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.政治  投稿日:2024/1/21

岸田派解散、首相の胸の内


安積明子(政治ジャーナリスト)

「安積明子の永田町通信」

【まとめ】

・岸田文雄首相が宏池会を解散。志帥会と清和会も解散したが、志公会と平成研は派閥として存続することにした。

志公会(麻生派)幹部は、「派閥を解散したからといって“政治とカネ”の問題が解決するわけではない」と述べた。

・岸田首相が唐突に派閥解散を実行したのは、総裁選でライバルを消し去るためでは。

 

岸田文雄首相が1月19日、宏池会を解散した。これに続いて志帥会と清和会も、解散することを決定した。原因は昨年末から続く派閥のパーティー券をめぐる問題だ。この日、億を超える裏金の存在が報じられた清和会の会計責任者と志帥会の元会計責任者に加え、3000万円の不記載をめぐって宏池会の元会計責任者も立件された。

一方で志公会と平成研は、派閥として存続することにした。近未来政治研究会の森山裕会長は「我々は(刑事)告発を受けているわけではない」と、慎重な姿勢を見せている。岸田首相の鳴り物入りで発足した政治刷新本部は、22日に骨子を発表する予定。それから議論を深めていくことになるが、森山氏はその結果を見てから解散するかどうかを決定するのだろう。

これらを受けて、自民党内は大混乱だ。そもそも岸田首相は昨年12月、宏池会を離脱する宣言をしたばかり。それが一方的に派閥の解散を決めたのだ。しかも岸田首相が相談したのは宏池会の一部の幹部のみで、全員が参加する議員総会にすらかけていなかった。

志帥会は19日に議員総会を開き、二階俊博会長に一任することを決定。二階氏はすぐさま解散を決めた。「中には派閥の存在意義について述べる者もいたが、解散に積極的に反対する人はいなかった」と出席者は語っている。

もっとも、志帥会を解散したからといって、他のメンバーと二階氏との縁が切れてしまうわけではない。議員総会後に開かれた会見で、二階氏は「人は自然と集まってくる」と述べ、結束力に自信があることを伺わせた。

だが問題はそれだけにとどまらない。「我々が素早く派閥の解散を決定したことで、その流れができたと思う」と志帥会関係者は強調した。その一方で、岸田首相が党内でもっとも頼りにする麻生太郎元首相は、派閥の解散には強く否定した。ある志公会関係者は、「派閥を解散したからといって、“政治とカネ”の問題が解決するわけではない」と憤怒を滲ませて述べている。

麻生氏と同じく“党内与党”の茂木敏充幹事長の胸のうちも、穏やかではなかったはずだ。人一倍プライドが高い茂木氏は、2021年11月に平成研会長に就任したが、それまでの道のりは平たんではなかった。

茂木氏の初出馬は1993年の衆院選と、安倍晋三元首相と同じだが、日本新党として政治的キャリアをスタートし、自民党に入党したのは1995年のことだった。

純血主義の自民党では、茂木氏のような「外来種」や石破茂元幹事長のような「出戻り」にはハンディがある。しかも茂木氏の場合、平成研の実力者である青木幹雄氏に嫌われていた。

2010年の参議院選には出馬せず、政界を引退した青木氏は、自身が官房長官を務めた故・小渕恵三首相の次女である小渕優子衆院議員を可愛がり、「優子を総理に」が口癖だった。だがその夢は叶わず、青木氏は2023年6月11日に死去。青木氏は生前に「葬儀には茂木の名前の献花はいらない」と述べていたというから、茂木氏の嫌われっぷりは半端ではない。

そしてその影響は、いまだ参議院に残っているという。すなわち、茂木氏は平成研会長になったがゆえに求心力を維持できているが、派閥がなくなってしまえば、参議院では影響力がゼロになりかねない。

しかも茂木氏は岸田首相より2歳上で、今年10月には69歳になる。このように総理総裁を狙うチャンスはどんどん小さくなっているのに、派閥を解消してわざわざチャンスを潰す必要はない。

派閥の解散によって「人生設計が狂った」のは、西村康稔前経産相も同じだ。小さい頃から総理大臣になることを目指し、故・安倍晋太郎外相の「城代家老」と言われた故・吹田幌元自治相の娘と結婚。出世の登竜門といわれる官房副長官や新型コロナウイルス感染症対策担当大臣などを務め、順調にキャリアを重ねてきた。2009年の自民党総裁選では、谷垣禎一元財務相と河野太郎デジタル相が一騎打ちするところを、森喜朗元首相に言われて「第3の候補」として初出馬。3番目に甘んじたものの、議員票の数では35票の河野氏より8票多い43票を獲得した。

順調よくキャリアを重ねてきた西村氏だったが、それも清和会という派閥が存在したためだった。「西村氏は頭は良いが、親しい友達がいない。総裁選に出るための20人の推薦人を、果たして自前で集められるのか」と、危惧する声は少なくない。

このように考えると、岸田首相が唐突に派閥の解散を実行したのは、9月の総裁選で一人でも多くのライバルを消し去るためではなかったかとも思えてくる。そうだとすれば、岸田首相が強調してきた「刷新」や「信頼回復」は、そのかけらも存在しなくなってしまうのだが。

トップ写真:令和6年能登半島地震に関する非常災害対策本部会議(第13回)で発言する岸田首相(2024年1月19日 東京都千代田区首相官邸)出典:首相官邸ホームページ




この記事を書いた人
安積明子政治ジャーナリスト

兵庫県出身。姫路西高校、慶應義塾大学経済学部卒。国会議員政策担当秘書資格試験に合格後、政策担当秘書として勤務。テレビやラジオに出演の他、「野党共闘(泣)。」「“小池”にはまって、さあ大変!ー希望の党の凋落と突然の代表辞任」(ワニブックスPLUS新書)を執筆。「記者会見」の現場で見た永田町の懲りない人々」(青林堂)に続き、「『新聞記者』という欺瞞ー『国民の代表』発言の意味をあらためて問う」(ワニブックス)が咢堂ブックオブイヤー大賞(メディア部門)を連続受賞。2021年に「新聞・テレビではわからない永田町のリアル」(青林堂)と「眞子内親王の危険な選択」(ビジネス社)を刊行。姫路ふるさと大使

安積明子

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