キロメートル)離れればアクセントが違う」とされている。岩手県は都道府県の中で北海道に次いで広く、四国四県に相当するほどの面積を持つから、それどころではない、という話なのであろう。
TVのせいで全国的に「標準語化」が進んだと言われる、という話は、ここにつながってくる。たしかにそうした現象はあると考えられるが、私のように東京で生まれ育った子は、むしろTVを通じて方言に接する、という体験をしてきている。
たとえば四国の方言と言っても、実はさまざまなのであるが、NHK大河ドラマで『龍馬が行く』を通じて土佐弁に、同じくNHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』で伊予弁に触れた、というように。
そのまた一方では、こちらは多少の自己批判も込めて語らねばならないが、東北地方の方言と言うと、ズーズー弁という言い方でひとくくりにイメージしてしまう傾向が、私にもあったと思う。
さらに言えば、同じ方言でも世代によって用法や意味合いが異なる、ということも実際にあるのではないだろうか。
これまた個人的な体験だが、板橋の実家にいた頃、地元商店街に沖縄居酒屋ができたので、よく飲みに行くようになった。その店のマスターに、
「沖縄の人に、あんたは〈てーげー〉だって言っちゃいけないの?」
と質問したところ、真顔でたしなめられてしまった。
「林さん、それ絶対ダメですよ。ケンカになっちゃいますよ」
ところが、ほどなくして、沖縄の大学を休学して東京の劇団のオーディションを受けまくるべく上京してきた、という女の子と知り合うことがあって、その話を聞かせたところ、大笑いされてしまった。いわく、
「信じらんない笑。てーげーって言われて怒るような人、ウチナンチュじゃないっすよ」
東京の男としては、ボクシングの渡嘉敷がヒゲをたくわえたような居酒屋のマスターの言うことを信じるか、安室奈美恵にちょっと似た女優の卵の言うことを信じるかという、結構難しい選択だった……という話ではなくて、ここまで来ると方言も外国語と一緒だな、と思った。これは差別的に言っているのではなく、正確な理解に至るのはなかなか難しい、という意味なので、誤解なきように。
またまたそれで思い出したが、元「りんご娘」(9月から新メンバーで活動再開だとか)のメンバーが津軽弁で押し通しているのは、やはりご当地アイドルだけに一種の「営業用」ではないか、などと言われていることについても、くだんの大学教授は、
「まず間違いなく、その通りでしょう」
と断言した。彼に言わせると、津軽弁のイントネーションは、あまりにも標準語とかけ離れているので、かえって標準語を話す際にも妙なイントネーションにならないのだとか。
こうしたことを踏まえて、方言を大切にした方がよいのかと聞かれると、私としては、
「こうあるべきだ、と結論を下すことなどできない」
と言う他はない。
まず、私自身は、たとえ地方で暮らしても、自分の話し方を変えようと思ったことはないので、地方から上京してきた人に東京風の話し方を強要する考えはない。とは言え、言葉がコミュニケーションの手段である以上、日本語なら日本語の、ひとつの基準値のようなものがないと(それを標準語と呼ぶのが適当か否かは、また別の議論になるとして)、困ったことになるのではないか。
西洋の伝承によれば、人間がその昔、一致団結して天まで届く「バベルの塔」を建設しようとしたところ、神が怒ってバチくれることにした。その神罰というのが、「互いに言葉を通じなくさせる」ことであったというくらいなもので。
次回、諸外国の方言事情とソウルフードの話を。
トップ写真:青森県鰺ヶ沢近郊の果樹園(1990年10月1日) 出典:Photo by Bohemian Nomad Picturemakers/CORBIS/Corbis via Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。