無料会員募集中
.社会  投稿日:2023/11/3

「禁煙の奔流」には数々の疑問が(下)たまにはタバコの話でも 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・喫煙を含む「健康ブーム」は危険な傾向ではあるまいか。

・喫煙者を減らすことで医療費などの社会負担が軽減できる結論ありきの議論。

・度を超している昨今の喫煙者に対する仕打ちは国家権力の思惑が透けて見える。

 

2009年に『大日本健康帝国』(葛岡智恭と共著。平凡社新書・電子版も配信中)という本を出していただいたが、版元の意向で「あなたの身体は誰のものか」とのサブタイトルが付けられている。メインタイトルは私が考えた。

当時は嫌煙権運動どころか「タバコ撃滅」「鬼畜喫煙者」と言いたくなるような世相だったので、いま少し冷静になった方がよいのではないか、との趣旨で、言わばタバコの問題に特化した本を書いてみたい、と考えていた。

だが、当時よく言われた、タバコの問題に限らない「健康ブーム」について色々と調べ、考察を深めれば深めるほど、これはどうも危険な傾向ではあるまいか、と問題提起すべきではないか、という思いを抑えがたくなったのである。

そこで、そもそも厚生省(現・厚生労働省)という役所が設立された経緯まで遡って、

「どうして国家は、国民に健康でいて欲しいのか」

という、考えようでは厄介な(そんなことは当たり前だ、で片付けられるリスクがある)テーマに取り組むこととなった。

原稿料の二重取りだと言われても業腹なので、ここでは概略のみ紹介させていただくと、1904(明治37)~1905(同38)年にかけて戦われた日露戦争において、

「勇敢な日本兵が、命知らずの銃剣突撃でロシア兵を圧倒した」

という触れ込みとは裏腹に、大男揃いのロシア軍が相手では、白兵戦闘では著しく不利であったことが問題視されていたのである。

日本人の体格・体力を向上させるため、有効な方法はないものか、という声が上がったが、ほどなく大正デモクラシーと称される世相となり、なにごとも「お国のため」という風潮は、一度は後景化した。

その後日本では、世界的な不況を背景に軍国主義が台頭したわけだが、実は厚生省も、1938(昭和13)年に、当時の陸軍大臣・寺内寿一の提言によって設立されたのである。当初は欧米で一般的な「社会保健省」という名前が考えられたが、当時は社会主義が敵視される世相でもあったため、

「社会主義と関係があるかのような、誤解を招きかねない名前はよろしくない」

とされたという、笑うに笑えないエピソードもあった。この時点では国民の体位向上とともに結核などの感染症対策に力が入れられていたのだが、いずれにせよ、児童を「少国民」と呼び、将来の兵役に備えて健康増進に励むことが必要、という理念であった。

そのことが、昨今の「禁煙の奔流」とどう繋がるのか。

当時の日本でよく言われていたのは、

「喫煙者は年間7兆円もの損害を社会に与えている」

ということで、タバコから得られる税収を考慮に入れても、到底バランスシートが見合わない、などと主張する人が大勢いた。

問題はその「7兆円」という数字の真実性だが、調べてみると、これがいささかひどい。

たとえば、タバコの火の不始末などを原因とする火災によって、毎年2兆円もの財貨が消失している、などと言われていたが、総務省消防庁のデータと照らし合わせてみたところ、これはゼロがひとつ多いだろう、と言わざるを得なかった。そもそも火災による被害の総額が1兆円に達していないし、出火原因も最多は放火なのだ。

他にも指摘できるのだが、要するに、喫煙者を減らすことで医療費などの社会負担が軽減できる、という結論ありきの議論であると言わざるを得ないのである。

英国において、2009年以降に生まれた若者は一生涯タバコを買うことが出来なくなる、という法案が検討されていることは前に述べたが、その理由は、

「タバコは様々な生活習慣病の原因となっており、医療制度を維持して行く上で重大な障壁になってきている」

というものであった。日本で喫煙者が居場所をなくしつつあることが、これとは異なる事情だと考え得る根拠は、どこにもない。

タバコの価格が青天井で高騰していることについても、見ておきたいことがある。

やはり『大日本健康帝国』の中でも触れたが、1970年代にデンマークのコペンハーゲンで、市価の半値のタバコが大量に流通していることが明るみに出た。中国製などのいわゆるバチ物でなく、すべて本物であった。

さては密輸か、盗品の横流しだろう、と見当をつけた市警が捜査に乗り出したが、そうした形跡はなく盗難届も出ていなかった。しかし、売人を捉えては厳しく追及するという、地道な捜査を続けた結果、なんと北朝鮮大使館が、外交官特権(=免税)で大量のタバコを買い付け、売りさばいていたことがあきらかとなったのである。

本当にろくなことをしない国だが、見方を少し変えたなら、半値で売っても利益が出るような価格設定にも、いささか問題があったのではないか。

日本で同様のことが起きる可能性は今のところ低いが、コンビニ強盗が現金でなくタバコを奪って逃げたという事件は現実に起きているし、それは極端な例であるにしても、常識外とも言える価格で販売を続けていると、いつか市場から復讐される日が来るのではないだろうか。

シリーズ第1回で、私は2002年以来タバコを休んでいる、と述べた。

吸いたくなればいつでも吸える、と思っているから、かえって吸わなくても苦ではなかった、という意味だが、その間一度も吸ったことがない、とは言っていない。

2010年にスペインのマドリードに短期留学した際、机を並べていたサウジアラビアからの留学生に誘われてアラビア料理店に足を運び、そこで水タバコを初めて体験した。

フレーバーが色々あることも初めて知ったが、選ぼうにも当方まったくの未経験者であるから、本場からの留学生に任せ、マンサーナ(リンゴ)を選んだ。リンゴの香りは全然感じられなかったが笑。

タバコの煙を一度水にくぐらせるので、有害物質がかなり除去される、という話を聞いたこともあるが、色々読んでみると、これもこれで事実とは異なるらしい。

いずれにせよ大麻やハシシと違ってまったく合法であるし、水タバコを一服した次の瞬間に血ヘドを吐いて斃れた人がいるという話も聞いたことがないので、何事も経験、と思って楽しんだ。およそ10年ぶりの喫煙で、悪いものではなかったが、感激した、というほどでもなかった。

ちなみに10年前のマドリードも屋内では一般的に禁煙で、その分、歩道のそこかしこに置かれた灰皿に人だかりが出来ている光景をよく見かけた。アラビア料理店の水タバコは、なにか特別な事情があって認められていたのだろうか。

その詮索はさておき、私は飲食店や職場を禁煙とすること自体に反対ではない。ただ、分煙で十分ではないのか、と考えているだけである。

タバコの煙が嫌いな人にまで副流煙を吸わせるのは、たしかによくないし、喘息の持病がある人にとっては迷惑どころではない。

しかしながら、タバコの価格設定も含めて、昨今の喫煙者に対する様々な仕打ちは、いささか度を超しているように思えてならないし、そこに国家権力の思惑が透けて見えることには、ある種の違和感を抱かざるを得ない。

たとえこの世からタバコが消えても私は差し支えないが、同時に、どうしてもタバコをやめられない人を「非国民」と呼ぶような社会で暮らしたいとは思わないのだ。

トップ写真:東京・渋谷の屋外公共喫煙所(2016年5月16日 東京・渋谷)出典:Photo by Eric Lafforgue/Art in All of Us/Corbis via Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."