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.社会  投稿日:2022/11/28

落選の系譜(下)熱くなりきれないワールドカップ その5


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・三浦知良選手が代表メンバーから外されて以降、メンバーが発表される度に賛否両論が巻き起こっている。

・思い描く戦術や相手選手との相性によって、実績と才能がある選手でも代表に選べない場合がある。

・今次の大会メンバーも、試合の流れを変えるスーパーサーブを複数名そろえた方が合理的、との判断に基づいたものだっただろう。

 

Jリーグの旗揚げと前後して、少年サッカーの強化に力が入れられるようになり、有力な若手が台頭した結果、悲願のワールドカップ本大会出場を果たしたが、一方で長年にわたって日本におけるサッカー人気を牽引してきた、カズこと三浦知良が代表メンバーから外されてしまった経緯について前回述べた。

同時に、岡田武史監督の人選を非難する声に対して、気持ちは分かるがサッカー者の立場として支持はできない、とも述べた。

ここで話を再びオフト監督が招聘される以前の日本代表に戻すと、ワールドカップなど別世界の話、という前提でもって、

「あいつは一所懸命やってるから、代表に選んでやろう」

などという発想がまかり通っていたのである。カズについて「功労者だから選ぶべき」という議論を私が認めない理由について、これ以上の説明は不要だろう。世界のサッカー相手に浪花節は通用しないのだ。

とは言え、このカズの一件を皮切りに、毎度代表メンバーが発表されるたびに、賛否両論が巻き起こるようになったことも、また事実である。

フランス大会の後、2002年の自国開催(正確には日韓共催だが)に向けて、日本代表の強化を託されたのがフィリップ・トルシエだった。

実はそこにも紆余曲折があって、協会上層部が最初に白羽の矢を立てたのはアーセン・ベンゲルだった。日本で監督経験があり、それもJリーグにあって「お荷物」「恥さらし」とまで言われていた名古屋グランパスに、

「サッカーとは考えながら走るスポーツだ」

との意識を受け付ける事で強豪に育て上げた手腕は、高く評価されていた。なおかつ彼自身も日本人の規律正しさを高く評価していたのである。

しかしながらこの当時は、ロンドンの名門アーセナルで指揮を執っており、その契約がある以上、日本代表の監督就任を求められても、できない相談であった。

それでも自他共に認める親日家であるベンゲルは、日本の協会からの要請を、無下に断ることはしなかった。彼なりに日本サッカーの現状を分析し、適任と思われる監督を紹介したのである。それがトルシエであったというわけだ。

もともとはフランス2部リーグの選手で、ワールドカップ出場経験などない彼は、当然ながら日本ではまったく無名だったが、ベンゲルの紹介なら、ということで招聘されたらしい。

そのトルシエは、前回紹介した中田、城、小野らのパフォーマンスを見て、

(この世代に賭けてみよう)

と考えた。当人がそのように述懐している。代表の大幅な若返りを断行し、またA代表と23歳以下の代表監督を兼任して、ワールドカップの本大会初勝利を目指した。

同時にこの時期は、中村俊輔という新たな才能が台頭していた。正確無比という表現でも追いつかないほどの、精度の高い左脚のキックを武器に、中田英寿らに次ぐ平成世代として初めてA代表に名を連ねた選手だ。(2022年12月16日 追記修正)

しかしその中村は、2002年大会の代表メンバーからは落選してしまった。当時、トルシエ監督が、

「ナカムラは肉を4㎏食べて筋トレをしっかりやらないと、代表では通用しない」

と述べたという話が、まことしやかに広まったが、この話の出所はどうも曖昧である。つまり、いまひとつ信用しがたい。

事実は、直前の代表合宿で中村は膝を痛め、その回復が思わしくなかったから、ということであった。

とは言え、トルシエ監督がフィジカルを重視していたことについては、多くの状況証拠がある。

たとえばこの当時、日本代表の守護神と呼ばれていたGKは、フランス大会でも日本のゴールを守った川口能活であったが、日韓大会で起用されたのは、楢崎正剛であった。より大柄で(川口179㎝、楢崎187㎝)ガチンコに強い楢崎こそ、新たな守護神にふさわしいと判断されたに違いない。

さらに言えば、中村はたしかにフィジカルの点では問題があった。当人が、

「ヒデさん(中田英寿)のフィジカルは、化け物じみていた。僕に、あの真似はできない」

と語ったことがあるほどである。具体的には、中田の突破を阻止しようと、ユニフォームを後ろからつかんで引っ張った(もちろん反則だ)相手選手を逆に引きずり倒したという武勇伝が引き合いに出された。

