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.政治  投稿日:2022/8/29

「参拝」も「国葬」も説明不足のままだ 戦争と歴史問題について 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・靖国戦没者は大半が餓死と病死。「国に殉じた英霊」と言うよりは「無謀かつ無能な戦争指導部によって失われた命」。

・「法的根拠も曖昧なまま、国民ひとしく弔意を表せ、ということでよいのか」が安倍元首相「国葬」問題の本質。

・戦争犠牲者も、凶弾に斃れた安倍元首相も、政治利用されることこそ不本意の極みだと言いたいところではないだろうか。

 

岸田首相がコロナに感染した。当初、公邸で療養すると伝えられたが、どうやら無症状かそれに近いようで、リモートでの公務を続けている。

今次、第7波と称される蔓延の元凶となったのは、やはり変異株だが、感染力は強いが重症化リスクは低く、そのため昨年のような行動制限もせずに済んでいる。それにしては死亡率の上昇に歯止めがかからないとも報じられているし、よく分からない。

24日には、医療機関の負担を減らすため、患者の全数把握を見直し、入国時の陰性証明も免除する方向であると、オンラインの記者会見で明らかにした。

医療機関の負担を減らすべきであるという点では、どこからも異論は出ないと思うが、国民の不安を払拭し得るような説明とはほど遠かった。

統一教会の問題に限らず、岸田内閣(と言うより現在の自公政権)は、とにかく国民が抱く素朴な疑問に対して真摯に向き合う姿勢が感じられない。

さて、本題。

今年も閣僚など大物政治家の靖国参拝が報じられた。

コロナ禍が収束しない時節柄、さすがに「みんなで靖国神社に参拝する会」の集団参拝は見送られたが、首相になったら公式参拝する、と公言している高市早苗・内閣府特命担当大臣(科学技術政策等担当)や、萩生田光一・自民党政調会長らが参拝している。

玉串料(お賽銭のようなもの。5000円~1万円が相場らしい)も私費で納めたということなので、現時点では信仰の自由の範囲内であるが、総理になったら公式参拝するとの発言は、神経を疑うと言わざるを得ない。

「国のために命を捧げた英霊に感謝するのは、国民として当然のこと」

というのが「みんなで参拝」する人たちの論理だが、アジア太平洋戦争について少しでも学べば、この論理は受け容れがたくなると、私は思う。

写真)靖国神社を参拝する高市早苗氏(左から4人目)や尾辻秀久氏(同5人目)ら。(2014年8月15日)

出典)Photo by Atsushi Tomura/Getty Images

まず、大日本帝国陸海軍は、この戦役で230万人もの犠牲者を出している。他に、空襲などによる民間人の犠牲がおよそ100万人。政府の公式見解では計310万人とされているが(シリーズ第2回参照)、この見積もりはいささか過小ではないかと、複数の研究者が指摘している。

ひとまず軍人・軍属(軍に雇用された人。炊事や雑役を担うことが多かった)の犠牲者に話を絞るが、問題はその内訳である。230万人のうち、本来の意味での戦死……というのも妙な言い方だが、直接的に敵の銃砲弾によって落命した人は、どのくらいか。

こちらはほとんどの資料が一致するところだが、軍艦の沈没による死者も含めて、70万人いるかいないかだとされている。他に、輸送船が片っ端から撃沈された結果、移動中に海中に没した陸軍兵士が、およそ40万人いるとされる。

両者合わせて100万人をわずかに超えるわけだが、そうなると残りのおよそ200万人は、どのようにして亡くなったのか。

驚くなかれ、大半が餓死と病死なのである。

病死の多くは、マラリアなど熱帯風土病によるものだが、太平洋戦線における日本軍は、兵站について真面目に考えていなかった。兵站とは単に補給だけでなく、武器弾薬の調達から傷病者の後送・医療、各種のサービスまで、要するに直接の戦闘行動以外の大半の任務が含まれる。

南太平洋のガタルカナル島の攻防戦は、補給を断たれた日本兵の惨状から「餓島」と呼ばれた。ビルマ(現ミャンマー)と英領インドの国境を突破しようと試みたインパール作戦など、250名で出撃した中隊のうち、戦闘による死者は7名。生還者は48名、後は全員、ジャングルで野垂れ死にしたという記録も残されている。

したがって私は、戦没者について「国に殉じた英霊」と言うよりは、

「無謀かつ無能な戦争指導部によって、失われずに済んだはずの命までが数多く失われた。その数200万以上」

と考えている。

もうひとつ、前回も紹介した『反戦軍事学』(朝日新書・電子版配信中)でも触れたが、そもそも英霊=戦死者は神となって靖国神社に祀られる、という思想は、天皇を現人神(あらひとがみ)とする思想と表裏一体であった。

