ベトナム戦争からの半世紀 その54 大統領官邸の占拠
古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
■ 本稿のポイント
・南ベトナム政権の中枢・大統領官邸は北ベトナム軍の戦車・装甲車により完全占拠され、政権崩壊の決定的瞬間が現れていた
・ズオン・バン・ミン大統領が戦闘停止を命じても、北ベトナム側は停戦を拒否し、サイゴンへの進撃を継続した
・北ベトナム軍は主要拠点を制圧し、ミン大統領を拘束して無条件降伏声明を出させ、戦争は完全勝利で終結した
ジャーナリストの古森義久は、北ベトナム軍が南ベトナム大統領の戦闘停止命令を受け入れず進撃を続け、サイゴンの大統領官邸を完全占拠した過程を描く。戦車による突入で政権中枢は制圧され、大統領は拘束されて無条件降伏を宣言させられ、戦争は北側の軍事的完全勝利で終結した。(Japan In-depth編集部)
サイゴン陥落はすでに始まっていた?大統領官邸の異変
国防省での一つの歴史的場面を見終えた私はいよいよ大統領官邸へと走った。国防省のあるパスツール通りから北へ、300メートルほど進むと左手はもう大統領官邸の鉄柵となる。構内の青々とした木立や芝生は一見、ふだんと変わりない。独立宮殿とも呼ばれたこの大統領官邸は南ベトナム政府の文字通りの中枢だった。フランス植民地時代以来、南ベトナム、さらにはベトナム全体の統治者が権力の本拠としてきた。
私は官邸の正面へと回った。正門前の広場には北ベトナム軍の戦車やトラックがすでにでんと腰を据えていた。正門の堅固な鉄のゲートはすでに大きく開け放たれていた。ゲートの一部は強い圧力で破壊されたような形跡があった。このゲートにはふだんなら粋なベレーの軍帽を斜めにかぶった大統領親衛隊員が機銃を構えて立っていた。不審者はだれ1人、入門させないという厳重な警戒だった。だがいまはだれも制止する人間がいない。私が小走りに鉄門を抜け、官邸の建物に向かって歩を進めても、だれも止めないのだ。
北ベトナム軍の戦車が大統領官邸を制圧した決定的瞬間
だが官邸の建物の全体が視野に入る地点に立った私は一瞬、棒立ちとなった。息をのんだ。あまりにも衝撃的な光景が広がっていたからだ。大統領官邸の正面の大階段の前に北ベトナム軍の戦車が2台、傲然と、官邸をにらめつけるように停まっていた。2台のタンクからは砲身の長い戦車砲が突き出し、官邸の心臓部にあたる2階のバルコニーあたりにぴたりと照準を合わせているようにみえた。いずれもソ連製のT54大型タンクで3色の革命旗を掲げていた。
この光景は戦争の勝者と敗者を明示する絵巻物のようにみえた。一つの政権、一つの国家が破れ、その降伏の状態を凍結したような情景だったのだ。
大統領官邸の正面の広大な前庭は芝生に覆われ、その中心に噴水がある。その芝生も北ベトナム軍の軍事車両が猛然と突入していった痕跡をなまなましく残していた。車輪の跡が荒々しい形で残っていたのだ。その円形の芝生を囲む通路にもPT76と呼ばれた水陸両用装甲車やモロトフ・トラック主体の軍事車両が合わせて10台ほど、みな砲や銃の筒先を官邸の建物に向けて停まっていた。車両はいずれもソ連製である。その通路の背後の木立や芝生にも、ここに一台、あそこに一台と、北側の武装車両がみえた。南ベトナム政府の大統領官邸はいまや完全に北軍に占拠されていたのだ。
なぜ停戦は拒否されたのか?北ベトナム軍のサイゴン総攻撃
北ベトナム軍の大統領官邸への突入とその占拠は北側の戦闘最高指揮者バン・チエン・ズン参謀総長の戦記によって、より明確に記録されていた。4月30日午前10時すぎ、南ベトナム最後の大統領ズオン・バン・ミン氏が南側の全軍の戦闘停止を命令した時点からの北側の反応である。私たち報道陣はこの戦闘停止命令を南側の完全降伏、そして戦闘の停止と解釈したが、北側はそうは受け取らず、南側の降伏も認めなかったのだ。つまり北側はその停戦の懇請には応じなかったのだ。ズン戦記の記述をみよう。
