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.社会  投稿日:2014/9/11

[為末大]【努力が生まれた日】


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

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心理学の方にお話をきいていた時に、人類史の中で、努力と夢の概念は実は結構最近のものなんだと言っていた。確かに、何かを目指すということ自体が、身分が固定されている時代や、農業のように日々仕事がある時代にはあまり考えられない。

夢がなければそこに向かう為の努力も存在しない。おそらく昔は日々繰り返されるものを努力ではなく”営み”と呼んでいたのではないか。営みにはさしたる達成目標はなく、あるとすれば日々が続いていく為に繰り返されるものだったのではないだろうか。

それ以外の概念に”行”というものがあるけれど、これは特に達成を目指しているとは思えない。目指しているとしても涅槃のような内的な達成、具体的な何かを得るというものではないと思う。得る為に行うのが努力だとすると、行は行うことそれそのものが目的化するのではないか。

私達は身分と労働からある程度自由になった。職業や生活を選択する自由が生まれた。夢が個人の間に生まれ、それを達成する為に必要な努力が生まれた。不自由から解放され自由になった後は、成功するかどうかはあなた次第という世界がやってきた。

ある村人が毎日山を登って降りてくる。気になった他の村人がついていったら、ただ山頂で石を積んでいた。なんでそんなことをするのかというと意味はないという。そんなわけないと問い詰めても、意味はないと繰り返す。村人は混乱した。努力の世界にいる人は意味から逃れられない。

行と遊びは似ていると思う。意味はなく、目的もなく、ひたすらに今がある。努力は夢を達成する為に行うものだとしたら、遊びは遊ぶ為に行う。そしてもしかするとひたすらに遊び続ける人を、努力し続ける人と呼ぶのかもしれない。

 

 

 

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