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.社会  投稿日:2023/4/24

むしろ「ホワイトカラー」が危ない ポスト・コロナの「働き方」について その5


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

AIによって仕事内容がまったく変わる可能性がある。

・代表的なものがChatGPT(対話型人工知能)。

・「高学歴でないと誰にでもできるような仕事にしか就けない」という考え方は時代錯誤。

 

ホワイトカラー、ブルーカラーなどという言葉は、今や死語なのであろうか。

産業革命期以降、英国で人口に膾炙するようになったとされており、ここで言うカラーとはシャツの襟のことである。つまりスーツに白いワイシャツで働く人がホワイトカラーで、作業服(昔は汚れが目立たないよう、藍染めが多かった)を着ている人はブルーカラーというわけだ。

これは、私の偏見である可能性が高いことを明記しておくが、しかしながら英国ロンドンで10年暮らした者の生活実感として、事務系の分野で「知的な仕事をしている」と考える人たちが、工場や建設現場で働く人たちを、ブルーカラーなどと呼んで見下したのが本当の語源では、と思えてならない。

実際に、英国中産階級の子どもと言えば、

「一人で顔を洗うことと、祖国のために尽くすことと、労働者階級をバカにすることを同時に教え込まれる」

などという話も、よく聞かされた。

一方、1980年代後半の日本は、バブルへと向かう景気拡大局面であったと同時に、皆が割と素朴に「1億総中流」などという表現を受け容れている世相でもあった。

この背景には、一種の学歴信仰と言おうか、親がどのような職業・経歴でも、勉強してよい大学を出れば、高い社会的地位と高額の報酬を手にすることができる、という考え方があったように思う。

もうひとつは、1970年代以降あらゆる分野で機械化が進み、たとえば土木作業も単純な力仕事から建設機械のオペレーターへと取って代わられた。工場労働者やドライバーの中にも、大学を出た人が結構見受けられる、というようになってきたのである。

念のため強調しておかねばならないが、これはなにも、私自身が学歴と職種は二重写しでよい、などと考えているのではなく、その逆である。

実際にその後、具体的には元号が昭和から平成に改まって以降だが、格差の拡大はもとより「貧困の世襲」まで肯定するような論調が目立つようになり、現実問題としても所得格差そのものより、親の職業や年収が子供の将来をかなりの程度まで規定してしまうことが問題視されるようになった。

私自身そうした危機感から『しのびよるネオ階級社会』(平凡社新書)という1冊を書かせていただいたが、同書には編集部の意向で「〈イギリス化〉する日本の格差」というサブタイトルが付いた。

それがAIの問題と一体どういう関係があるのか、と思われた読者もおられようが、前回・前々回と、警備員やトラック運転手のように、真っ先にロボットに取って代わられる、とされていた仕事について、実はそうとも言い切れないと述べた。

ここで再び冒頭の話題に戻ることになるのだが、本当は「AIに仕事を奪われる」危機に直面しているのは、かつてはホワイトカラーと称された職業ではないかと思えるのである。

あくまでも事の当否は別としてだが、真っ先に思い浮かぶのが銀行の窓口である。

私など社会的にはれっきとした個人事業主なのだが、それでも銀行の窓口を訪ねることは滅多にない。今やATMなど、どこにでもあると言って過言ではないし、現金の出し入れだけではなく、急な振り込みなどもカードで用が足りる。

もちろん人それぞれの事情はあろうが、私個人の場合、最後に銀行の窓口を訪れたのは半年ほども前で、それも、カードのICチップに不具合が生じたため再発行してもらう、という用件だった。

当然ながら身分証明書の確認などが必要だが、今や消費者金融なども対面でなく機械で万端処理できるようになっているわけで、実際、支店を統廃合してATMに置き換え、人員を削減しようという動きは、全国で進んでいる。

同じ理由で、携帯ショップなども減る一方だ。

逆に飲食店、ホテル・旅館などは人手不足が深刻化する一方で、外国人観光客が、ようやく新型コロナ禍以前の水準に戻りつつあるというのに、対応できない事態となっている。

早い話が、これまで「誰にでも出来る仕事」などと、不当に低く評価され、真っ先にロボットに取って代わられる、と考えられていた職種こそ、実は機械化が困難で、高等教育を受けていないと務まらない、とされていたデスクワークの方が、急速にAIに取って代わられているのである。

一方、AIが普及してもなくならない仕事だとされているのが、学校の教師だ。

ただしこれも、AIによって仕事内容がまったく変わる可能性が取り沙汰されている。

代表的なものがChatGPT(対話型人工知能)で、今年発表されたばかりだが、史上最速でアクティブユーザー1億人を超えたとか。

従来の検索エンジンとは違い、対話形式で質問に答えたり、エッセイや詩を書く機能まである。ただ、現状ではサービスを提供する側でさえ、

「もっともらしいが事実とは異なる回答をする可能性がある」

と認めている。

日本では実際、あるお笑い芸人さんがバラエティ番組の企画で、自身の離婚原因について質問したところ、元妻は一般人女性(本当は有名タレント)であったとか、離婚についてコメントしたことはなかったとか(週刊誌からワイドショーまで大騒ぎだった)などという回答で、笑うしかなかったそうだ。

ただしこれは、おそらくソフトを「鍛えた」人が芸能ネタに詳しくなかっただけだろう、とも考えられる。むしろ問題なのは、共同通信などが報じたところによると、特定の操作方法によってウイルスの生成も可能だ、ということあろう。

いずれにせよ、将来的にはこうしたAIを活用することで、子ども(=生徒)一人一人の能力と適性に応じた学習指導が可能になるとされているのだが、教師の息子として言わせていただければ、これもまた、教育現場を知らない人の言いそうなことだ、と思える。

能力と適性に応じた指導、と言えば聞こえはよいが、そもそも論から言うならば、学科の好き嫌いはもとより、勉強するもしないも、それこそ生徒一人一人の価値観であり、ものの見方・考え方というものは常に変わる可能性がある。子どもの可能性とソフトの機能を同列に考えるべきではないのだ。

なによりも、学習意欲があっても家庭の(多くの場合経済的な)事情で私立校への進学が困難であるという子供達を、AIがどうやって救済できるのだろうか。

以上を要するに、本当に問題視すべきは、どのような職業がAIに取って代わられるか、ということよりも、

「勉強して偏差値の高い学校を出ないと、誰にでもできるような仕事にしか就けない」

という考え方が、偏見かつ時代錯誤であったことに未だ気づかないのか、ということではないだろうか。

(つづく。その1その2その3その4

トップ写真:オフィスで仕事をする会社員 出典:Jiang Suyng/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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