北朝鮮の「核」を巡る米・朝・中の新たな動き(下)
執筆者:朴斗鎮(コリア国際研究所所長)
【本稿のポイント】
・北朝鮮の金与正党総務部長は8月19日の談話でトランプ大統領との意思疎通を「私が知らない唯一の事案」と条件付きで否定しつつ、「両指導者の関係は依然としてすばらしい」とも述べ、米朝会談への余韻を残した。
・金与正は韓国の李在明大統領を実名で嘲笑し、日本については「即時に生存不可能な殲滅的猛攻撃を直接受けることになる」と威嚇。韓国排除と対日威嚇の意図が読み取れる。
・王毅中国外相は5年ぶりの訪韓で反米姿勢維持を李在明政権に求めた。年末にかけて米・中・朝・韓・ロの外交戦が火蓋を切る中、日本は日米同盟強化で万全の準備を整える必要がある。
朝鮮半島の緊迫度が増す中、東アジアを巡る大国や当事国の思惑が複雑に絡み合っている。北朝鮮による核・ミサイル開発の脅威や米朝首脳会談の再開模索、さらには韓国や中国の動きも加わり、地域の安全保障環境は大きな転換期を迎えている。長年半島情勢を注視してきたコリア国際研究所の朴斗鎮所長が、主要国の動向と戦略的背景を詳細に分析し、日本が取るべき安全保障上の姿勢や外交的な備えについて提言する。(Japan In-depth編集部)
トランプ大統領は、金正恩への呼びかけに対して、金正恩からいつどのような形で応答があったのかという具体的な時期や内容については明らかにしていない。ただ「非常に前向きな反応を示し、返答があった」とだけ主張していた。だが、それが事実ではないことが8月19日の金与正談話で明らかにされた。この談話では、トランプとの意思疎通を否定する一方で米朝会談への含みある表現も見られた。
◆米朝会談に余韻を残した北朝鮮
北朝鮮の党総務部長金与正(キム・ヨジョン)は、米朝首脳の意思疎通に関して「最近、朝米両国指導者の間に疎通があったというワシントン発ニュースについて言うならば、私は全く知らないことであり、おそらくわが最高指導部の対外政策に関連して私が知らない唯一の事案であろう」と否定した。
しかし注意して読まなければなければならないのは、金与正が、「わが最高指導部の対外政策に関連して私が知らない唯一の事案」と「自分の知る限り」との条件付きでトランプとの意思疎通を否定したことだ。金正恩が直接否定したとはしなかった。今後に余地を残した言い回しと言える。
それはトランプ大統領に対し金正恩が「個人的に良い思い出と感情を持っていることについては、すでに何度も明らかにしている」として、「両指導者の関係は依然としてすばらしい。これは世界中が知っていることであり、それほど驚くべきことではない」と述べたことでも伺い知れる。
その一方で、「米国の対朝鮮敵視政策は変わっておらず、米国とその追従勢力は現在も敵視的な対朝鮮軍事活動を繰り広げている」として、「両国指導者のすばらしい関係とは無関係に、われわれの安全を脅かす勢力をけん制するために取る主権的な措置は極めて常識的であり、不可欠」と主張した。これは、「トランプが会談を実現したければ、北朝鮮への敵視政策を放棄し、国家主権を守るための核保有を認めよ」という意味に解釈できる。
そして、こうした根本的な問題での解決意思を示さないまま、韓米軍事演習の縮小だけで対話を求めようというのは話にならないとして、韓米軍事演習の縮小は「評価する価値もなく、全く興味を感じない」「米国側が今回取った自らの措置を、何らかの『善意の措置』として宣伝しようと考えているのであれば、望むような答えは得られないだろう」と一蹴した。
韓国に対しては「『強固な韓米同盟』の強化や原子力潜水艦導入の加速化に言及し、自らの敵対性をさらけ出した」と対米追随を非難した。続けて21日談話では「戦争ごっこができなくなり哀れな立場」だと韓国を嘲笑し、李在明大統領に対しても実名を上げて、「“トランプ大統領に敬意を表する”と気恥ずかしくなるような言葉でお世辞を言いながら『自主国防』や『独自の軍事力確保』を云々している」と皮肉った。さらに、内外での異なる二重的な言動は、韓国の不安と焦りに満ちた矛盾した心理をそのまま表している」とこき下ろした。こうした嘲笑と罵倒は、今後の米朝会談では韓国を排除するとの意思表示かもしれない。
金与正は日本に対しても「アジア太平洋地域での力の不均衡を招く危険要素」だとして、日本の再軍備化の脅威を深刻に受け止めていると改めて強調した。そのうえで、「日本が誤った選択を企てようとするならば、即時に生存不可能な殲滅(せんめつ)的猛攻撃を直接受けることになるだろう」とし、「日本の軍事的進化は薪を背負って火の中に飛び込むような自滅的な行為だ」と威嚇した。このところ労働新聞も連日のように日本非難を繰り返している。北朝鮮はトランプとの「核軍縮」を進めるうえで「日本が最も障害となる」と考えている可能性がある。
こうした韓国に対する嘲笑と日本に対する威嚇は、今後の米朝会談を予見した対応だと読むこともできる。
◆北朝鮮、韓国の背後で蠢く中国
米国のトランプ大統領が、北朝鮮に対して対話再開を求めるメッセージを発し、11月に中国の深センで行われる「アジア太平洋経済協力会議(APEC)」を機会とし、米朝首脳会談を推進すると、さまざまなメディアが報道しているなか、19日、5年ぶりに韓国を訪問した中国の王毅外相の動きに注目が集まっている。
王外相は、韓国の趙顕(チョ・ヒョン)外相との会談後、記者から「朝米首脳会談を仲介するのか」との質問に、「北朝鮮と米国の間で決定すべきこと」としたうえで、米国は長年維持してきた北朝鮮敵対政策を変えるべきだ」と語り、「まず米国が北朝鮮に対して融和的対応を見せるべきだ」と北朝鮮支援の発言を行った。20日には魏聖洛(ウィ・ソンラク)国家安保室長とも会談して「日本の軍国主義の再現を決して許してはならない」と反日を煽った。
