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.国際  投稿日:2024/5/25

離脱した元ミャンマー国軍大尉の葛藤 軍からの離脱を呼びかけるYouTubeチャンネル


本田路晴(フリーランス・ジャーナリスト)

【まとめ】

・元ミャンマー国軍大尉が、YouTubeチャンネルを通し兵士らに国軍離脱を呼びかけ。

・軍を去る決定打となったのは、上官による抗議デモ参加者の射殺。

・大尉は「民衆化のための革命が成就するか否かに関わらず、勝利するまで戦う覚悟」だと話す。

 

自国の民を守るために軍人になったのに、その守るべき民に銃を向けなければならない。そんな葛藤に耐えきれなくなった元ミャンマー国軍の大尉が、YouTubeチャンネルを通し、未だ国軍に残る兵士らに離脱を呼びかけている。(タイ北西部メソトにて、本田路晴

元ミャンマー国軍大尉のテッ・ミャッさん(34歳)はYouTubeチャンネル「Breaking Brainwashed(洗脳を解く)」を通し、兵士らに国軍からの離脱を呼びかける。同チャンネルは未だ葛藤を抱えながら国軍に残る国軍の兵士らを中心に約19万人の登録者がいて、すでに700本以上の動画を制作してきた。ゴールデンウィーク中にミャンマー国境に近いメソトに設けられた秘密のスタジオを訪ね、国軍を離脱し番組を制作するに至った経緯を聞いた。

テッ・ミャッさん自身、権威ある国軍士官学校を卒業し、その後はエリート軍人の道を歩んできた。2021年2月1日のクーデター発生時は北部マンダレー管区の都市、ピンウールウィンで新たな軍事訓練を受けていた。訓練中は電話やインターネットを使用しての外部との接触を一切禁止されていたため、クーデターが起きたことさえ知らなかった。

▲写真 国軍時代のテッ・ミャッさん(撮影時不明、本人提供)

同年3月15日に訓練を終え、所属する大隊に戻り、初めてクーデターが発生したことを知った。選挙で選ばれた政府を国軍が転覆させたこと、自分もその国軍の一員であるということに良心の呵責を感じ始めたという。「精神的に追い詰められていました。当時はいつもより疲れを感じました」。

■ 決定打となった目前での上官による市民の射殺

軍を去る決定打となったのは、目の前で起きた上官による抗議デモ参加者の射殺だった。

大隊に戻って間もない3月27日、カチン州バモーの公立病院の警備を担当していたテッ・ミャッさんは抗議デモの鎮静を命じられ出動した。

上官の中佐からデモ鎮静の手段を問われたので発煙筒を使用してデモ隊を散散ばらばらにする方法を意見具申した。当初、中佐はデモ隊を脅すことだけを考えているのかと思ったが違った。

群衆の中から女性が現れ、国軍に対し、侮辱的な言葉や罵声を浴びせた。すると上官の中佐は銃を彼女に向けた。

「一発目は外れましたが、二発目は彼女の胸を直撃したので即死でした」。上官からは死体を現場から持ち去るように命じられた。女性は地元バモー出身で武器も所持していなかった。

守るべき対象であるはずの民が目前で上官によって射殺される。今までに絶対的存在だと思っていた国軍への信頼が徐々に崩れ始める。

「私は、人々を守るべき兵士によって、人々が殺されるという事実に深く傷つきました。入隊以来、兵士の義務の最たるものは国民を守ることだと固く信じていたので、目の前で見た射殺はとても事実として受け入れることができませんでした」

軍を去る決意をしたが、大隊の副隊長という立場もあり、残る兵士たちのことを考えるとなかなか離脱には踏み切れなかった。

「15年いた軍を離れることは私にとってチャレンジでした」。国軍上層部はテッ・ミャッさんを含む将校、兵士らに極力、軍による民への暴力を伏せるようにしていたが、夫人のスーテッさんが毎晩、電話をかけてきては、軍による民主派弾圧の様子を知らせてきた。それでも躊躇逡巡する彼の肩を押したのは夫人だった。

