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.国際  投稿日:2024/8/21

若者全体に共通する危機感・連帯感はどこに?


宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)

宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2024#34

2024年8月19-25日

【まとめ】

・1968年シカゴ民主党大会の「流血の日」を回顧。

・「アメリカンロック」に被れていた世界の若者にとって「ベトナム反戦運動」=「政治」=「音楽」だった。

・今の米国には若者全体に共通する危機感・連帯感がない。

 

今週、日本ではお盆休みが明け、自民党総裁選が白熱し始めた。一方、米国ではシカゴで民主党大会が始まり、ハリス・ウォルツ正副大統領候補の下、民主党が政治的活力を取り戻した。日米両国でそれぞれ内政が本格的に動き始めた訳だが、今の筆者の関心事は、あまり報じられない日米間の大きなギャップのことである。

この点については今週の産経新聞World Watchに詳しく書いたので、ここでは繰り返さない。一つだけ付け加えるとすれば、バイデン大統領も、岸田首相も、苦渋ながらも、歴史的に恐らく極めて正しい決断を党のために下した、ことだ。彼らの政治的判断が如何に適切だったかは、9月と11月の選挙結果が証明することになる。

それはさておき、「シカゴの民主党大会」は、筆者のような1970年反安保闘争を知る世代にとって特別な感慨がある。シカゴで行われる民主党の全国大会と聞けば、恐らく多くが1968年のシカゴ民主党大会中に起きた、あの「流血の日」事件のことを思い出すと思うからだ。

筆者にとって、また、当時の多くの日本の若者にとって、あの事件は「音楽」=「政治」だった当時の雰囲気を象徴する出来事だ。勿論、当時高校生だった筆者がベトナム戦争の全貌を理解できた訳はない。だが、当時「アメリカンロック」に被れていた世界の若者にとって「ベトナム反戦運動」=「政治」=「音楽」だったことは間違いない。

何と単純な時代だったことか。ベトナム反戦を唱え、68年シカゴ民主党大会に押し掛けた若者たちの群衆は「The whole world is watching, the whole world is watching….(全世界が見ている)」と合唱しながら警官隊と衝突した。当時の米国の若者はだれもが徴兵され、ベトナムの最前線に送られる可能性があったからだ。

69-70 年、高校生だった筆者は「シカゴ」というブラスロックバンドのコピーを始めていた。「流血の日」と題された彼らのヒットシングル曲は、あの「The whole world is watching」から始まる。だが、今日シカゴに集まった反イスラエル・親パレスチナの若者から1968年当時のような悲壮な危機感・連帯感は全く感じられない。

筆者は3か月前の5月、今の米国の若者世代には若者全体に共通する危機感・連帯感がないと書いた。実際にシカゴでは反イスラエル、親パレスチナのデモ行進があったらしいが、小規模で殆どニュースにもなっていない。若者世代全体の共感が得られない現象は、全世界共通なのか、それとも、日本ではまだ発生していないだけなのか。ここでも日米間のギャップは決して小さくないようである。

続いては、欧米から見た今週の世界の動きを見ていこう。但し、今週も夏枯れは変わらないようだ。 

8月20日 火曜日 マレーシア首相、二日間のインド訪問終える

日本・インド2+2会合、ニューデリーで開催

8月21日 水曜日 中国国務院総理、二日間の訪ロを終え、ベラルーシへ

インド首相、ポーランド訪問(2日間)

インドネシア中銀、金利決定

8月22日 木曜日 トルコと韓国の中銀、金利決定

8月24日 土曜日 イスラエルの人質帰還運動がテルアビブで集会

8月26日 月曜日 アフリカ各国の保健相、コンゴで開かれるWHO(世界保健機関)アフリカ部会会合に出席

トンガ、太平洋島嶼国フォーラムを主催(一週間)

最後にいつものガザ・中東情勢だが、今週も焦点は、先週と同様、イランの対イスラエル報復攻撃の有無とそのタイミングだ。7月31日にハマース政治部門の最高幹部ハニーヤ氏がテヘランで殺害され、イランがイスラエルへの報復を宣言してから既に3週間も経つのに、イランは公言した「報復」を未だ実行していない。

