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.国際  投稿日:2016/10/8

象徴天皇は私たちがつくった その5 排除された日本側憲法案


 古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

このノートはGHQの最高司令官としてのマッカーサー元帥がケーディス氏らに憲法草案づくりにあたって、これらの点だけは盛り込むようにと指示した簡単な書類だった。もちろん本国政府の方針の反映ではあったが、元帥自身の判断も入っていたといえる。そのノートは天皇と戦争放棄と封建制度の三点について書かれていた。天皇についての記述は以下のようだった。
 
「天皇は国の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務と機能は憲法の定めるところに従って行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるべきものとする」
 
以上の指針にもかかわらず、ケーディス氏は憲法草案では天皇について「元首」という言葉は一切、使わず、「象徴」という表現を打ち出したのである。
 
ちなみに戦争放棄に関してもケーディス氏はマッカーサー・ノートに記されていた「自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する」という一節を自分自身の判断で削ってしまった。その結果、第九条での戦争放棄では「自国の安全維持」は対象外となったのだ。
 
ケーディス氏は「自国自身の安全を守るための戦争を放棄する国家は主権国家とはなりえない」という自分自身の判断でその一節を抹消し、上司の了解を事後に得た、と私のインタビューでも語っていた。同様に「国や国民の象徴たる天皇」という表現もケーディス氏らのその場での発想で生まれたともいうわけだ。
 
こうした形でアメリカ占領軍があわただしく日本の憲法を書き、天皇の地位までを決めたのは、一つには日本側の憲法草案「松本試案」への激しい反発が理由だった。前述のように米側は当時の幣原内閣に日本独自の新憲法を書くことを当初は命じたのだ。
 
「松本試案」は甲案、乙案など複数あったが、天皇については大日本帝国憲法が「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあったのを「天皇は至尊ニシテ侵スヘカラス」と変えるという範囲だった。帝国憲法が「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあったのを「日本国ハ万世一系ノ天皇統治権ヲ總攬シ此の憲法ノ條規ニ依リ此レヲ行フ」と変えただけだった。
さらに「松本試案」には「天皇ハ軍ヲ統帥ス」という一条もあった。大日本帝国と死闘を繰り広げたアメリカがそんな日本の存続を許すはずがなかった。
 
アメリカ側からすれば、「松本試案」は大日本帝国憲法と主要な変わりはないということだった。だからこそ即座に排除して、GHQによる独自の憲法草案の作成を急いだのだった。
 
その結果、天皇は「神聖にして侵すべからず」から「日本国の象徴」へと変わった。いや変えられた、というのが正確である。天皇の地位の歴史的な変革だった。長い年月、保たれてきた地位や立場の喪失でもあった。「神聖で不可侵な統治権」を奪われたのだ。外部からの巨大な力による強制的な変化でもあった。
 
だがそれでも天皇制も皇室も、その変化の奔流を柔軟に受け入れ、新しい地位へと移行した。そして新しい環境にふさわしい形で立派に存続することとなった。
 
いまその是非が問われる天皇陛下の生前退位も従来の状況からすれば大きな変化ではあろう。だがこの報告で伝えてきたような天皇や皇室の立場の歴史的な激変にくらべれば、枝葉の変容のようにもみえてくる。
 
そもそもどんな制度でも慣行でも時代や環境に合わせて変わっていくのである。日本の政府も国民もこの際、肩の力を抜いて、その変化を自然の流れとして進め、受け入れればよいのではないか。
 
日本の天皇制が敗戦によりアメリカという荒波に翻弄された時代のそのアメリカ側の歴史の当事者が語った回顧をいま想起して、私が感じたのはこんな思いだった。
(了。その4の続き。全5回。その1その2その3。この論文は月刊雑誌WILL2016年11月号からの転載です。)

この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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