人権に鈍感な日本 ウクライナ集団墓地・拷問施設、日本もモノをいえ
樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【まとめ】
・ウクライナ東部でみつかった拷問施設、集団墓地について、日本政府は何のコメントもしていない。
・人権問題への消極姿勢はいまに始まったことではない。過去には各国と逆の行動をとって協調を乱したこともあった。
・日本はロシアのウクライナ侵略以来、強力な制裁を発動、健闘してきた。息切れすることなくロシアへの非難を続けるべきだ。
人権問題に日本はまだまだ鈍感なようだ。
ウクライナ東部で最近みつかった拷問室、集団墓地が国内でも大きく報じられているが、政府からは厳しい非難、今後どういう手段をとるべきかの議論が、全くと言っていいほど聞かれない。
日本は過去、人権問題をめぐって軽い対抗策にとどめ、ときには各国と逆行するような対応をとったこともある。
中国や北朝鮮の人権状況が改善されないのと同様に、日本の人権問題に対する意識が向上しないのもやはり残念というべきだろう
■ 特別法廷の提案、広がる国際的な糾弾
ウクライナ東部ハルキウ州でロシア軍撤退後の今月中旬、10か所にものぼる拷問室(torture chamber)が見つかり、同州イジュームの集団墓地からは、首にロープをまかれるなど、拷問の後のある遺体が約500体掘り出されている。
拷問にかけられながら生き延びた人たちの証言、現地からの報道などによると、拷問室はロシア軍占領地のビル、鉄道の駅などに設置されたみせかけの〝警察署〟に作られた。
拷問は電気ショックなどで行われ、悲鳴が周りに聞こえるようにと、換気装置のスイッチを切って音を消す周到さだったともいう。
想像を絶する冷酷さに驚きながら、各国は直ちに非難、糾弾の声を上げた。
米国家安全保障会議のカービー戦略広報調整官は「ロシアによる戦争犯罪であることを明確にするため国際的努力に積極的に協力する」との方針を表明した。
フランスのマクロン大統領は、戦争などでの残虐行為を意味する「atrocity」という極めて強い言葉を使って非難。9月のEU(欧州連合)議長国、チェコのリパフスキー外相は、ウクライナでの個々の戦争犯罪を捜査している国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)とは別に、ロシアの侵略戦争自体を裁く特別法廷を設置して、プーチン大統領らを訴追すべきだと主張している。
■ 岸田首相、国連演説でもふれず
こうした動きとは裏腹に、日本国内ではまったくといっていいほど、反応、議論がみられない。
各メディアでは、イジュームからのニュースを大きく報じているが、これらについて岸田文雄首相、林外相らが、何らかの非難コメントを出したということは聞かない。
岸田首相は9月20日にニューヨークの国連総会で演説したが、ロシアの侵略を非難はしたものの、この問題には触れずじまい。アメリカのバイデン大統領が今回の問題を念頭に「ロシアによる大量虐殺、戦争犯罪の証拠は明らかだ」と各国に訴えたのとは大きな違いだった。
メディアも関心を持たないのか、外相、官房長官の会見などで質問はほとんど出ず、これをめぐる目立った論調もみられない。わずかに9月18日付の沖縄タイムズが、「真相解明のために国際法廷を機能させよ」と主張した程度だ。
旧統一教会、故安倍晋三首相の国葬の是非、急激な物価高などに関心が集中している状況を考慮しても、大国のあり方として違和感を感じる向きも少なくなかろう。
▲写真 ウクライナのPishanske墓地。447体の遺体が墓地から発掘された。(2022年9月23日、ウクライナ・イジューム) 出典:Photo by Paula Bronstein/Getty Images
■ サウジ記者殺害では型通りのコメント
人権問題で日本が遅れをとったケースは今に始まったことではない。
言論の自由と相まって世界的な非難、反発、関心を呼んだ2018年のサウジアラビアの著名ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の殺害事件。
訪れたトルコ・イスタンブールのサウジアラビア総領事館が事件の舞台で、本国から派遣された〝暗殺団〟の犯行だった。
▲写真 ドイツのベルリンでカショギ氏の死の2周年にサウジアラビア大使館の外でデモを行う国境なき記者団の人々ら。(2020年10月2日、ドイツ・ベルリン) 出典:Photo by Sean Gallup/Getty Images
英独仏3国の外相は事件直後に共同声明を発表し、真相解明と責任者の処罰を強く求めた。フランスは関与していた政府高官ら18人の入国禁止などの制裁を科した。
事件当時、アメリカのトランプ政権はサウジ批判を控えていたが、バイデン政権になってから、高官17人の資産凍結などを断行した。
