プーチン択捉訪問にうろたえるな 北方領土問題は基本方針でリセットせよ
執筆者:樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【本稿のポイント】
- プーチン露大統領の北方領土訪問が波紋を呼んでいる。
- 「関係冷却化不可避」など反発が強いが、日露関係はもともと停滞していた。
- 今回の事態によって状況が大きく変化することはない。日本はうろたえることなく、従来通り領土返還交渉の原則を貫くべきだ。
プーチン露大統領が北方領土の択捉島を訪問したことに、日本国内で強い非難の声が上がっている。しかし、ウクライナ侵略を巡る対露制裁以降、日露関係はすでに冷え切っていた。今回の訪問で状況が大きく変わることはない。樫山幸夫元産経新聞論説委員長は、日本はうろたえることなく、領土問題の基本方針を堅持し、交渉の「リセット」を図るべきだと訴える。
■大使召還など強い対抗措置をとるか
プーチン大統領が8月13日に択捉島を訪問した経緯については、すでに各メディアで大きく報じられている。
高市首相は同じ日、「日本国民の感情を傷つけるもので、断じて許容できない」と強く非難、「対応を政府内でしっかり検討する」と、対抗措置をとる考えを示唆した。
いまのところ、茂木外相がロシアのノズドレフ駐日大使を外務省に呼び、抗議したにとどまっているが、モスクワ駐在の武藤顕大使の召還などに踏み切るかが焦点になっている。
メディアも一様に、きびしい論調で筆をそろえた。
「日露、冷却化不可避」(8月14日づけ、読売新聞)、「関係が決定的に悪化」(同、朝日新聞)、「(領土)返還交渉、より困難に」(同、産経新聞)など筆をそろえて同趣旨の分析を伝えている。
プーチン大統領の狙いについては、対ウクライナ戦争への厭戦気分高まり中、9月の下院選勝利に向けて領土問題で強い態度を示すことで、保守派の支持を得ようという思惑―などがほとんどだ。
不法行為を容認したという誤解を避けるためにも、抗議、対抗措置は必要だろう。その一方で、あたふたすることなく冷静さをもって対応していくことも求められよう。
両国関係が良好、または改善に向かっているなかでの挑発行動なら、「冷却化不可避」も正しいだろう。
しかし、ウクライナ侵略をめぐって日本が対露制裁を発動して以来、関係は極度に悪化している。プーチンの択捉訪問があろうとなかろうと、状況にはほとんど変化はないとみるべきだ。
不法占拠している他国の領土に、国のトップが足を踏み入れることは許しがたいが、過去の日ソ、日露関係、領土交渉を振り返ってみれば、先方の不当な行為に騒ぎ立てるのは意味のないことがわかる。
■長く困難な交渉の不快な一幕
国後、択捉、歯舞、色丹の4島は、1945年のちょうど今頃、8月15日に日本が降伏した直後から9月初めにかけて、旧ソ連が混乱に乗じて不法占拠、今日に至るまで居座っている。
両国が国交を回復した1956(昭和31)年の日ソ共同宣言で、歯舞群島、色丹島について、平和条約が締結された後に「引き渡す」ことが明記された。
しかし、旧ソ連は1960(昭和35)年の日米安保条約改定を機に「領土問題は解決済み」という強硬姿勢に転換、苦しい交渉が始まる。
それでも日本側は粘り強く働きかけ、1973(昭和48)年には、訪ソした田中角栄首相とブレジネフ・ソ連共産党書記長(いずれも当時)との会談で、「第2次大戦からの未解決の諸問題」に、国後、択捉を含む4島の問題が入ると確認することに成功した。
1993(平成5)年、ソ連の後継、ロシアのエリツィン大統領が来日、細川護熙首相(いずれも当時)との会談の成果文書「東京宣言」に、国後、択捉、歯舞、色丹の帰属問題を「法と正義の原則で解決する」ことが明記された。56年宣言に見送られた2島が盛り込まれたことは、田中―ブレジネフ会談に続いてロシアの鉄壁を揺るがす大きな成果だった。
2018(平成30)年になって、安倍晋三首相(当時)とプーチン大統領がシンガポールでの会談で、「56年の共同宣言を交渉の基礎とする」ことで合意、日本国内では歯舞、色丹の返還が実現するのではないかとの観測がなされた。
しかし、交渉は停滞、中断し戦後81年の今日まで未解決のまま至っている。
長々と過去を振り返ったが、延々と続いてきた困難な交渉全体からみればプーチンの択捉訪問など、不快な一幕にすぎないことが理解できよう。日本があたふたと騒ぎ立てても、何ら得るところはない。保守派にアピールしたいプーチンの目論見に利用されるだけだろう。
■基本構図には変化なし