「傀儡大統領は『停戦し、政権移譲について話しあおう』とわれわれに要請した。この期に及んでもなおわが軍の完全勝利への前進を阻もうとするのだ! ハノイ政治局はこれに対し即座に指示した。『計画どおり、ひき続きサイゴンに向け進攻し、より力強い気迫で進撃して都市全域を占領し…敵のあらゆる反抗を徹底的に粉砕せよ』と」
ズン将軍はこの命令を受け、麾下部隊に改めて大進撃の継続を命じた。各部隊は「停戦するな。進撃を続けよ。千年に一度の好機なのだ!」の合言葉で、まっしぐらに突撃したのだという。その結果、あらかじめ設定された首都サイゴンの主目標の独立宮殿(大統領官邸)、国警本部、参謀本部、首都特別軍管区司令部、タンソンニュット空港の5ヵ所がつぎつぎに占拠されたのだった。
サイゴン陥落=無条件降伏へ、北ベトナム軍の完全勝利
北側が独立宮殿と呼んだ大統領官邸の正面の門を北軍の戦車が打ち破ったのは正午すぎだった。ズン戦記は伝えていた。
「第二軍団は独立宮殿を占拠した。わが部隊はただちに階上に駆けあがり、傀儡内閣が閣議を開催中の部屋に踏みこんだ。傀儡大統領を含めて全員がその場で逮捕された。革命旗が独立宮殿にひるがえった。時に4月30日午前11時30分だった」
ただしこの時間は北ベトナム首都のハノイ時間で、現地のサイゴンでは12時30分だった。
この後、北ベトナム軍はミン大統領を放送局へ連行する。北側が作成した無条件降伏の声明を読み上げさせるためだった。降伏といっても両軍が交渉の末、停戦し、一方が改めて降伏するという状況ではなかった。一方が他方を停戦の合意もなく軍事的に完全に粉砕したのである。だがいずれにしてもズン将軍ら北ベトナム首脳はサイゴン北方の前線司令部のラジオで南側のミン大統領のこの声明に耳を傾けた。その状況をズン将軍は以下のように記録していた。
「ついにサイゴンは完全に解放された! 司令部の全員が跳びあがり、叫び、抱き合った。すべての春が一度にやってきたかのようだった。喜びは言葉では言い尽くせない。レ・ドク・ト同志とファム・フン同志が私を抱きしめた。『もう死んでも悔いはない!』と同志の1人が目を真っ赤にして叫んだ・・・」
北ベトナム軍は南側の停戦表明にもかかわらず、最後の最後まで戦闘態勢を変えなかったのだ。だから最終段階で南側が少しでも反撃すれば、サイゴンは激烈な戦闘の場にもなりかねなかったのである。(つづく)
■ 歴史を深く知るためのFAQ:ベトナム戦争とサイゴン陥落の基本Q&A
Q1. サイゴン陥落とは何ですか?
A. 1975年4月30日、北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンを制圧し、南ベトナム政権が崩壊した出来事で、ベトナム戦争の事実上の終結を意味する。
Q2. なぜ南ベトナムの停戦は受け入れられなかったのですか?
A. 北ベトナム側は停戦ではなく「完全勝利」を目指しており、戦闘停止の要請を拒否して進撃を継続したため。
Q3. 大統領官邸(独立宮殿)はなぜ重要だったのですか?
A. 南ベトナム政府の中枢であり、ここを制圧することが政権崩壊を象徴する決定的な意味を持っていたため。
Q4. サイゴン陥落の決定的瞬間は何でしたか?
A. 北ベトナム軍の戦車が大統領官邸の正門を突破し、内部に突入して政権幹部を拘束した瞬間。
Q5. サイゴン陥落はどのように戦争終結につながったのですか?
A. 南ベトナム大統領が無条件降伏を宣言させられ、南北の戦闘が事実上終了し、ベトナムは北側主導で統一へと進んだ。
トップ写真:北ベトナム軍の戦車隊が突入した直後の南ベトナム大統領官邸の前庭(筆者撮影)
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

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