同年6月に軍を去り、カイン(カレン)州の解放区に行き8ヶ月ほど過ごした後、現在居住するメソトに来た。

「当初、特に目的があって、ここに来た訳ではなかった。ただ、その間も仲間だった兵士たちを国軍から離脱させ、一刻も早く市民不服従運動(CDM)に参加してもらいたいと思っていた」

▲写真 国軍兵士らにYouTubeチャンネルを通し、離脱を呼びかける元ミャンマー国軍大尉のテッ・ミャッさん(4月30日、タイ北西部メソトにて、本田路晴撮影)

■ ソーシャルメディアを駆使しての離脱の呼びかけ

テッ・ミャッさんは、主に携帯電話で国軍に残る兵士らと連絡を取り合っていたが、メディアを立ち上げた方がより多くの兵士たちに呼びかけることができると自らのYouTubeチャンネルBreaking Brainwashed(洗脳を解く)を立ち上げた。

夫人のスーテッさんは兵士の妻たちの支援を目的とした団体「人民兵の妻たち」を立ち上げ、ソーシャルメディアを通し、夫の国軍からの離脱への理解とそれを全面的に後押しするよう訴える。二人とも離脱を考える兵士がまず、最初に相談するのが妻であることを自身の経験から知っているからだ。

自身のチャンネルについて、テッ・ミャッさんは「まずなぜ、国軍から離れるべきなのか?国軍がどのように市井のミャンマー人を抑圧し殺害するのかという情報を共有するように努めています。そして、その後は国軍の一員として、市民への抑圧や殺戮に加わりたくないのであれば、どのようにして私たちとコンタクトを取ればよいかを伝えます」と話す。

「自国民を傷つけたくないという強い意志を持った人(兵士)たちを支援する」ために、Facebookメッセンジャー、Signal(シグナル)、WhatsApp(ワッツアップメッセンジャー)など、あらゆるチャンネルを用意し、彼らからの連絡を待つ。

大通りから外れた表札のない民家に設けられたスタジオは照明もあり、テレビ局のスタジオを思わせた。忙しく動き回るスタッフたちは皆、元国軍の兵士たちだという。ここのスタジオ兼事務所だけで15〜20人の元兵士たちが働いている。メソトだけでも、約1000人の元国軍兵士たちがいるという。

ただ、上官の命令に従っただけとはいえ、クーデターに加担し、時に一般のミャンマー市民に銃を向けた兵士たちを民主派勢力側は何のわだかまりも持たず受け入れることができるのだろうか?23日、参議院議員会館の講堂で開かれた「ミャンマーの平和と真の連邦制樹立をめざす院内集会」で講演した挙国一致政府(NUG)のゾーウェーソー保健・教育相に問うと、

「彼らは英雄だ。彼らは離脱して我々の側についてくれた」と歓迎する旨を示した。同相によると約2万人の元兵士や警察官が民主派勢力側につき、中には国軍との戦いに身を投じる者もいるという。

とはいえ、国軍の力はまだまだ強力だ。空爆やドローンを利用した攻撃による市民の犠牲も絶えない。タイ国境のメソトに接し、東西経済回廊のルート上にあるミヤワディは先月4月に一度は民主派勢力が制圧を宣言するも、再び国軍に奪還されている。

ミャンマー国軍との戦いが長引いた場合はどうするのかとの質問に、テッ・ミャッさん「民衆化のための革命が成就するか否かに関わらず、勝利するまで戦う覚悟です。希望は絶対にある」と力強く答えた。

トップ写真:ミャンマー・タイ国境にかかる第1友好橋下で、タイ王国陸軍は装甲車を並べ警戒にあたっていた(4月28日、タイ北西部メソトにて、本田路晴撮影)




この記事を書いた人
本田路晴フリーランス・ジャーナリスト

沖縄平和協力センター上席研究員。読売新聞特派員として1997年8月から2002年7月までカンボジア・プノンペンとインドネシア・ジャカルタに約5年滞在。その後もラオス、シンガポール、ベトナムで暮らす。東南アジア滞在は足掛け10年。広島平和構築人材育成センター(HPC)シニア研修員、国際NGO日本代表を経て2022年9月より現職。趣味は古寺巡礼と史跡巡り。

本田路晴

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