ロシア外務省のガルージン次官が武藤大使を呼び、高市首相の批判などに対して逆抗議、問題はなおくすぶる気配だ。日本政府は今後どうすべきか。
東京宣言のとりまとめで、駐ロシア公使として日本側の中心だった茂田宏元イスラエル大使が強調する。「大きくモノ事が変わったわけではない。方針が変わるわけでもないし、変えるべきでもない」―。この言葉に尽きるだろう。
お盆期間中の週末の朝、テレビのニュースショーに出演した国民的歌手の発言が物議を醸した。「(北方領土は)現在、ロシアに領有されているので、プーチンが行くことに直接抗議できる立場に(ない)」、「戦争の最後の段階で、ロシア、当時はソ連、の領有になったことに対して客観的判断は必要」などの不正確な認識を含む持論を展開した。
司会のアナウンサーが「正しくは実効支配だ」と訂正したが、ネットを中心に〝炎上〟した。
真意は不明だが、長年、困難な返還交渉を続けてきた日本政府からみれば、士気を阻喪させられる話だろう。
■北方領土問題のリセットを
国民がこの見方に賛成、同調するかはともかく、人気歌手がテレビカメラの前で放った影響は大きい。それだけに、この際、日本政府として、北方領土問題をリセットすることが必要になろう。
4島は歴史的にみて、一度も外国領になったことはない日本固有の島だ。〝火事場泥棒〟のように不法占拠、81年間も居座っているロシアは直ちに返還すべきであり、プーチン大統領がかつて口にした「引き分け」や日本の一部にあった面積2等分などはありえない。あくまで、日本の全面勝利だ。
2島返還につながりかねないシンガポール合意を見直し、「東京宣言」などの原則を貫き、4島の一括返還をあくまでロシアに求め続けるー。
外務省を中心に日本政府は長年にわたって、困難な返還交渉に取り組んできたが、今一度、こうした主張を日本国民、国際社会に鮮明にすべきだろう。
ロシア、その国民に対しては、「北方領土に居住している人々の人権、利益、希望は返還後も尊重する」(外務省編「われらの北方領土」)ことを十分に伝えることも重要だろう。
プーチンの暴挙に憤っているだけでは事態は進展しない。
FAQ
Q1. 北方領土とはどの島々を指しますか?
A. 国後島、択捉島、歯舞群島、色丹島の4島を指します。これらは歴史的に一度も外国領になったことのない日本固有の領土です。1945年8月15日の日本降伏直後から9月初めにかけて、旧ソ連が混乱に乗じて不法占拠し、現在に至っています。
Q2. 1956年の日ソ共同宣言では何が合意されましたか?
A. 日ソ共同宣言では、歯舞群島と色丹島について、平和条約が締結された後に「引き渡す」ことが明記されました。ただし、国後島と択捉島は含まれていません。その後、旧ソ連は1960年の日米安保条約改定を機に「領土問題は解決済み」と強硬姿勢に転換しました。
Q3. プーチン大統領の択捉島訪問で日露関係は大きく悪化するのでしょうか?
A. いいえ。ウクライナ侵略を巡る日本の対露制裁発動以来、日露関係はすでに極度に悪化・停滞しています。今回の訪問があろうとなかろうと、基本的な状況に大きな変化はないと見るべきです。過去の交渉史からみても、このような不当な行為に過度に騒ぎ立てる必要はありません。
Q4. 日本は今後、どのような基本方針で臨むべきですか?
A. 「東京宣言」(1993年)などの原則を貫き、4島の一括返還をあくまで求めるべきです。2島返還につながりかねない2018年のシンガポール合意を見直し、交渉の「リセット」を図る必要があります。ロシア側に対しては、返還後も居住者の人権・利益・希望を尊重する姿勢を明確に伝えることも重要です。
Q5. 「実効支配」と「領有」の違いは何ですか?
A. 北方領土はロシアによって「実効支配」されている状態であり、合法的な「領有」ではありません。日本政府の一貫した立場は、これらは不法占拠された日本固有の領土であるというものです。一部の発言で「ロシアに領有されている」と表現されることがありますが、これは不正確です。
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この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長
昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

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