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.国際  投稿日:2023/1/2

囮捜査に賛否噴出 インドネシア


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

 【まとめ】

・インドネシアで「汚職撲滅委員会(KPK)」と「国家麻薬捜査局(BNN)」の2つは最強の捜査機関といわれている。

・パンジャイタン海事投資調整相が囮捜査は国の国際的なイメージを悪くすると批判。

・人権団体、学生組織、学識経験者などは「囮捜査を批判することこそが国際社会でのイメージを悪化させる」と反発。

 

インドネシアで「汚職撲滅委員会(KPK)」と「国家麻薬捜査局(BNN)」の2つは最強の捜査機関といわれている。警察や検察が汚職と腐敗にまみれている現状から、独立機関であるKPKとBNNに対して「悪い奴ほどよく眠る」である汚職事案と心と体を蝕む麻薬事案に大ナタを振るい閣僚から芸能人まで次々と容疑者を摘発する姿勢に国民は大きな信頼と期待を寄せているいるという現実がある。

KPKによる汚職捜査の一環であり、有力な捜査手法である「囮(おとり)捜査=インドネシア語で略してOTT」に対して現職閣僚が注文を付け、それに対してKPKなどが反論するという論争が年末のインドネシアを騒がせている。

ことの発端はルフット・パンジャイタン海事投資調整相が12月20日に首都ジャカルタで開催されたイベントで「OTTはインドネシアの国際的なイメージを悪くする。デジタル技術を用いた監視などで摘発を進めれば誰も反対などしない。完全な清潔者は天国にのみある」と発言した。

これはKPKによる囮捜査を正面から批判し、天国以外の現世には汚職とは無縁の完全な清潔者は存在しないと汚職を容認するような発言で、大きな議論を巻き起こした。

悪弊一層のため創設されたKPK

KPKは2003年に独立の英雄として今でも国民の尊敬を集めるスカルノ初代大統領の長女であるメガワティ・スカルノプトリ大統領の肝いりで設立された独立機関で、閣僚、政治家、外交官、地方政府首長、司法関係者、警察・国軍関係者など大物の汚職を次々と摘発し、訴追して裁判で有罪に追い込んだ。

設立以来これまでにKPKが摘発した「汚職関与者」は実に1519人に上っている。

1998年に民主化のうねりの中で崩壊したスハルト長期独裁政権は32年間の長期政権で「権力は腐敗する」を体現し国内には「汚職・腐敗・親族重用(KKN)」が蔓延していた。スハルト大統領の妻ディエン夫人は「マダム3%」と陰口をたたかれる「賄賂3%」を要求するなど政権内部や権力機構は大半が「賄賂」に染まり、一種の「インドネシア文化」となっていた。

■外国人もKKNの洗礼

スハルト時代にインドネシアに滞在する日本人など外国人は滞在ビザ更新を自分でやろうとすると数カ月を要したが、移民局にコネのあるエージェントに現金を渡して更新を依頼すれば約1週間で手続きは終了した。

交通違反で警察官に摘発されそうになった場合も現金でその場で解決できたし、長蛇の行列が常態化していた国際空港での入国審査も別室に行き現金を挟んだパスポートを提出すれば瞬時に入国スタンプが押された。

このようなKKN体質は民主化が実現した以降もインドネシア人のDNAに刷りこまれたように相変わらず「社会の潤滑油」として「立派に機能」していた。

しかしメガワティ大統領が設立したKPKはそうしたインドネシアの悪弊に正面から切り込んだ。それこそそうした汚職体質排除がインドネシアの国際的評価を改める大きな要素であるとの使命感からだった。

■ 牙を抜かれたKPK

ところが独立捜査機関としてのKPKが有する権力で次々と政治家などの摘発が強化されることに危機感を抱いた集団が現れた。なんとそれが国会議員たちで、2019年にKPKの捜査を制限する改正法案を可決してしまった。

主な改正点はKPK職員を国家公務員とする、上部機関として監督評議会の発足、盗聴捜査などはこの監督評議会の許可が必要などでKPKの捜査権力を制限する改正でKPKは「牙を抜かれた」と学生や人権活動家は改正案成立前からデモを繰り返して反対した。

しかし自身や所属政党関係者へのKPKの汚職追及を阻止するため国会議員が一団となり法案は可決され、新たな委員長に南スマトラ州警察本部長で汚職疑惑も指摘された人物を任命したのだった。

こうした動きにメガワティ大統領が党首を務める与党「闘争民主党(PDIP)」を後ろ盾とするジョコ・ウィドド大統領は「法案改正は国会の責務」としてあえて反対しなかった。

しかし2024年の大統領選に向けた国会議員や政党による資金調達が激しくなる中、KPKは息を吹き返したのように裁判官、州政府幹部などの汚職摘発に積極的に動き出す。その主な手法が囮捜査だったのだ。

■ 囮捜査批判に反論噴出

囮捜査を「インドネシアの国際的なイメージを悪化させる」と批判したルフット調整相は12月27日、環境関係のイベントで「OTTは問題があり、国のイメージを損なうものだ」「OTTは恥ずべき行為である」などと再びKPKによるOTTを批判する発言を行った。

これに対し人権団体、学生組織、学識経験者などは「囮捜査を批判することこそがインドネシアの国際社会でのイメージを悪化させる」と一斉に反発している。

KPKの委員長も12月27日に全捜査官に対し「法に従い躊躇することなく捜査に当たって欲しい」と訓令。

ルフット調整相の2度に渡る批判発言に対しては28日に「KPKは国家機関であり権力者を含め何人からも介入や干渉を受けることはない」と毅然とした姿勢を内外に示し、「牙を抜かれた」KPKが「牙はなくとも噛み付くことはできる」ことを示したのだった。

2019年の法改正でKPK捜査員は国家公務員となるため「国家忠誠度試験」なるものを全員が受験させられ、75人が失格し51人が解雇された。

その中には敏腕捜査官が複数含まれており捜査力は著しく低下した。

KPK改正法案が可決した2019年の前年である2018年には261件の汚職事件を立件したKPKだが「牙を抜かれた」直後の2020年の捜査は捜査着手が22件で立件2件に止まった。

ところが2022年には149件の汚職事案を捜査し、最高裁判事2人、州知事4人、市長2人などを摘発するという実績を上げ、KPK復活の兆しを対し国民は喝采で迎えている。

こうした中での「囮捜査批判」はルフット調整相自身あるいは関係者など政権へのKPKの汚職捜査が及ぶことを懸念したのではないかとの見方が有力だ。つまり現在も政界には汚職構造が脈々として引き継がれていることを暗示しているといえる。

インドネシアの「国際的なイメージダウン」だと気炎を上げた閣僚の発言が逆に「イメージダウン」を招来する結果になっていることをルフット調整相は知るべきだろう。

トップ写真:ジョコ・ウィドド大統領が汚職撲滅委員会で演説をする(2014年6月26日、インドネシア・ジャカルタ) 出典:Photo by Oscar Siagian/Getty Images




この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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