先週は「あれから一週間経っても大規模な動きがないということは、イラン国内でもかなり意見が分かれているのだろう」と書いたが、それは事実だろう。実際、先週になってイラン筋は、ガザでの「停戦交渉」の結果次第ではイランの対イスラエル報復攻撃は行わないかもしれない、といった怪しげな情報を流し始めている。

常識的に考えれば、現状についてはいくつかの可能性があり得る。

第一は、イスラエルに大規模報復を行っても、イランは得るものより、失うものの方が多いことを理解している、との見方だ。だが、仮にイランが対米直接戦闘を本気で回避したがっているとしても、だからと言って、イスラエルに「何も報復しない」という選択肢を取るとは到底思えない。

第二の見方はより楽観的で、ハマースも本音は停戦を望んでおり、何とかネタニヤフ政権から停戦当為成立後のイスラエル軍「ガザ撤退」を勝ち取ろうとしているとの見方である。さーて、どうだろうか。イランもハマースもそれほど追い詰められてはいないのではないか。どうも、米側から流れてくる情報は楽観的過ぎるものが多いようだ。

第三の見方はより悲観的で、ネタニヤフ首相は、ハマースを殲滅するまで停戦に応じるつもりはなく、停戦後もガザからイスラエル軍を撤退させる気もない、というものだ。現在米国務長官がイスラエル訪問中で、米側からはしきりに楽観論が漏れ聞こえてくるが、状況はそんなに甘いものではないだろう。筆者は第三の見方に近い。

欧米の対イラン「自制」圧力が効いている証拠もない。それどころか、8月18日にはテルアビブ市中心部で爆発事件が発生、1人が死亡、1人が負傷している。しかも、犯人は西岸ナブルス出身者らしく、19日にはハマース軍事部門カッサーム部隊が、同事件はイスラム聖戦運動と連携して実行した「殉教作戦」と発表したそうだ。

もし、こうした自爆攻撃が再開されたのだとすれば、イラン、ハマース側の報復攻撃には今も多くの選択肢があるということであり、まだまだ、楽観は許されないだろう。

要するに、イラン側が対イスラエル報復は「ガザ停戦合意内容次第」と言っても、イスラエルが妥協する気がなければ、いずれ対イスラエル報復は、その「時期、対象、目標の場所、使用する兵器等の詳細」次第で意味合いは微妙に異なるものの、基本的に「報復」自体は不可避となる、ということだ。

以前から申し上げている通り、イランとイスラエルの一方もしくは双方が「誤算」を犯せば、最悪の場合、中東全域での大規模な衝突・戦闘に発展する。その場合、紅海だけでなく、ペルシャ・アラブ湾岸水域までもが戦闘区域となる可能性は否定できない。戦争の多くは「誤算」から始まるのだが、今回もその例外であることを祈ろう。

今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きは今週のキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。

トップ写真:1968年民主党全国大会へ抗議活動の場を移そうと、デモ隊が警察の包囲線を突破しようとしたため、シカゴ警察署の警官が民主党本部の外で反戦デモ参加者と衝突(1968年8月28日イリノイ州シカゴ)出典:APA/ GettyImages




この記事を書いた人
宮家邦彦立命館大学 客員教授/外交政策研究所代表

1978年東大法卒、外務省入省。カイロ、バグダッド、ワシントン、北京にて大使館勤務。本省では、外務大臣秘書官、中東第二課長、中東第一課長、日米安保条約課長、中東局参事官などを歴任。

2005年退職。株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長に就任。同時にAOI外交政策研究所(現・株式会社外交政策研究所)を設立。

2006年立命館大学客員教授。

2006-2007年安倍内閣「公邸連絡調整官」として首相夫人を補佐。

2009年4月よりキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(外交安保)

言語:英語、中国語、アラビア語。

特技:サックス、ベースギター。

趣味:バンド活動。

各種メディアで評論活動。

宮家邦彦

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