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.社会  投稿日:2018/8/3

挑み続ける医師、福島からの変革


上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

【まとめ】

・閉鎖的ムラ社会の医療界で問い続ける尾崎章彦医師。

・熱意ある医師のもとに若手、人材が集まる。

・震災から7年。人材が育ちつつある福島から医療が変わりつつある。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=41331 でお読み下さい。】

 

 製薬企業と医師の癒着は根深い。2013年のノバルティスファーマの臨床研究不正事件を経ても、実態は変わらない。この問題を問い続けている医師がいる。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)の乳腺外科医である尾崎章彦医師だ。

 

 彼は2017年、戸井雅和・京都大学教授および大野真司・がん研有明病院副院長を中心とした臨床研究グループJBCRGJapan Breast Cancer Research Groupが、世界最高峰の医学誌である「New England Journal of Medicine (NEJM)」に寄稿した論文で、製薬企業との利益相反を開示していないことを英文の専門誌に報告した(参考記事)。

 

この臨床試験は、中外製薬が販売する抗がん剤カペシタビンの有効性を検証しているが、中外製薬が研究資金を負担していたことが明らかとなっている(参考記事)。

 

ところが、戸井教授らは「開示すべき利益相反はない」と記し、中外製薬との利益相反を開示しなかった。これは医学研究の領域で明確なルール違反だ。

 

しかも、そのやり方が姑息だった。中外製薬は、2012年から4年間に一般社団法人JBCRGに1億円を寄附している。このことを論文に記さなかった。中外製薬が販売する抗がん剤を、あたかも第三者である医師が評価したという体裁をとった。

 

このことは少し調べればわかる。関係者から質問を受けた戸井教授は「研究の実施主体は任意団体のJBCRGで、同名の一般社団法人JBCRGから寄附を受け取った」という主旨の説明を繰り返している。かつて政治家が資金集めでよくやったやり方だ。目的は資金洗浄や脱税。刑事事件になったこともある。このような回答を繰り返す戸井教授らへの疑惑は益々深まった。

 

 ただ、批判が堪えたのだろう。戸井氏らは、NEJM上のレター欄で利益相反があることを認めた(参考記事)。しかしながら、この際にも全てを明かさなかった。余程、知られては困ることがあったのだろう。尾崎医師は、修正申告の不正を明らかにした。

 

 彼が、この隠蔽に気づいたきっかけは、ワセダクロニクルと私が主宰するNPO法人医療ガバナンス研究所が共同で進めている製薬企業から医師への支払の調査に参画したからだ。この調査では、日本製薬工業協会に所属する製薬企業71社の支払をすべて調べた。そして、製薬企業から医師個人への支払の状況を明らかにした。その結果は衝撃的だった

 

千葉大学の内科教授など、年間に155回も製薬企業の講演会の講師やコンサルタントなどを務め、その対価として2,000万円を受けとっていた。わかっているだけで、戸井医師は318万円、大野医師は602万円を受け取っていた。とは言え、当該論文に関係しない支払いは必ずしも申告する必要はない。

 

それでは中外製薬からの支払いはどうだったか。日本人著者12人のうち9人が、2016年に中外製薬から支払いを受けていた。そのうち論文発表当初に中外製薬に対しての利益相反を申告していたのは3人だけだった。当初、中外製薬に対しての利益相反を報告していなかった6人のうち中外製薬に対しての利益相反を修正申告したのは3人に過ぎず、残りの3人は申告しないままだった。この中には、大谷彰一郎医師(広島市立広島市民病院)のように中外製薬から245万円の支払いがあった者もいた。これは悪質だ。ところが、この問題を指摘する人はいない。それは医療界が閉鎖的なムラ社会だからだ。

 

 医療界は狭い社会だ。厚労省、日本医師会、大学医局が幅を利かせている。無理が通れば道理が引っ込む。1980年代、彼らは競争相手を減らす為に「将来的に医師は余る」と言い続け、医学部定員を減らした。その結果、現在の医師不足を招いた。ところが、彼らは、いまだに同じ主張を続けている。これは世間から相手にされていない。その証左に東欧の医学部へ進学を希望する高校生が急増している。彼らは「医師へのニーズは益々高まる」と考えている。

 

最近、話題の新専門医制度も、医学界の幹部の主張とは正反対に医師の東京一極集中が加速した(参考)。これを主導したのは、医学部教授だ。多くは筆者の母校である東大医学部の卒業生だ。

