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.国際  投稿日:2023/8/23

世界最悪の大気汚染 ジャカルタ 健康被害深刻 政府有効対策なし


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・ジャカルタの大気汚染が世界最悪レベル。政府は抜本的解決策なし。

・大気汚染が軽減される雨季が期待されるが、エルニーニョ現象により乾季長引く。

・大統領や議員の最大の関心は「大気汚染問題」より大統領選。

 

インドネシアの首都ジャカルタの大気汚染が世界最悪レベルに達し、市民、特に子供への健康被害が深刻になっている。政府やジャカルタ特別州政府はこうした不名誉な事態に対してなんら有効な対策を打つことなく、公務員などの自動車通勤の制限のほか、在宅ワークの推奨、空からの化学物質散布による人工降雨、健康被害対策として子供への予防接種などが実施されたり検討されたりしているがいずれも対症療法に過ぎない。

ジャカルタ市内には北部の工業地帯などに約10の化石燃料発電所があるほか工場も多く、そこからの排煙、さらにいまやタイのバンコクを抜いて東南アジア最悪とされる渋滞による自動車やバイクの排気ガスが大気汚染の元凶とされている。

政府はジャカルタ市内複数地点での大気汚染度の観測を進め、基準以上の排気ガスを出している企業や工場に対して環境汚染税による課税も検討しているが、これも根本的解決には程遠く、日々状況が悪化する状態が続いている。

 

★在宅ワークや公共交通機関利用

スイスの大気汚染防止技術提供組織である「IQAir」がジャカルタを世界最悪の大気汚染都市であると発表したことを8月9日に地元メディアが一斉に伝えた。これを契機に深刻な大気汚染の状況が連日報道されることになり、一気に注目を集める結果となった。

ジョコ・ウィドド政権や州政府は車両からの排気ガス削減を目指して公務員やビジネスマンに「在宅ワーク」を求め、なお毎週水曜日は自動車やバイクによる通勤を禁止して公共交通機関の利用を義務付けることや電気自動車の利用を求める方針を明らかにした。

さらに保健当局は子供や60歳以上の高齢者に対する予防接種で大気汚染による健康被害の予防に乗り出す方針を明らかにしている。

大気汚染による健康被害としては具体的に心臓病、気道感染症、閉そく性肺疾患、肺癌、未熟児、喘息、息切れなどの可能性が指摘されている。

 

★エルニーニョ現象で長くなる乾季

さらに2023年はエルニーニョ現象により通常は8、9月で終了する乾季が長引くことが報告され、市民の憂鬱が続いている。乾季後に来る雨季には降雨により大気汚染は軽減されることがあるため、雨季の到来が期待されていたのだ。

こうした地球的な気候条件も加わってジャカルタの大気汚染は日々深刻化しているが、政府の環境林業省は「報道されているほど深刻ではない」との見解を示し、世界最悪というレッテルに抵抗を示している。

同省担当者によるとジャカルタ中心部には高層ビルが林立しており、これが大気や風の通り抜けを阻碍して滞留するという「ストリート・キャニオン現象」が主な原因であると指摘しているが、市民からは「責任回避」と批判を浴びる結果となっている。

環境保護団体「ワルヒ」は政府が大気汚染対策の一つとして挙げている電気自動車(EV)の利用促進に関して「EVのリチウムイオン電池に不可欠なニッケルの採掘現場の環境問題」に対するジョコ・ウィドド大統領の危機感欠如を厳しく批判し、大気汚染問題への意識も希薄であると指摘している。

 

★住民訴訟で政府敗訴の過去生かされず

ジャカルタの大気汚染は2023年に限ったことではなく以前からその被害が指摘されていた。2019年には「大気汚染に対する不十分な対策で市民が清浄な空気を吸う権利が侵害されている」と市民32人がジョコ・ウィドド大統領、政府閣僚、州政府を相手取って訴訟を起こした。

ジャカルタの裁判所はこれに対し「大気汚染を防止し、対策を講じるということを怠り、放置した責任がある」と市民側勝訴の判決を下したのだった。

政府は控訴を検討したものの当時のジャカルタ州のアニス・バスウェダン知事が「判決に従う」として行政側の責任を認め、以後大気汚染は行政にとって最大の課題の一つとなったはずだった。

しかしその後、知事の交代もあり有効な対策が講じられることなく、ついに世界最悪の大気汚染都市としての汚名を冠される状況となったのだ。

 

★大統領、議員の関心は大統領選

報道を受けて大気汚染は今ジャカルタで最もホットな話題となっているが、ジョコ・ウィドド大統領や政権にとっては2024年2月に迫っている大統領選挙に関心が移っていることは否めない事実だ。

政府が打ち出した「在宅ワーク推奨」も雇用者団体からは「生産効率が落ちる」として反対されており、公共交通機関の利用義務付けも違反者の発見、罰則などが不透明であることもありその実効性には大きな疑問が投げかけられている。

目の前の喫緊の「大気汚染問題」より来年の大統領選挙が政治家、国会議員の最大の関心事となっていることがジャカルタ市民の悲劇となっているのだ。

トップ写真:ジャカルタの街並み(2022年12月4日撮影)

出典:Photo by Kaveh Kazemi/Getty Images




この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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