ただ、中田のフィジカルというものは、持って生まれた能力以上に、中学時代から練習量ではだれにも負けなかった(当人があまりそれを語らないが)という、努力のたまものなのである。このあたりから「話が盛られた」結果、くだんの肉4㎏食べてどうのこうのという噂が広まったのではないかと私は考えているが、これはまあ推測の域を出ないことだ。

トルシエ監督に話を戻すと、中村をメンバーから外した一方で、それまで起用しなかった中山雅史と秋田豊を招集した。

この大会で攻守にわたって活躍し、ベルギー、ロシアから1ゴールずつ挙げて一躍ヒーローになったのが、当時22歳だった稲本潤一で、彼もトルシエ時代を回想して、

「ゴン(中山)さんと秋田さんが、チームをとにかく盛り上げてくれた」

と感謝の気持ちを述べている。

「エースを11人(試合に)送り出せば必勝の体制になるわけではない」

というのがトルシエ監督の持論で、岡田監督とはまた違った意味でチームの和を重んじていたのである。それで思い出されるのは、岡田監督自身が、前回述べたカズの落選について、2度目の監督就任(2010年南アフリカ大会)の時であったなら、

「試合で使わなくとも、チームの士気を鼓舞するといった役割を期待して、代表に詠んだかも知れない」

と語ったことだ。

これが監督という仕事の難しいところで、才能と実績がある選手でも、自身が思い描く戦術や他の選手との相性を考えると、代表に呼ぶわけには行かない、という場面も出てくる。

そして、そうした選手を外したら、たちどころに囂々たる非難を浴びるのだ。この観点からすれば、若手主体のチーム作りを進めつつ、最終段階でベテランとの融合を実現したトルシエの手腕に、一日の長があったと考えることもできる。

そのトルシエ監督の後、2006年ドイツ大会の指揮を任されたのは、ジーコであった。

セレソン(ブラジル代表)として赫々たる戦歴を残し、日本でも40歳にして鹿島アントラーズのエースとなった世界的ビッグネームである。

ところが、落選という問題とは違うが、チームの内部分裂によって、またしても一次リーグ敗退の憂き目に遭ってしまう。

まずは直前の合宿で、あえてここでは名指ししないが、実力はあるのに試合に出してもらえない(当人たちの主観である。念のため)選手たちが、無断外出した上に乱痴気騒ぎを演じるという事態が起きた。世に言う「キャバクラ7」で、これがマスメディアにすすっぱ抜かれ、当然ながらジーコも協会も、そしてファンも激怒した。

一度は彼らの招集が見送られたが、結局幾人かはドイツに帯同した。しかしながら、汚名返上となる活躍は見せられなかった。チームがチームとして機能しなくなっては、まず勝てない。

今次のカタール大会に際しても、森保監督の人選には批判的な向きが多かった。

とりわけ、大迫勇也、原口元気の二人が落選したことに対しては、元代表まで

「点を取る気ないでしょ」

などという動画をYouTubeに投稿したほどだ。二人は令和の日本代表にあって、攻撃陣の軸と見なされていたのである。

▲写真 FIFAワールドカップでコスタリカと対戦した日本代表(2022年11月27日) 出典:Photo by Richard Sellers/Getty Images

ただ、今次の大会では招集人数26名、一試合での交代枠6名まで認められることになっていた。つまりは、コンディションに疑問符がつくエースより、ここ一番で試合の流れを変え得るスーパーサブを、それも複数用意した方が合理的、という判断になるのだ。

個人的には、従前の招集枠23名、交代枠3名の方が、駆け引きの妙が見られて面白かったのだが、新型コロナ禍に対応する(いつ誰がリタイアもしくはコンディションを崩すか分からない)処置であると知ったなら、文句も言えなくなる。

いずれにせよ、蓋を開けてみれば、緒戦で優勝候補ドイツを相手に逆転勝ち。SNSなどでは「今まで(悪口言って)すみませんでした」といった謝罪メッセージが殺到したようだ

が、はっきり言って、こういうことだからだから日本サッカーはまだまだ、と考えざるを得ないのである。

次回は、ワールドカップを報じる、論ずるとはどういうことか、私なりの考えを開陳させていただきたい。

(つづく。その1その2その3その4

トップ写真:日韓ワールドカップにおけるトルシエ監督(真ん中)2002年6月14日 出典:Photo by Gunnar Berning/Bongarts/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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