本来、制度を全面的に見直すべきだが、彼らは「我々が責任をもって医師を地方に派遣する」という。これは大学医局の復活に他ならず、派遣する連中が大きな権力を得ることになる。

 

こんな馬鹿げたことを誰も批判しない。物言えば唇寒し。長いものに巻かれているうちに、まともな判断力を失ってしまう。これこそ、我が国の医療界の問題だ。この状態に問題意識を抱く若手が育ってきた。その代表が前述の尾崎医師だ。30代前半の医師が公然と医学界の重鎮を批判するなど、かつては考えられなかった。

 

なぜ、彼が成長したのか。それは彼が福島で働いたからだろう。社会の問題は常に辺境におきる。尾崎医師は、次々と起こる問題に対応し、成長していった。彼の経歴、福島での活動をご紹介しよう。

 

 尾崎医師は福岡県出身。2010年に東大医学部を卒業したあと、千葉県内の病院を経て、竹田綜合病院(福島県会津若松市)に就職した。その後、2014年10月に南相馬市立総合病院に移籍する。彼が外科医として研鑽を重ねる傍ら、東日本大震災以降、南相馬市で起こっている事象を医学論文としてまとめた。

 

例えば、南相馬では原発事故後、乳がん患者が手遅れになってから病院を受診するケースが増えた。この事象を、彼は「原発事故で子ども世帯が避難した結果、独居高齢者が増えたため」と分析した。

 

人は誰しもが、都合の悪い事実を認識したくない。心理学の専門語で正常性バイアスといい、沈没船から逃げ遅れたり、洪水でも逃げない人など、その代表例だ。尾崎医師が対応した多くの患者は、乳房に腫瘤を自覚しても「まさか癌ではない」と考えて、病院を受診しなかったのだろう。家族がいなければ、そのままになり、癌は進行してしまう。尾崎医師は、この正常性バイアスが南相馬の住民にも働くことを示した。高齢化社会では独居老人が増える。この論文は英国の医学誌に掲載され、世界の注目を集めた。

 

 一人前の臨床医になるには、診療と研究が欠かせない。これは医師のトレーニングの車の両輪で、古今東西変わらぬ真理だ。両立は難しい。診療はある程度慣れればルーチンワークになるが、研究は最新の情報にアップデートし、データを集め、自分の頭で考えねばならない。病院の業務とも直接関係はない。多くの医師は30代になると、何もしなくなる。

 

尾崎医師は違った。14年10月に南相馬市立総合病院に移籍以降、2018年7月25日現在、51本の英文論文を発表した。17本は筆頭著者だ。これは並みの大学教授より多い。彼が成長したのは、2016年末の広野町の高野病院の高野英男院長の突然死だ。

 

高野病院は福島第一原発の南22キロに存在する慢性期病院だ。1980年に高野英男氏が設立した。病床は内科65床、精神科53床で、毎日20名程度の外来患者や、数名の急患を引き受けていた。東日本大震災以後も双葉郡内で診療を続けた唯一の病院である。

院長の急死で病院は存続の危機に立った。尾崎医師は「高野病院を支援する会」を立ち上げ、仲間の医師とともに次の院長が決まるまで、ボランティア医師の派遣やクラウドファンディングなどでの支援を行なった。(参考)。多くのメディアで報じられたため、ご存じの方も多いだろう。

 

当時、福島県と広野町は高野病院への支援に消極的だった。両者の間には長年にわたる軋轢があったらしい。住民視点に立てば、高野病院を存続させねばならない。そのためには福島県や広野町の協力が欠かせず、結果として、両者を批判することになる。福島県の中には福島県立医大も含まれる。当時、尾崎医師には「そんなことをしたら、君の将来にとってよくない」と忠告する医師もあったようだ。彼も相当悩んだようだが、自分の意志を貫いた。大勢の支援者とともに、高野病院は存続した。これは、尾崎医師にとって、「社会を少しだけ動かす」最初の経験となった。

 

 その後、2018年1月に尾崎医師は南相馬市内の青空会大町病院に移籍した。南相馬市の中核病院だが、内科の常勤医がいなくなったためだ。尾崎医師の後輩である山本佳奈医師が9月に赴任したが、彼女一人ではまかないきれなかった。外科医である尾崎医師は、内科医として赴任を決意する。

 

