ワイン通=オタク論 酒にまつわるエトセトラ その7
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・ワインのソムリエに求めることは嗜好、予算、料理に最適なワインを選んでもらうことで、講釈を聞かされることではない。
・日本では戦前、「ワインは甘いもの」と思われていたフシがある。
・今や日本はワイン大国だが、日常的にワインを楽しむ文化が根付いているかは疑問。
今世紀の初め頃のことだと記憶しているが、少林寺拳法の道場に、本業はソムリエだという男性が入門してきた。ワインについての知見を仕入れる好機だと思って、近いうちに一杯やろう、と声をかけたところ、彼の返事はこうであった。
「僕、お酒飲めないんですよ」
目が点になったが、さらに話を聞いてみると、ソムリエは下戸の人が結構多いのだとか。
「お酒が強い人って、なに飲んでもおいしく感じるから、味に厳しくなくなるんですよ」
という理由だとか。言われてみれば、なるほどと思えるところもあったが、そもそも酒を飲めない人が、どうしてソムリエになろうなどと思い立ったのか。
いずれその点をじっくり尋ねてみたかったのだが、彼は残念ながら長続きしなかったので、この根源的な疑問は未だに解決できないままだ。ジャーナリストの悪い癖と言われれば返す言葉がないが、真偽をたしかめられないままというのは、なんとも気分が悪い。
この事もあって、これまた偏見だと言われるのを覚悟して述べさせていただくが、私はワインについてやたら語りたがる人というのは、一種のオタクだと思うようになった。
ワインに詳しいのはれっきとした美徳だが、クソ生意気なソムリエが、
「ビロードのような舌触りが……」
などと言うのを聞くと、
「あんた、いつどこでビロード食べたんだ?」
などと、ツッコミを入れたくなってしまう。こちらはワインのプロだ、というところを見せたいのだろうが、日本語のプロに対しては、もう少し表現に気を配ってもらいたい。まあ、ソムリエの技量は、そうしたボキャブラリーで評価される面があると聞くので、仕事柄、ということは理解できるが。
真面目な話、私がソムリエに求めるのは、こちらの嗜好と予算、それに料理との相性が最適のワインを選んでもらうことで、味見をするより先に意味不明な講釈を聞かされることではない。
まして、やたらワインのウンチクをひけらかしたり、こちらの発言をすぐ訂正するような手合いとテーブルを囲むのは御免だ。レストランとは、店の人も交えて和気あいあいと料理や酒を楽しむ場所であって、知識を競い合ったり論争したりする場所ではあるまい。
たとえとして適切か否か、自信は持てないのだが、兵器のスペックにだけやたら詳しく、実戦の最中に講釈を垂れるような軍事オタクが同じ陣地にいたら、最初にそいつの息の根を止めておかないと、こちらは命がいくつあっても足りないというようなものである。
与太話はさておき、日本人とワインとの関わりについて少し見てみたい。
前にも述べた通り、ワインは数千年も前から西アジアで醸造が始められ、ギリシャ、ローマを通じて地中海世界に普及した。ただしその後、北アフリカについては大半がイスラムの勢力圏となり、飲酒の文化そのものが廃れたため、ヨーロッパ南部が主たる産地となったのである。
たとえばドイツだが、この国はビールのイメージが強いけれども、それはライン川以北の話で、以南はワイン文化圏である。と言うより、ヨーロッパ全体が、ライン川を挟んでワイン文化圏とビール文化圏に二分されているのが実態に近い。
日本には、ビールと同様、戦国時代に始まった南蛮貿易を通じてもたらされた。
1948(文明15)年、関白近衛家の人間が「チント」を飲んだと記録されているが、これはまず間違いなく、赤ワインのことだろう。スペイン語とポルトガル語では、いずれも赤ワインをヴィーノ・ティントと言う。字義通りには「染められたワイン」という意味だが。
ビールと同様、明治維新以降に本格的な輸入が始まり、また国内での醸造も奨励された。
ただ、普及の度合いではビールにかなり後れをとることとなる。
理由は単一ではないと思うが、世上よく言われるのは、米飯と魚料理に慣れ親しんできた日本人には、ワイン(とりわけ赤)のタンニンから生じる渋みが喜ばれなかった、ということだ。ビールの苦みはどうなのか、と言われるかも知れないが、実際には日本料理の世界でも、鮎とビールなど「出会いのもの」と呼ばれ、その組み合わせが賞賛されている。
こうした日本人の嗜好が、国産ワインにも影響を及ぼさないはずはなく、蜂蜜等で味付けした甘いワインが主流となった。赤玉ポートワインが典型だが、戦前の日本人は、
「ワインは甘いもの」
と思い込んでいたフシがある。
たしかにヨーロッパにもポートワインは存在する。ポルトガル北部・スペインとの国境に近いドウロ地方の名産で、ポルト港から出荷されるのでこの名がある。
その製法はと言えば、醸造の過程で度数の高いブランデーを添加し、これにより果糖をアルコールに転換する酵母の働きが止まってブドウの甘みが残り、なおかつ度数も高くなるというわけだ。読者ご賢察の通り、これはデザートワインである。
女性と飲食を共にして、相手がポートワインをおごって欲しいと言ったら、それは。
「今夜はOKよ」
というサインだという話もある。これはあくまで都市伝説なので、この話を鵜呑みにしてなにか問題が生じても、筆者とJapan in depthでは責任を負わない。
話を戻して、ワイン好きな人が皆そうだというわけではないが、かなりの割合で、ワイン以外の酒(とりわけビールやウィスキー)を見下す傾向があって、これこそ私が彼らと仲良くできないと考える、もうひとつの理由だ。
ワイン好きとオタクが同列に見えるというのも同じ理由で、ワイン以外の酒を認めないと言わんばかりの態度は、いくらなんでも了見が狭いのではないか。
以前にも述べたことがあるが、ウィスキーの世界もなかなかに奥深いものであるし、自分の嗜好と知見だけが最高のもの、というのは、思い上がりもはなはだしい。
さらに許しがたいのは、金持ちアピールのために高価なワインを見せびらかす手合いだ。
世がバブル景気に沸いていた1980年代末期、私は日本にいなかったので、直接的な見聞はなきに等しい。この話は『課長・島耕作』(弘兼憲史・著 講談社)という漫画で仕込んだネタなのだが、当時関西の高級クラブでは、
「ロマコンのピンドン割り」
という注文がよくあったそうだ。
ロマコンとはフランスでも最高級とされる銘柄ロマネ・コンティで、ピンドンとは同じくシャンパンの中でも最も高価な部類に入るドン・ペリニョンのピンクのことだ。それぞれ(ワインの方は年代にもよるが)、飲食店で頼むと1本数十万円する。
漫画の台詞を借りれば、
「フランスでそんなことしたら死刑ですよ」
という所業だ。私は根っからの博愛主義者なので、殺意までは覚えないが、さすがにこれはひどい。値段のことを言う以前に、精魂込めてワインを作った人たちに対する、一種の暴力である。
その後バブルは崩壊し、デフレと呼ばれる世相の中で、ワインの値段も下がってきた。
それも追い風になって、今や日本はアジアで突出したワイン大国となっている。ただ、日常的にワインを楽しむという文化が本当に日本に根付いているか、どうか。
人間、水を飲まないと生きて行けないが、酒を断っても死ぬことはない。肩肘張らず、安くておいしい物こそ最高、という価値観を捨てずに行きたいものだ。
トップ写真 出典:gilaxia/gettyimages