[神津多可思]【アベノミクス、影響はこれから】~実体経済の変化には時間が必要~
神津多可思(リコー経済社会研究所 主席研究員)「神津多可思の金融経済を読む」
ある国の経済の全体をみようとする際には、しばしば実体経済と金融経済に分けて考える。ごく簡単に言えば、実体経済とは、私達の日々の消費活動や企業の雇用や設備投資など、モノやサービスが動く部分のことであり、金融経済とは、そうしたモノやサービスの動きの背後にある金融取引の部分である。
この二つでは経済活動の動きのスピードはまったく違う。モノを買う、人を雇う、事業展開を変えるといったことは、いずれも瞬時にはできない。どうしても一定の時間が必要だ。店頭のモノやサービスの価格も、数秒で大きく変動するなどということはほとんどない。これが実体経済の世界だ。これに対し金融経済では、1秒のさらに何分の1かで価格が変動し、かつ状況に応じて取引の量も大幅に変動する。為替レート、株価、債券先物などを思い浮かべればよい。
このように性格の異なる実体経済と金融経済であるが、両者は密接に関連している。そもそも金融経済において生み出されるマネーがなければ実体経済の取引は成立しない。しかし、経済活動のスピードが違うことから、どうしても金融経済の側で状況が大きく変動し、実体経済がそれに遅れてついて行くという展開になりがちだ。
アベノミクスで、当初のシナリオとの食い違いが大きいと思われる一つに輸出の動向があるが、これは実体経済の話だ。金融経済の側におけるこの間の大幅な円安にも関わらず、過去のパターンと同じようには輸出数量が増えない。それは、円高の下で生き残るために、輸出企業がこれまで懸命に経営変革を進めてきた結果でもある。その変革の流れは、たとえ大幅な円安であっても、1年程度ではなかなか変わらない。
もちろん、金融経済に比べればゆっくりではあるが、実体経済でもさまざまな調整は進む。政策投資銀行の調査により、グローバル企業の今年度の設備投資計画をみると、国内への投資が増える一方で、久し振りに海外への投資は減るようだ。こうした変化には、この間の為替レートの動きも影響しているはずだ。しかし、だからと言って、すぐに輸出数量が増え始めるわけでもない。実際、電機産業等を中心に、生産設備を海外に移転してしまい、国内生産を増やせない分野もかなりある。
アベノミクスの下で金融経済が変化すれば、その影響が今はまだ華々しく現れていなくとも、これから現れる部分があるはずだ。輸出もそうだが、物価も同じだろう。実体経済は金融経済に比べ調整のスピードは遅いのだから、おそらく人々のインフレ期待も次第に変わっていくはずだ。それでも1年程度でそう大きく動くものでもないのだろう。
金融経済は、瞬時に目まぐるしく変化する短い時間視野の中で動いており、その論理で金融政策に対してもさまざまな催促をする。一方で金融政策は、もっと長い時間視野の中で動く実体経済も合わせて、マクロ経済全体を安定化させようとする。その金融政策を担う中央銀行のコミュニケーションが難しいのは、こういう性質の異なる二つの経済部門に同時に直面しているからでもある。問題は、実体経済の調整に時間がどの程度かかるのか、それまで金融経済は待ってくれるのかということだ。巨額の公的債務を抱えた日本にどの程度の時間が残されているのか、簡単には分からないだけに、逆にとても気になるところだ。
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