 この病院には都内の私立医大から外科の常勤医、非常勤医が派遣されていたが、病院長は彼らに対して内科の「雑用」を頼まなかった。病院長は、この大学の出身者である。尾崎医師は、病院が後任の内科医を確保するのをまって、7月に退職した。彼がいなければ、南相馬市の内科診療体制は崩壊していた。

 

 現在、彼が勤務するのは、ときわ会常磐病院(福島県いわき市)だ。江尻友三・名誉院長とともに、専門である乳腺の治療センター、検診センターを立ち上げようとしている。

 

 いわき市の人口は34万3,383人(2018年7月1日現在)。中核市に認定され、福島県内最大の都市である(郡山市は33万3,206人、福島市28万9,371人)。ところが、この地域の医師が不足している。人口10万人あたりの医師数は161人、全国平均の240人はおろか、福島県平均の196人を下回る。これはブラジルやエクアドルなどの平均とほぼ同レベルだ(2016年12月末現在)。

 

 乳がんの診療に従事する医師も少ない。常磐病院以外に常勤で乳腺に特化した医師が在籍するのは、いわき市立総合磐城共立病院福島労災病院呉羽総合病院だけだ。いずれも常勤医は一人だけで、いわき市内の乳腺患者に対応出来ない。

 

 この地域が抱える問題は深刻だ。乳がんの治療を行うには、外科医だけでなく、放射線診断医、放射線治療医、病理医などの存在が必須だ。ところが、このような専門家も不足している。

 

例えば、この地域に放射線治療の常勤医はいない。大学病院から派遣される非常勤医に依存しているが、治療できる患者には限界がある。この問題について、尾崎医師は「時間をかけて養成するしかない」という。

 

熱意ある医師のもとには若手も集まる。南相馬市立総合病院の初期研修医である村田雄基医師は「放射線治療は、今後、ニーズも高まり、関心がある」という。将来は尾崎医師とともに働くことも考えているようだ。

 

放射線診断専門医、病理医については、別の解決法がある。直接患者に接するわけではないので、遠隔診断が可能だ。尾崎医師のパートナーは広島市の放射線診断専門医である北村直幸医師である。北村医師は臨床医として働く傍ら、エムネスという遠隔画像診断をサポートする会社を経営している。

 

エムネスの特徴は画像データをクラウドに集約していることだ。彼らが利用するのがグーグルクラウドプラットフォームだ。

エムネスのシステムを導入した場合、契約する医療機関で撮影されたCTなどの画像はクラウドにアップされ、エムネスと契約する放射線診断専門医が読影する。最近は病理の遠隔診断にも力を入れるようになった。

 

結果は、放射線診断であれ、病理診断であれ、画像に読影レポートをつけて、クラウドを介して、医療機関に戻される。エムネスを利用する医師は「クラウドを介しても、データ送信の遅延はありません」という。

 

エムネスの売りは料金が安いことだ。画像情報のやりとりには、インターネット回線を使うので、医療機関は初期費用を負担する必要がない。病院が独自回線を引き、独自にサーバを用意する従来型の電子カルテとは違う。

 

北村医師は遠隔診断では世界的に有名だ。7月24~26日にかけて、米国サンフランシスコで開催された「グーグルネクスト2018」に招聘され、グーグルクラウドのアリエ・マイヤー氏と50分にわたり対談した(参考)。参加した日本の電子カルテメーカーの社員は「北村先生の仕組みは現時点で世界最高レベルです」という。だからこそ、グーグルも目をつけたのだろう。

写真2)「グーグルネクスト2018」に参加する尾崎医師

後ろは共同研究者の嶋田裕記医師(南相馬市立総合病院脳外科)

©上昌広

 

実は尾崎医師は「グーグルネクスト2018」に参加した。エムネスと遠隔診断の共同研究を進めているからだ。常磐病院でも「自らが関与する部分から、エムネスのシステムを導入する予定」という。さらに、北村医師を介して知りあった、グーグルのチームとも共同研究を進める方向で調整を始めた。

 

地域力は人材力だ。東日本大震災から7年が経過し、福島では一流の人材が育ちつつある。その一人が尾崎医師だ。現場で直面した問題を、多くの方々に支えられながら、一つずつ解決している。このような活動を通じ、国内外に広いネットワークも構築されつつある。

 

革命は周辺からおこる。福島から医療が変わりつつある

トップ写真)外来診療中の尾崎章彦医師

©上昌広


この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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