注目された20日の李在明大統領との会談では、まず中韓の経済協力拡大のメリットを強調した。
王外相は「貿易保護主義が台頭する中、中韓は模範的な役割を果たすべきだ」と述べ、中国市場を餌に、「各国、とりわけ隣国と発展のチャンスを分かち合いたい」と強調。トランプ政権の関税政策を念頭に中韓自由貿易協定(FTA)第2段階交渉の早期妥結を呼びかけた。
そのうえで王外相は李大統領に反米姿勢の維持を求めた。
王外相は、李大統領に対し「就任後に正しい決断を下し、中韓関係を正常な軌道に戻すことを推し進めた」と、反米姿勢を貫く李大統領を持ち上げる一方、「中韓両国が戦略的協力を強化することは、両国の根本利益と合致し、地域の平和と安定の維持にも重要だ」とし、「韓国が真の戦略的自主性を実現し、陣営対立やどちらか一方の側に付くといったことを行わないことを望む」と注文した。
トランプ大統領が19日(現地時間)に、記者団からの「北朝鮮の金正恩国務委員長と書簡をやり取りしているのか」との質問に「それは言えないが、私は彼とうまくやっている。これは悪いことではなく良いことだ」と答え、突然、「彼は57発の非常に強力な核兵器(nuclear weapons)を持っている」と述べたことで、米朝首脳会談に関するさまざまな憶測が広がるだけでなく、実際に米・中・朝は動き始め朝鮮半島情勢は新たな動きを見せようとしている。
年末にかけて米・中・朝・韓・ロの外交戦が火蓋を切るかもしれない。この動きの中で、日本は蚊帳の外に置かれてはならない。日米同盟を強化して万端の準備を整えこうした動きに対処する必要があるだろう。
【よくある質問(FAQ)】
Q1. 金与正(キム・ヨジョン)とはどんな人物か?
A1. 北朝鮮の朝鮮労働党総務部長。1988年生まれで金正恩総書記の実妹。スイスへの留学経験を持ち、金正恩体制の中枢で兄を支える最側近の一人。党宣伝扇動部第一副部長、党副部長などを歴任し、現在は党総務部長。対韓国・対米政策で強硬な談話を発表する「スポークスパーソン」役を担い、金正恩の意思を代弁する立場として国際的な注目を集めている。
Q2. 王毅(ワン・イー)中国外相とはどんな人物か?
A2. 1953年生まれの中国の外交官・政治家。中国共産党中央政治局委員、中央外事工作委員会弁公室主任、国務院国務委員、外交部長を兼任する中国外交の最高責任者。北京第二外国語学院で日本語を学び、駐日中国大使(2004-2007年)を務めた「日本通」でもある。2013年から外交部長を務め、習近平政権の外交戦略を主導している。
Q3. アジア太平洋経済協力会議(APEC)とは何か?
A3. Asia-Pacific Economic Cooperationの略称で、1989年に発足したアジア太平洋地域21カ国・地域の経済協力の枠組み。加盟国はGDPで世界の約6割、貿易量で世界の約5割を占める。毎年、加盟国持ち回りで首脳会議が開催される。2026年は中国が議長国を務め、11月に深圳市で首脳会議が開催される予定。首脳会議の場を利用した二国間会談が慣例で、注目される場となっている。
Q4. 「米朝首脳会談」の過去の実施状況は?
A4. これまでに3回、第1次トランプ政権時代に実施された。①2018年6月12日、シンガポール(史上初の米朝首脳会談)。②2019年2月27-28日、ベトナム・ハノイ(合意なく決裂)。③2019年6月30日、板門店(トランプ大統領が現職米大統領として初めて北朝鮮側に足を踏み入れた)。合意文書として「シンガポール共同声明」が採択されたが、その後の非核化交渉は実質的に停滞している。
Q5. 中韓自由貿易協定(FTA)とは何か?
A5. 中国と韓国の間で締結された自由貿易協定。2015年12月に発効し、両国間の関税撤廃や貿易障壁の低減を進めてきた。第1段階では主にモノの貿易が対象だったが、サービス・投資分野を対象とする「第2段階交渉」が2018年から始まった。中国は韓国最大の貿易相手国であり、両国経済の相互依存度は高い。本稿では、トランプ政権の関税政策を念頭に王毅外相が第2段階交渉の早期妥結を呼びかけたと紹介されている。
◆シリーズ・アーカイブの紹介
本連載は、朝鮮半島の政治・外交・安全保障を専門とするコリア国際研究所所長・朴斗鎮によるコラムです。北朝鮮の内部構造や権力体制の変遷を独自の視点で読み解くことで、日本のメディアでは見えにくい朝鮮半島の実像に迫ります。
(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)
トップ写真:握手を交わす北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長とドナルド・トランプ米大統領 2019年6月30日・韓国板門店
出典:Photo by Dong-A Ilbo via Getty Images
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この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長
1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統

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