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.国際  投稿日:2016/10/6

象徴天皇は私たちがつくった その4 ふっと思いついた天皇のあり方


 古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

アメリカ政府は天皇制に関して現地のマッカーサー元帥らにごく大まかな基本方針を伝えていただけ、という感じなのだ。現地の責任者に与えられた裁量が大きかったということだろう。そのマッカーサー元帥から憲法起草を命じられたケーディス氏ら実務担当者にはさらに驚くほど大きな裁量が与えられていたようなのだ。

さてケーディス氏への質問では私は前述の引用部分の後、日本側の憲法起草案「松本試案」(米側が当時の幣原喜重郎内閣の松本烝治国務大臣に命じて作成させた憲法試案)などに触れ、しばらくやりとりをしてまた天皇についての問いへと戻っていった。

*         *   *

古森「また本題に戻りますが、当時の米軍統合参謀本部(JCS)からの一連の指令のなかにも天皇制廃止とか、天皇の廃位を求めるような提案、指導はまったくなかったわけですね」

ケーディス「天皇の身柄、あるいは天皇の在位に関する限り、そうした提案はまったくありませんでした。ただ天皇が国家や政府の大権を行使しないようにするという点は明白にされていたと思います」

古森「ということは天皇をどう扱うかについては統合参謀本部の指令が初めて言及した時から、あなた方が憲法草案を実際に書き終えるまで、アメリカ側の方針には重要な変化はなにもなかった、といえるわけですか」

ケーディス「さあ、その質問にはどう答えたらよいか・・・というのはSWNCC文書に書かれていた天皇についての方針はきわめて一般的なものだったため、それが実際、具体的になにを意味するのかは、私たちが推測しなければならなかったからです。

たとえば天皇は政治的権限を行使することができないのなら、一体どんな存在となるのか。『国の象徴』とか『国民統合の象徴』といった表現は実は私たちがその起草の段階でふっと考えついて、つくり出したものなのです。

さらに私の記憶では、天皇はほかに種々の儀礼的な機能を果たすとか、外国からの賓客に面接するということになっていますが、これらも私たちがその段階で思いついて考え出したのです。

憲法づくりの土台となるべき統合参謀本部の指令書には天皇がなにをするべきか、どんな機能を果たすべきか、ということは一切、なにも書かれていませんでした。それら指令書は天皇がしてはいけないこと――政治上の権限は一切、持たない、などということ――だけを定めてあったのです。だから起草グループの私たちが天皇のすることを考え出さねばならなかったのです」

古森「そういう事情だったのですか」

*         *   *

やはりショッキングである。日本人にとっていまの天皇制ではまず第一に念頭に浮かぶ「象徴」という表現でさえ、米陸軍大佐らのその場での産物だったというのである。この点ではケーディス氏は「わたしたちがつくり出した」(We created)という表現をはっきり使っていた。アメリカの役割はこれほど巨大だったわけである。

以上のやりとりからは改めてケーディス氏ら現場の実務担当者たちの裁量権限がいかに大きかったかもわかる。ただその実務担当者たちに与えられていた「マッカーサー・ノート」の役割について指摘しておかねばならない。 

その5に続く。その1その2その3。全5回。毎日午後11時にアップ予定。この論文は月刊雑誌WILL2016年11月号からの転載です。)


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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