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スポーツ  投稿日:2014/5/9

[神津多可思]<遠い将来のことよりも、今のことが大事>温暖化ガス排出問題と日本の財政問題の共通点


神津多可思(リコー経済社会研究所 主席研究員)

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最近また地球温暖化問題がよく話題になる。その背景には、1997年に採択された京都議定書に次ぐ温暖化ガス排出抑制のための枠組みについて、来年までに国際的な合意を形成する予定になっているという事情もあろう。二酸化炭素に代表される温室効果ガスの排出により、平均気温が上昇し、次第に地球環境が大きく変わって、経済的にも巨額の損失が発生する点については、ほぼコンセンサスが形成されている。

しかし、その損失が今後どう発生してくるのか、どの程度になるのか、いずれも不透明だ。しかも影響がフルに出るのは30〜40年先の将来である。そうなると、コストをかけて温暖化ガス排出を抑制するアクションについて、国際的なコンセンサスを形成することは容易ではない。

実は、この温暖化ガス排出抑制の問題と、日本の財政再建問題との間に共通点がある。

現在の日本の財政赤字も、このまま放置しておいて良いと思っている人はほとんどいないはずだ。しかし、財政赤字の拡大が、今、何か深刻な不都合を生んでいるわけではないと感じている人が多い。かつ、もし将来の経済成長率が高くなるのであれば、財政再建の負担は自動的に軽くなるため、いま直ちにコストの大きな対応(たとえば大幅増税や大幅歳出カット)を採らなくてもいいのではないかということになりがちだ。財政再建に向けた国内コンセンサスの形成はこのところ前進していないのにはそうした背景がある。

経済学には行動経済学と呼ばれる分野がある。2002年にカーネマンとスミスという二人の米国の経済学者がノーベル経済学賞を受賞したことでも脚光を浴びた。この分野では、私たちの判断や行動が、実は常に合理的であるわけではなく、また整合的であるわけでもないところに注目する。

たとえば、今のことと、遠い将来のことの比較で言えば、圧倒的に今のことが大事だと考える人が多いという現実を重視する。したがって、極端に言えば、40年後に異常気象が続発して大変なことになっても、あるいは国家財政が破綻し老若を問わず困難に直面することになっても、個人の利益・不利益の観点からは、今が楽である方を選んでしまいがちになる。

わが身に照らしてみても、そういうところは確かにある。だとすると、温暖化ガス排出抑制や財政再建の問題は、結局いくら議論してみても、多数決的な手順を踏む場合、長期的には破綻型の結論しか出せないということになるのだろうか。

行動経済学では、もう1つ、私達は必ずしも常に利己的に生きているわけではないという発見がある。これは、アダム・スミスが『国富論』の前に著した『道徳感情論』の中で指摘した「共感」に通じるものだろう。

3.11の後の日本の社会における気持ちのあり方を思い出しても、確かに人はいつも自分のことを優先して考えてばかりはいない。結局、地球環境や財政再建については、将来世代のことをどこまで思えるかが重要になる。その将来世代への共感なしには、地球温暖化にせよ、財政再建にせよ、何十年後の将来を見据えた判断を現在時点で正しく下すことはできない。

2014年の日本に生きる私たちが、少なくとも、先人から受け継いだこの社会を少しでも良いかたちで次の世代に引き継いでいこうという共感すら持てないほど、心身ともにすり減らしてしまったとは思いたくない。

 

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