なぜカタール大会なのか 熱くなりきれないワールドカップ その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・20日(日本時間21日)、FIFAワールドカップ・カタール大会(中東では初)が開幕する。
・世界的にサッカー人気は低迷していて、今ひとつ盛り上がっていない。
・コロナの影響もあるが、「利権まみれのワールドカップ」にサッカーファンが気がつき始めているからではないか。
いよいよ始まった!
……と大いに高揚して然るべきなのだが、今回は今ひとつ盛り上がりに欠ける。
20日(現地時間。日本時間21日)、FIFAワールドカップ・カタール大会が開幕する。4年に1度開かれるサッカーの世界大会で、今次は第22回。中東では初めての開催となる。
それがどうして、今ひとつ盛り上がらないのか。
理由のひとつは、日本を含め、世界的にサッカー人気が落ちている、ということがある。様々な理由を指摘できるのだが、やはりコロナ禍の影響を見逃すことはできない。
これはデータの上からも明らかな話で、1993年に開幕したJリーグは、紆余曲折はあっても人気を保ち続け、2019年にはJ1の一試合あたり平均入場者数が、初めて2万人を超えるまでになった。
ところが2020年には一転、コロナのせいで中断や無観客試合を余儀なくされ、多くのクラブが赤字転落の憂き目を見たのである。
私自身は、以前にも述べたようにTV観戦にも利点はあると考えているが、年季の入ったサッカー好きの多くは、スタジアムで味方に声を限りの声援を送ってなんぼ、と考える傾向があることは否めない。
この原稿を書いている19日、すなわちワールドカップ開幕前日の段階でも声出し応援は全面的に解禁されていない上、開催国カタールでも入国にはワクチン接種済みであることの証明が義務づけられている。さらに言えば、イスラム圏であるがために、会場周辺での飲酒は禁じられ、ビールも売らないそうだ。
厳密に言えば、ホテルなどでは飲めるのだが、なんでも1杯1900円するとか。いくら円安進行中でも、これはひどい。
そのようなカタールが、なぜ今次の開催国に選ばれたのか。
個人的な感想になるが、6年前に開催国が発表された際も(よりによって……)と思った。
ある年代以上のサッカー好きで「ドーハの悲劇」は忘れたくとも忘れられない。
この話は項を改めるとして、ここでカタールの概要を見てみよう。
アラビア半島の東北端から、さらにペルシャ湾に突き出たような地形の、カタール半島をその領域とする。面積は1万1427平方キロメートル。秋田県とほぼ同じである。人口は250万人ほどで、秋田県は97万人弱(いずれも2019年の統計)であるから、人口密度はやや高い。
問題はその内訳で、カタール国は1971年に英国の保護課から独立を果たした非常に若い国だが、独立当初からの国籍保持者=生粋のカタール人は10パーセントほど。あとは主として南アジアからの移民労働者であるという。その大半が男性なので、国全体の女性人口は30パーセントほどでしかない。また、アラビア語が公用語だが英語も広く通じる。詳しい説明は不要だろう。
こうした次第なので、住人の多くは、カタール国への帰属意識を持たない(そもそも法的に帰属していない)人たちで、当然ながらナショナリズムもいたって希薄だ。
サッカーの代表にせよ、生粋のカタール人は皆無に近い。大半がブラジルなど南米出身者だ。別名「ブラジル2軍」であるとい事実が、内実を端的に物語っている。
これはサッカーに限ったことではなく、国威発揚を目指す、という大義名分のもと「帰化政策」がとられた結果である。有望な若手をカネの力で引き抜き、国籍を与えてカタール代表の一員とするわけだ。
かねてからFIFA(国際サッカー連盟)では、こうした事例が増えるのを防ごうと、年代にかかわらず一度でもどこかの国の代表に選出された選手は、国籍を変更しても変更した国の代表になれない、という規定を設けていた。
しかし、法の抜け道というのはあるもので、たとえば日本代表が初出場した1998年フランス大会では、イングランド代表の選考に漏れた選手の幾人かが、ジャマイカ国政を取得して同国の代表として出場した。
私個人としては、そのこと自体を非難する考えはない。
歴代日本代表の中でも、ブラジル出身の選手が主力として活躍した例は結構あるし、最近ではハーフの選手も台頭著しい。一方では、日本で生まれ育った在日の選手が北朝鮮代表に招聘され、その後は韓国のリーグにスカウトされる、といった事も起きている。そしてこれは、間違いなくよいことなのだ。サッカー文化とは、決して偏狭なナショナリズムの上に成り立ってなどいないはずだから。
ならばどうして今次のカタールの例を批判的に語るのか、と言われるかも知れないが、その理由は簡単で、代表の強化もワールドカップ招致も金次第という風潮を認めるわけには行かないからだ。
今次の大会は、冒頭で述べたように11月下旬から12月初旬にかけての開催となるわけだが、普通は6月か7月に開催される。
おおむねどこの国でも、サッカーの国内リーグは秋から春にかけて戦われ、カレンダーも「2021シーズン」ではなく「21-22シーズン」というように書かれる。6月か7月であれば、シーズンの端境期に当たるため、どこのクラブも選手を各国代表に送り出しやすい。
しかし、国土の大半が砂漠であるカタールでは、6月はすでに盛夏でスポーツどころではない、という話である。
それでもなんでも開催国に選ばれたのは、オイルマネーの力に違いないと衆目が一致している。実際にFIFAは2015年に、開催国選定やTV放映権を巡る汚職のかどで、当時の副会長を含む幹部多数がスイス警察(本部がスイスにある)に逮捕される、という事件を起こしている。この不祥事への反省から、開催国選定作業をガラス張りにする、という取り組みがなされてはいるが、カタールでの開催が決まったのは、この改革が実行される少し前の話であった。
そして、さらに遺憾なことは、これがワールドカップだけの問題にはとどまらない、ということだ。
今や世界的にサッカー人気が低迷する傾向にあるのだが、前述のようにコロナ禍の影響は見逃せないものの、実はそれが全てであるとも考えにくい。
たとえばリーガ・エスパニョーラ(スペイン1部リーグ)だが、FCバルセロナとレアル・マドリードの二強状態が長く続いて、他のクラブには優勝のチャンスがほとんどない。
レアル・マドリードの愛称は「白い巨人」だが、資金力のある「巨人」だけがスター選手をかき集める、ということを長く続けてきたため、結果的にリーグ全体の人気が下がって、コロナ禍がある程度収まっても、感染の客足はなかなか戻らないのである。
Jリーグにせよ、コロナ禍の影響で赤字転落したクラブがいくつもあると述べたが、資金が枯渇すると選手層を厚くしようとしてもできない相談になってしまう。結果的に試合のレベルが落ち、ファン離れに拍車がかかる、という悪循環が生まれるのだ。
僭越ながら私を含め、サッカー者にとってのワールドカップとは、世界最高レベルの真剣勝負を見る機会であり、日本なら日本の勝ち負けは二の次という気風さえある。
まして「利権まみれのワールドカップ」など、その事実を知っただけで興ざめになってしまうものなのだ。
(つづく)
トップ写真:FIFAワールドカップカタール2022 カタールファン(2022年11月20日 カタール アルホール)
出典:Photo by Michael Steele/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。