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.社会  投稿日:2013/12/18

[白木夏子]私がジュエリービジネスを選んだ理由〜短い人生で、たった一度だけになるかもしれない起業。だったら究極的に好きな事をやろう!


白木夏子 (HASUNA Co.,Ltd.代表取締役・チーフデザイナー)

執筆記事Website

 

「白木さんは、なぜジュエリービジネスを選ばれたのでしょうか?」

…と、よく聞かれますが、このことについて今回は書きたいと思います。

私が生まれる前、私の母は東京の下町でファッションデザイナーとして働いており、繊維関係の商社マンだった父と出会い、結婚しました。母の実家である鹿児島で私は産声を上げ、父の実家・愛知で幼少期を過ごしましたが、ここでの環境は私の人生に大きく影響を与えました。

私が育った愛知県一宮市は、知る人ぞ知る紡績・繊維産業の一大中心地として栄えていた街。現在では機織り工場も少なくなりましたが、私の小さな頃は朝から晩まで土日も工場はフル稼働。工場に囲まれていた私の実家は学校が休みの日も朝から織機の音がガッチャンガッチャンと鳴り響き、ゆっくりと寝ていられることができない位でした(この影響で、今でも騒音の中で周りの音をシャットダウンし仕事に集中するのが得意です。しかしその反面、人の話までシャットダウンして聞いていないこともあります…)。

物心ついた頃から母親が家でデザイン画を描いていたり、ミシンで洋服を作る様子を見ていて、自然と私も自分の手で洋服やアクセサリーを作りはじめるようになりました。おもちゃはミシン、針と糸。布や紙粘土、色紙、ガラスや木のビーズを使ってオブジェを作ったり、自由に創作活動を行うことが大好きな子どもでした。好きな授業は美術や工作。小学校のクラブ活動も手芸部。今でも実家に戻るとこの頃作っていた洋服や紙粘土細工、デザイン画や水彩画が残っています。

人と話す事が得意ではなく、友達も少なく外へも遊びに行く事は稀。自分の部屋に閉じこもってひたすら何かを創る。母が見せてくれた色とりどりの新しい洋服のアイデアや、祖母が大切にしていた宝石の数々は、私の憧れる大人の世界そのものだったような気がします。その後様々な人生の転機があり起業することを決めたとき、こんな考えが頭に浮かびました。

「短い人生の中で、たった一度だけの起業になるかもしれない。だったら究極的に好きな事をやろう!!」

大学時代に出会った鉱山労働者の人々。忘れる事のできない労働者や子どもたちの暗い表情。彼らの生活を、自分の大好きな「創る事」で改善できたらなんと素晴らしいことか!おそらく私は、たとえ起業をしなくとも「創る事」は一生やり続けるし、万が一起業がうまくいかなかったとしても、何かを創り続けることだろうと思います。それは私の生活には必要不可欠で、全精力をかけてまさに子どもの頃のように没頭できることだから。

こんな背景もあり、ジュエリービジネスを選択したことは、私にとって自然なことだったのです。

 

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【プロフィール】

白木_写真白木夏子(しらき・なつこ) HASUNA Co.,Ltd.代表取締役・チーフデザイナー

1981年鹿児島県生まれ、愛知県育ち。名古屋市の高校・短大を卒業後、英ロンドン大学キングスカレッジにて発展途上国の開発について学ぶ。卒業後は国連人口基金ベトナム・ハノイ事務所およびアジア開発銀行研究所にてインターンを経験。2006年に帰国し、投資ファンド事業会社勤務を経て2009 年4 月、株式会社HASUNAを設立。著書に「世界と、いっしょに輝く-エシカルジュエリーブランドHASUNA の仕事(ナナロク社)」がある。2010 年日経ウーマンウーマン・オブ・ザ・イヤー2011 キャリアクリエイト部門受賞。2011 年世界経済フォーラム(ダボス会議)が選ぶ日本の若手リーダー30 人に選出。2012 年Japan Venture Awards2012 中小機構理事長賞受賞。

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