今は昔の♪そのうち何とかなるだろう♪ つまずきのトラウマ残る日本経済【2023年を占う!】金融
神津多可思(公益社団法人 日本証券アナリスト協会専務理事)
「神津多可思の金融経済を読む」
【まとめ】
・今年の日本経済を振り返ると、今の日本には「能天気なムードはほとんどない」。
・2000年代以降、日本のデフレ均衡が根付き始めた。欧米先進国がカンバン方式「ジャスト・イン・タイム」化する一方で、日本は万が一に備える「ジャスト・イン・ケース」の経営を重視。
・日本経済の重要課題はみな2023年に持ち越される。過小なリスク・テイクが解消しなければ、日銀の言う良いインフレにはならない。
気が付くともう師走。今年も全く予想外の連続だった。振り返りついでに昭和にまで思いを馳せると、当時の今でいうお笑いタレントのグループに「ハナ肇とクレージーキャッツ」があった。そのヒット曲に「だまって俺について来い」がある。曲の名より「そのうち何とかなるだろう」という歌詞を覚えておられる昭和世代の方々も多いだろう。作詞は、都知事にもなった青島幸男氏によるものだ。
今の日本には、そういった能天気なムードはほとんどない。何とかなりそうなことでも、色々と論評を加えて判断を先送りしがちだ。リスクをとる気概とそれに対する社会の許容度が低下しているということになるか。掛け声は繰り返し聞かれるのに、なぜリスク・テイクが積極化しないのか。2022年ももうすぐ終わるこの季節に、改めてこの点を考えてみたい。
■ デフレ均衡が根付いたのは2000年代以降
日本経済はデフレ均衡に陥った。そういう表現がしばしばなされてきた。そうだからこそ、前年比で4%に届こうという勢いの消費者物価にも関わらず、金融政策では異次元の緩和が続けられている。もう耳慣れしてしまっているが、今の金融緩和はこの世のものではない緩和なのだ。その修正がまだできないと日銀が言っているのは、デフレ均衡から完全に脱出していないと判断してのことだろう。
2%のインフレが安定的に実現しないと「インフレ均衡」にならないという整理なので、実現のバーはかなり高くなっているのだが、問題の根源にあるデフレ均衡はいつ頃日本に根付いてしまったのだろうか。もう昔のこととなってしまい、話題にも上らなくなったが、21世紀に入っての数年の間は、まだバブルの後始末の最終局面で、世の中の関心の的はそこにあった。過ぎてみれば、2000年代央には一応バブルの後始末は完了したと言えるのだが、当時、リアル・タイムではなかなかそうは実感できなかった。
1997~98年の銀行危機を経験した日本企業は、そのようなめったに起こらないショックがあっても企業活動を継続できる力を持つためには、今でいう抵抗力のある(レジリアントな)経営が重要なことを実感していた。レジリアントであるためには、できるだけ身軽でなくてはならない。また、債権者への依存が大きいと、彼らの判断の変更で急に資金繰りが苦しくなることも痛いほど経験した。それらの一種のトラウマは、バランスシートの資産サイドでは流動性のある資産の厚みを増すことに、負債サイドでは自己資本と負債の比率であるレバレッジを圧縮することに繋がった。日本企業は、言わば万が一に備える「ジャスト・イン・ケース」の経営を重視するようになったのである。
奇しくも2000年代以降、欧米先進国の企業は、新興国を巻き込んで、より効率的なサプライチェーンをグローバルに展開し、それを通じてコストを最小化し、利益を最大化する経営モデルにますます舵を切っていった。経営がカンバン方式「ジャスト・イン・タイム」化したと言っても良いだろう。途中、国際金融危機という大きなショックがあったが、その傾向は2010年代に入るまで続き、その中で日本企業のグローバルな相対的地位が低下を続けたのである。
日本の企業経営がジャスト・イン・ケース化する一方、人口の高齢化も速いスピードで進んだが、労働者の雇用機会の確保重視のムードも強まった。それは、バブルの崩壊、銀行危機を通じて、多くの雇用機会が失われるのをみた働く者にとって自然なことだ。
このようにして、日本国内のデフレ均衡の与件が揃った。日本企業はよりコストのかかるジャスト・イン・ケース経営を重視し、したがって国際競争に勝ち抜くための大規模な新規投資についても控え目になる。他方、収益性は改善しないので、コスト・カットを行い、価格競争力で対抗しようとする。そういう努力をしないと、株主への説明責任も果たせない。賃金もコスト・カットの例外ではないが、労働者側は上述のように雇用機会の確保を優先させる。
