移民労働者と技能実習生(上)ポスト・コロナの「働き方」について その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・コロナ収束の中、外国人技能実習制度廃止の動き。
・多くの企業が彼らを「日本人より安く雇用できる単純労働力」としか見なしていない。
・過去に日本政府は企業利益を守り、労働者をないがしろにしてきた。
新型コロナ禍も、ようやく収束に向かいはじめたようだ。
卒業式、入学式のシーズンでも、マスク着用は「個人の判断」でよしとされたし、花見も解禁。そして入社式もリモートでなく対面で行われるようになった。
その影で、外国人技能実習制度を廃止しようという動きが進んでいる。
4月8日、政府の有識者会議が、この制度を廃止し、中長期的な視点で外国人労働者の受け入れを拡大すべきだ、との提言を行った。現時点では間報告の、そのまた叩き台という段階だが、秋までには最終報告をまとめたいとしている。
家族を帯同しての来日や、来日後の勤務先変更(=転職)をどこまで認めるかなど、まだまだ問題は山積しているが、基本的な方向性としては、日本も移民政策へと舵を切ることになるらしい。
こう述べると、違和感を持つ読者も、中にはおられようか。日本はすでに「隠れた移民大国」であるという話を、一度くらいは耳にされた方も少なくないと思えるので。
私は横浜市で暮らしたことがあるのだが、コンビニに行くと、大半の店員さんが「ま」とか「グエン」といった名札を着けているのを見て、やはりこういう時代なのだな、と考えたものだ。「ま」さんは「馬」姓の中国人で「グエン」さんは、おそらくインドシナ半島出身者だろう。
横浜は、昔から外国人が大勢暮らす街として知られているが、総本山少林寺のお膝元、香川県多度津町でも、中国人がかなり多い。瀬戸内海に面した港町で造船所があり、そこで働いているわけだが、駅もしくは空港から本山に直行し、次の日はホテルと本山を往復するだけだった頃は、彼らの姿を目にすることなど、まずなかった。
新型コロナ禍以前の話ということになるが、OECD(経済開発協力機構)が示した統計に依れば、この年に3ヶ月以上滞在する目的で日本を訪れた外国人は50万人を超える。
この数字は、ドイツ、英国、スペインに続いて世界第4位だが、総人口も違うし、スペインの場合など、中南米のスペイン語圏から「数世紀ぶりに里帰りした」という大半なので、単純な比較は出来ないだろう。
続いて2019年の統計を見てみると、この時点で日本国内に居住し、生活の糧を得ている外国人は250万人を超す。
これは世界26位の数字で、1位は米国、2位はロシアだが、これについては後で述べる。
いずれにせよ、日本における移民の多さは、世界屈指と言って過言ではないのだが、多くの人はそうした意識を抱いていない。だからこそ「隠れた」移民大国と呼ばれるのだ。
そうなると議論を提起する前に、そもそも移民とはなんであろうかという定義を、はっきりさせておかねばならないが、実はこれがなかなか厄介なのだ。
IOM(国際移住機関=人口移動に関する活動を行う国連機関)によれば、移民とは、
「本来の居住地を離れて、国境を越えるか、一国内で移動している、もしくは移動したあらゆる人」
を指すとして、本人の法的地位や移動の自発性、理由、滞在期間などは問わないことになっている。
しかしこれでは、いわゆる転勤族も移民にカウントされるのか、という話になりかねない。
実は、移民の定義や、移民と難民の違いについては、専門的な論文が何本も世に出ているほどで、結構ややこしいのだが、1997年に発表された国連事務総長報告書の定義が、おそらく一番分かりやすいだろう。
「通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12ヶ月間当該国に居住する人のこと」
とされている。
こう述べると、またしても首をかしげる読者がおられるのではないだろうか。
滞在期間が1年以上に及ぶ外国人労働者など、今やそれほど珍しくないのに、どうして彼らを移民と呼ばないのか、と。
まさにその点が問題で、日本政府は「移民」と「外国人労働者」は別物である、というスタンスをとり続けてきた。日本が「隠れた」移民大国だと呼ばれる理由も、政府のこうした曖昧な姿勢に、その原因が求められる。
1960年代末、高度経済成長を背景に、日本企業の海外進出が相次いでいたが、現地採用した(つまり外国人の)従業員を日本に呼んで研修を受けさせるケースも増え始めた。
海外支社や現地工場での業務をより円滑化する、というのが大義名分であったのだが、当初からタテマエと本音が乖離するケースも見受けられたのである。
1977年に『岸辺のアルバム』というTVドラマが放送され、反響を呼んだ。
それまで絵に描いたような良妻賢母のイメージだった八千草薫が不倫妻を、良家の子女役が多い「お嬢様キャラ」だった若き日の中田喜子が、外国人男性の子を身ごもる長女を演じて話題となったが、夫であり父である男性の会社は、中堅どころの商社という設定だったが、東南アジアの女性を研修生の名目で日本に呼び寄せておきながら、実際はホステスとして働かせるべく業者に斡旋する「事業」まで行っていた。
マイホームと家族のためにと、会社の不正など見て見ぬふりをする小心翼々たるサラリーマンが、その家族に裏切られる(妻は不倫、長女は妊娠、長男は家出)姿を見て、当時多くのサラリーマンが考え込まされたと聞く。
そのような現実(一部ではあったろうが)を知ってか知らずしてか、政府は企業が「実習生」を労働力として扱うことを追認して行く。具体的には1993年に「技能実習制度」が始まり、建設業や食品製造業など86業種で、最長5年間、働きながら技能を学ぶことが認められるようになったのである。これまたタテマエとしては、
「出身国では取得困難な技能等の習得・習熟・熟達を図る」
とされているが(JITCO=公益財団法人 国債人材協力機構のサイトより抜粋)、多くの企業が技能実習生を「日本人より安く雇用できる単純労働力」としか見なしていないのが現実だ。
このように述べると、各方面から異論・反論が聞こえてきそうだが、そもそも論から言うならば、彼ら技能実習生には労働基準法が適用されないので、しばしば最低賃金すら支払われず勤務時間の制限もない。
日本国民には「職業選択の自由」が憲法で保障されているが、彼らの場合は逆に移動の自由すら認められていないため、ひどい扱いを受けても辞めることもできない。結果、実習生の「失踪」が相次ぐ事態となった。
現実問題として、苦情が絶えないことから、2022年10月に全国197の事業所への立ち入り調査が行われたが、うち145カ所で、労働基準法に適合しない勤務実態が明らかになったという。とは言え、前述のように彼らは法的な保護を受けられる「労働者」ではないため、当局としても有効な手立てがないのである。
一方、良心的な事業所もちゃんとあるし、個人的な話ながら、実際にそうした企業経営者の知人もいるのだが、これもこれで問題があるのだ。
たとえばコンビニでも、単なるアルバイト店員は、それこそ高校生でも務まるだろうが、仕入れや商品管理までも任せられるようになるには、やはり年単位の時間がかかるもので、その場合、5年という期限が定められているために、ようやく戦力になった従業員に帰ってもらわなければならない、ということにもなるのだ。
今次の、技能実習制度を廃止して、新たな移民政策の枠組みを作ろうという動きは、もちろん評価できる面もあるが、過去に、日本政府の主眼は一貫して企業の利益を守ることに置かれており、働く者はないがしろにされてきた、という点を忘れてはならない。
次回は諸外国の例も参考に、この問題をもう少し掘り下げる。
(つづく。)
トップ写真:休憩する労働者たち 出典:Photo by Trevor Williams/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。