よく知られる通り日本国憲法の制定に先駆けて、具体的には1946(昭和21)年1月1日、昭和天皇が「人間宣言」を発したことにより、その思想自体が否定されたのである。これについても『反戦軍事学』の中で、三島由紀夫の『英霊の聲』という小説を引き合いに出しつつ1項を割いて述べたので、できればご参照いただきたい。

さらに言うなら、英霊に感謝、という言葉も欺瞞ではないか。靖国神社は「慰霊」の施設ではなく、英霊を「顕彰」する施設である。前述した無謀な戦争指導の最高責任者であったA級戦犯が合祀されているのに、たとえば沖縄戦で散った「ひめゆり学徒隊」の女子学生などは、英霊に数えられていない、という事実と併せて考えていただきたい。

私が、アジア太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んで、物量の差で負けたが戦争目的は間違っていなかった、などと主張する人たちを批判し続けるのは、戦死についてまともに勉強していないくせに、日本国民としてどうのこうのと上から目線で講釈を垂れる手合いが多いからである。

以上を要するに、高市大臣が「首相になったら公式参拝する」と公言しているのは、政教分離も反戦平和思想も真っ向から否定し、軍国主義に回帰するのだと言い切ったに等しい。先に憲法改正をすると言うのなら話はまた別だが、またしても「解釈改憲」で宗教的行為に税金を費やそうとするのが関の山ではあるまいか。私の好きな江戸落語の口調を借りれば、

「そういう了見だから早苗さん、あんたんとこにゃあ総理の椅子は回ってこない」

ということになる。どうかこれが、笑い事で済みますように。

もうひとつ、安倍元首相の国葬の問題だが、こちらも26日に

「警備費を除く費用2億4940万円を全額国費で負担する」

と閣議決定した。

写真)安倍晋三元首相の葬儀で献花に訪れる人々(2022年6月12日 東京・増上寺)

出典)Photo by Yuichi Yamazaki/Getty Images

同日の世論調査では、国葬それ自体に「反対」が「賛成」を20ポイントも上回っていたが、これについても二階俊博・自民党元幹事長は、24日に都内で講演し、

「それ(反対意見)があったからと言って、やらなかったらバカ」

などと発言した。反対意見を表明した過半数の国民はバカという理屈になるが、こんな人物を幹部にする自民党を選挙で勝たせ続けたから、こういうことを言われるのだ。

そもそも論から言うと、1926(大正15・12月25日より昭和元)年に公布された「国葬令」が、日本国憲法の発布にともなって廃止されているので、政府が閣議決定だけで国葬を執り行えるという法的根拠がない。

内閣府設置法で可能だ、と考える人もいて、実際に吉田茂・元首相の国葬は、閣議決定により執り行われた(1967年10月31日)。

ただしこれについても、異論を唱える人が多いという事実は指摘しておきたい。国税庁設置法があるからと言って、税務当局が勝手に税率を決められるわけではないのだ。

他に賛成派の意見を見ると、たとえば「2ちゃんねる」の元管理人であった「ひろゆき」氏が、弔問外交ということで、各国の高官が来日するのだから、コストも見合う、という意見を開陳した。

たしかに「税金の無駄遣いだ」という論法で国葬に反対する人も見受けられるが、議論の本質はコスト論ではない。法的根拠も曖昧なまま、国民ひとしく弔意を表せ、などということでよいのか、という話だ。

これはもちろん、私一人だけの意見ではなく、他にも様々な反論にさらされた「ひろゆき」氏は、

「国葬が駄目なら〈お別れ会〉とか」

などと言い出す始末。有力な反論にさらされるや、論点をずらしてしまうというのは詭弁としても幼稚に過ぎて、まったく「論破王」が聞いて呆れる、という話なのだが、弔問外交と見なせば、ということ自体は、たしかにユニークな視点ではある。

これは、基本的に私の推測であることを明記しておくが、拙速に国葬を決定した岸田政権の考えは、新型コロナ禍もあって、安倍元首相のように派手な外交パフォーマンスを演じられない自分が、外交の表舞台で「主役」になれる好機だということだったのではないだろうか。統一教会の問題で、完全に裏目に出たわけだが。

前述の『英霊の聲』という小説は、特攻隊員の霊が降臨して、

「などてすめろぎは人となりたまいし=天皇はどうして人間になったのか」

などと語る、という内容だ。天皇が神ではないとすれば、自分たちは一体なんのために死んだのか、と。

彼ら戦争犠牲者にせよ、凶弾に斃れた安倍元首相にせよ、政治利用されることこそ不本意の極みだと言いたいところではないだろうか。

トップ写真: 靖国神社と喪章をつけた日本国旗

出典:Getty Images

 

 




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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