また、国内の家計はバブルの崩壊に懲りて株式への投資には慎重になる。マクロ経済を刺激するための傾向的な金利引き下げにも関わらず、本格的な高齢化を控えた家計の膨大な貯蓄は銀行預金に留まったままだ。しかし、不良債権処理の苦しみを経験した銀行は、当然、元本が保証される預金によって集めた資金をリスクの高い分野で運用しようとはしない。
こうした展開の結果、企業のリスク・テイクは不活発で、物価は上がらず、並行して賃金も上がないという状況が現出し、それでも10年、20年という時間が経過することになった。これがデフレ均衡と呼ばれるものなのではないか。だとすれば、このデフレ均衡は、今となっては多くの人の頭の中でそう整理されている訳ではないだろうが、バブルの崩壊、その意味合いの認識に手間取ったこと、さらに実際の後始末の過程で生じた様々な摩擦といった、過去のつまづきのトラウマがもたらしたことになる。
■ グローバル経済の変容と日本企業の立ち位置
ところが、2010年代以降は、今度は日本以外の世界の状況が大きく変わり出す。中国経済の高成長、その成功故にもたらされた米中の政治的対立、それに加えコロナ禍もあって生じたグローバル・サプライ・チェーンの分断。さらには地球環境悪化に対する認識の急速な高まり。これらの変化は、グローバル企業の経営において、今一度、ジャスト・イン・ケースも重要であることを思い出させた。経営のジャスト・イン・タイム化に支えられた収益改善にもブレーキがかかる。あたかもグローバル経済の歯車が逆回転を始めたかのようにもみえる。
他方、日本企業側では、残念ながら、まだ目にみえて過去のトラウマが払拭されたという証拠は見い出せない。しかし、10月に公表された国際通貨基金(IMF)の世界経済見通しでは、2023年の日本の実質経済成長率は、+1.6%と、米国(+1.0%)、ユーロ圏(+0.5%)、英国(+0.3%)など他の主要先進国よりも高い。これだけで変化を嗅ぎ取るのは無謀だが、珍しいことであるのも事実だ。日本が過去のトラウマから立ち直ったとまでは言えなくとも、彼我の違いが縮小する兆しであると良いのだが。
とは言え、日本経済の重要課題はみな2023年に持ち越される。デフレ均衡の本質的問題が過小なリスク・テイクにあるとすれば、それが是正されなければ、日銀の言う良いインフレにはならない。
2022年度の主要企業の設備投資計画は、現時点でも全般的にかなりの増加となっている。こうした動きもまた、日本企業の新しいリスク・テイクの開始を告げるものであってほしい。
後は金融仲介だが、より生産性の高い分野を拡げていくリスク・テイクを銀行に求めるのはそもそも難しい。新しいビジネスは、大きく成功するものがある一方で、失敗もたくさん出る。そうした投資は、本来、株式を通じて、大数の法則による保険機能を掛けながら行われるべきものだ。貯蓄から投資へとは、そうした金融仲介のパイプを太くすることを意味する。顧客のライフ・ステージに合わせた資産形成を助けるという能力を、金融機関がどこまで高めることができるかが重要になる。
2023年、♪そのうち何とかなるだろう♪とまではいかなくても、がんばっていけば何とかなると、より多くの人が感じられる日本経済になってほしい。
トップ写真:イメージ 出典:iStock / Getty Images Plus
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この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト
東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト
1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。
関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員。ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。