日本政府は事件直後に菅義偉官房長官(当時、後に首相)が、「コメントを控える。早期の真相解明、公正で透明性ある解決を望む」と述べるにとどまった。制裁発動は見送った。
事件の残虐性やムハンマド皇太子の関与がささやかれていたことなどには一切触れらておらず、素っ気ないことこのうえないコメントだった。
「報道の自由、人道的見地から事態を注視していく」と付け加えたことも、積極さをアピールする効果をみじんももたらさなかった。
■ 各国は外交官追放、日本は誕生祝い
同じ2018年3月4日、ロシア元情報機関員の父娘が亡命先の英国で襲われ重体に陥った事件への日本の対応は、お粗末を通り越して驚くべきものだった。
旧ソ連時代に開発された神経剤「ノビチェク」が使用されたことが判明したため、英国のメイ政権(当時)は制裁として、同年3月14日、ロシアの大使館員ら23人を追放。同調した米国は60人の多数にのぼるロシア外交官をやはり国外退去処分とした。
▲写真 防護服を着た専門の警官が、風によって吹き飛ばされた法医学テントを確保している。テントに覆われているベンチはセルゲイ・スクリパリと娘が倒れていた場所。(2018年3月8日、イギリス・ウィルトシャー州・ソールズベリー) 出典:Photo by Matt Cardy/Getty Images
3月20日のメイ首相からの電話で協力を要請された安倍晋三首相(当時)の返答は「化学兵器の使用は容認できない。使用した者は罰せられなければならない。早期の事実関係究明を期待したい」という通り一遍のものだった。
びっくりさせられたのはこの後だ。
メイ首相の電話の翌日、ロシアのラブロフ外相を東京に招いて河野太郎外相(当時)との会談が行われた。この日はラブロフ氏の誕生日だったらしく、日本側は、あろうことか昼食会に特製のバースデー・ケーキまでふるまう破格のサービスぶりをみせた。
▲リンク写真 日露外相会談ワーキングランチで、ラブロフ露外務省にサッカーボールの形をしたバースデーケーキをプレゼントし、お返しにFIFA公式サッカーボールを受け取る河野太郎外相(当時)2018年3月21日、日本・東京 出典:ロシア外務省公式Twitter
各国が口を極めてロシアを非難、外交官追放合戦で緊張が高まっているときに、日本は正反対に会談をキャンセルもせず、「ハッピー・バースデー」に浮かれる太平楽、その姿勢は各国にどう映ったろう。
日ごろ傲慢な河野氏は、ロシアにはへつらうのかと思われてもやむを得ないだろうが、肝心の北方領土問題に何の進展もなかったのだから、その罪は重い。
2020年8月、ロシアの著名な反体制派弁護士、アレクセイ・ナワリヌイ氏がシベリアの空港で、飲み物に「ノビチョク」を盛られて瀕死の重症に陥った事件の際も、日本は沈黙を守ったままだった。
安倍晋三首相の退陣表明直後の混乱にあったとはいえ、そうした時にあっても、浮足立つのではなく、堂々と信念を披歴してこそ、真の大国だろう。この時もアメリカ、イギリス、ドイツなど各国はロシアを強く糾弾していた。
■ 来年のG7議長国としての自覚を
ことほどさように、日本側の人権問題への甘い対応は枚挙にいとまがない。
1989年の中国天安門事件での制裁をいちはやく解除、中国の銭其琛外相(当時)が、最も姿勢の弱かった日本に働きかけ、天皇訪中(1992=平成4年)を実現させて包囲網を突破したーと回想している。日本にとっては屈辱的な話だろう。
ミャンマー、ウィグルをめぐる対応でも国際的な人権団体などから厳しい批判を浴びている。
日本はロシアの侵略を受けて、ロシアの外交官8人を追放、ヘルメット、防弾チョッキなど防衛装備品をウクライナに供与した。過去には見られない異例の強い姿勢だった。
それだけに、ここでロシアの蛮行をみながら沈黙を守れば、後々後悔し、各国からも、やはり〝息切れ〟かと冷ややかな視線を浴びるだろう。
来年、日本はG7(主要国首脳会議)の議長国となる。政治討議では人権問題も大きな議題になる。采配ぶりを誤ればG7のなかでの存在感がますます薄れることを、岸田首相は自覚すべきだ。
トップ写真:ウクライナの Pishanske墓地で遺体を発掘する救助隊員と法医学警察。22人の兵士と5人の子供を含む合計447体の遺体が墓地から発掘された。(2022年9月23日、ウクライナ・イジューム) 出典:Photo by Paula Bronstein/Getty Images
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この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長
昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。