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.国際  投稿日:2023/6/1

外交イベントは休暇に非ず 正しい(?)休暇の過ごし方 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・広島G7サミットを成功に導いたとして、岸田首相の支持率は上昇。

・首相の出身地かつ選挙区である広島への誘致以上の「功績」は見られない。

・宇・露戦争に関し「即時停戦」の呼びかけすらなされなかったことは遺憾。

 

岸田首相が、早ければ6月か7月にも解散総選挙に打って出る……このような観測が、マスメディアでしきりに喧伝されている。

広島でのG7サミット(先進国首脳会議)を成功に導いたとして、支持率が大いに上がっていることから、今なら追い風が吹く、というのがその根拠らしい。

今月19日に開幕したG7サミットは、当初「リモート参加」が取り沙汰されていたウクライナのゼレンスキー大統領が、20日午後に電撃来日したことにより、歴史的な会合と称されるまでになった。

ロシアによるウクライナ侵攻に対して、先進資本主義諸国は一致してウクライナを支援する、と世界に向けて強くアピールできたことは間違いない。私も、この点を評価するにやぶさかではない。

しかし一方で、核兵器禁止条約に関しては一言も触れることなく、単に「核兵器のない世界」を希求するとしただけであった。ウクライナの問題についても、停戦から戦争終結への具体的な道筋など示されてはいない。むしろ「台湾海峡の安定」に言及して、中ロから挑発だと非難される始末。

言うまでもないことだが、中口の非難が当を得たものであるなどと、私は微塵も考えて等いない。ロシアによるウクライナ侵攻は断じて擁護できるものではないし、中国共産党の覇権主義は強く非難されるべきである。

そうではあるのだけれど、やはりG7サミットという会合が持つ意味を考えたならば、最低限「即時停戦」の呼びかけすらなされなかったことは遺憾とせざるを得ない。

昨年この連載でも取り上げたが、日本において戦争反対の声を上げ続けているロシア人女性が、

「戦闘が一日長引けば、ウクライナの一般市民や、多くが18~20歳の若者であるところのロシア兵の命が、それだけたくさん失われるのです」

と語った。こうした危機感を、G7サミットに参加した首脳たちは、どうして共有できないだろうか。

現時点での停戦は、ロシア軍に戦力を再整備する時間を稼がせるだけだ、という反論もあり得ようが、ロシア側にせよ、民間軍事会社ワグネルや、一部の武装勢力がプーチン政権に対して反旗を翻す動きがあり、ウクライナのNATO加盟を阻止するという戦争目的は、もはや達成できる見込みはない。

対するウクライナ側も、このところ「反転攻勢」をしきりに呼号している。

実は前述のロシア人女性には、戦争勃発=ロシアによる侵攻開始からちょうど一年ほど経った2月末にも話を訊かせてもらったのだが、

「もはや全部追い出すまでやめないでしょうね」

ということのようであった。占領地域および親ロシア派が実効支配している地域において、ロシアの軍事的プレゼンスを駆逐するまで、停戦交渉は始まらないだろう、という見方が、内外のロシア人やウクライナ人の間ですら、支配的になりつつあるようだ。

さらには、これまで侵攻の急先鋒をつとめてきた民間軍事会社ワグネルや、ロシア人の武装組織が相次いでプーチン政権との対立を深め、旧ソ連邦諸国にあっても「脱ロシア」の動きが広がりつつある、という報道も見受けられるようになった。

ウクライナ軍にとっては「勝利は目前」「あと一撃」という感覚なのであろう。

だからこそG7サミットにおいては、ゼレンスキー大統領に対して、むしろ冷静な対応を求めるべきではなかったか。

ここで思い出されるのが、日露戦争における講和交渉で、当時の日本軍は日露両国の潜在戦争能力の差というものをよく知っており、一日も早い交渉開始を望んでいた。しかし、「ロシア憎し」にこり固まった在野の学者らは、得るものが少ない講和など無意味だとした。

「ロシア帝国領の、バイカル湖から東を全部取ってしまえ」

と主張した人までいる。

今次のウクライナに対しても、NATO諸国は射程距離の長い巡航ミサイルの供与を増やし、モスクワ攻撃も可能になる、などと煽る向きさえあるが、プーチンが核のボタンに手をかけるリスクをわざわざ高める、という感覚が私には理解できない。

核兵器の問題にせよ、G7サミットにおける共同宣言中で、広島への原爆投下にはまったく触れられず、単に首脳たちが一列に並んで慰霊碑に献花したに過ぎなかった。

このようなパフォーマンスと、ゼレンスキー大統領の、

「ウクライナはヒロシマのように復興するであろう」

という発言を取り上げて、岸田首相を礼賛する向きもある。私などは、

「修学旅行か!」

などと、思わずツッコミを入れてしまったものだが。

総じて、今次のG7サミットは、岸田首相の出身地であり選挙区でもある広島に誘致した、という以上の「功績」は見られない。これはなにも、岸田首相を礼賛する人たちへの当てこすりではなく、単に私は、権力者に常に厳しい目を向けることこそジャーナリズムの使命であると考えているだけだ。

いずれにせよ、大いに気を良くしていたであろう岸田首相だが、サミットの「成功」から旬日を待たずして、立て続けに逆風に見舞われることとなった。

ひとつは東京における、公明党との選挙協力の解消で、これについては稿をあらためる。

いまひとつは、長男で首相の政務秘書官であった岸田翔太郎氏が、昨年末、親類縁者を首相公邸に呼び集めて忘年会を開き、赤絨毯に整列しての「内閣ごっこ」やら、日本政府の紋章が入った演説台に上がっての「記者会見ごっこ」など大はしゃぎだった様子が、写真入りで『週刊文春』にすっぱ抜かれた。

首相は当初「厳重注意」でお茶を濁そうとしていたが、与党内からも批判が噴出したことを受け、6月1日付での秘書官交代=事実上の更迭を発表せざるを得なくなったのである。

この秘書官は、年が明けた1月下旬にも、総理の外遊に同行した際、公用車で観光や買い物をしていたと、こちらは『週刊新潮』にすっぱ抜かれている。

外遊という言葉を、そのまま「外国に遊びに行く」意味だと考えていたらしい。

もっとも、一般国民の間でさえ、似たり寄ったりの誤解をしている向きはある。「遊」という漢字の本来の意味は「生まれ育った場所ではない土地に出かけること」に過ぎないので、このことと、1月時点での

「総理のお土産を買いに行っただけで、不適切な行動ではない」(秘書官本人の弁明)

「お土産を買いに行くのも公務と考えている」(首相の弁明)

とを照らし合わせて、あらためて考えていただきたい。

首相という「公人中の公人」やそのスタッフであれば、「外遊」と「物見遊山」の区別はつけるべきであるし、たとえ忘年会であろうとも、時(未だ新型コロナ禍による行動制限が解除されていなかった!)や場所を選ぶくらいの常識は備えなくてはいけない。

今さらこんなことを、わざわざメディアに寄稿しなければならないとは、本当に情けない。

トップ写真:広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑にウクライナのゼレンスキー大統領を案内する岸田文雄首相(2023年5月21日 広島サミットにて)出典: Eugene Hoshiko-Pool/GettyImages




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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