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.国際  投稿日:2016/8/9

人権侵害事件の黒幕、入閣の怪 インドネシア・ジョコウィ大統領の胸中 その1


大塚智彦(Pan Asia News 記者)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

安倍首相による内閣改造が日本では大きく報道され、新閣僚への国際社会の様々な反応が伝えられているが、7月27日にインドネシアでもジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領による第2次内閣改造が発表された。世界第4位の人口を擁し、さらに世界で最も多くのイスラム教徒が住む東南アジアの大国とはいえ、インドネシアの内閣改造人事は特に大きなニュースには通常はならない。しかし、今回の内閣改造には米国務省が素早く反応し、インドネシア国内外の人権団体、マスコミが強い懸念を表明するなど波乱を呼ぶ人事が含まれていた。

それは政治法務治安担当調整相という重要閣僚ポストにウィラント氏(69)が抜擢されたのだ。「ウィラント」という名前は1990年代のインドネシアを知る人には「懐かしい名前」である、と同時に「あのウィラント」と眉をひそめる人も多い名前でもある。1998年5月21日、民主化のうねりの中で32年に渡る長期独裁政権を維持してきたスハルト大統領が辞任を決断した時、国軍司令官として国軍最高位にいたのが陸軍のウィラント司令官だった。

当時ウィラント司令官は最後まで大統領の地位に固執するスハルト大統領に「ご家族と大統領自身の安全は国軍が責任をもって守ります」と進言して「引導を渡した軍人」として知られる。そうした行動と実力が高く評価されその後の「ポスト・スハルト政権」でも治安担当の閣僚として政権中枢に関わり、ゴルカル党の大統領、副大統領候補にも名を連ねるなど政治の第一線に残り続け、現在は連立与党のハヌラ党党首として政界長老格として存在感を示していた。

■人権侵害事件黒幕としての負のイメージ

その一方でウィラント氏には陸軍参謀長時代から暗いイメージが常に付きまとってきたことも事実だ。1997年のアジア通貨危機を契機に民主化を求める動きがインドネシアでも拡大、スハルト体制を揺るがしかねないとして国軍(当時は陸海空警察の4軍体制)は民主活動家の拉致、誘拐、拷問、殺害に陰に陽に関与してきた。

トリサクティ大学学生射殺事件、スマンギ交差点無差別発砲事件など民主化移行の過程で発生した数々の人権侵害事件、そしてハビビ政権の1999年にインドネシアからの分離独立を求める東ティモールで発生した独立派組織、住民への虐殺(死者は2000人以上といわれている)はいずれも治安組織の関与が確実視されている事件だ。

そしてどの事件も陸軍あるいは国軍の最高責任者として関与、黙認、指揮していたと批判されているのがウィラント司令官なのだ。ウィラント氏自身はいかなる人権侵害事件への関与も強く否定していたが、東ティモールの裁判所が「人道に反する容疑」で訴追、欧米をはじめとする国際社会からの追及、圧力が高まり、インドネシア当局も人権侵害の容疑でウィラント氏を事情聴取せざるを得ない事態に追い込まれた。ウィラント氏は閣僚を辞任して捜査対象となるものの「証拠不十分」で責任追及はうやむやに終わっていた。

ウィラント氏自身は甘いマスクで歌が上手くラブソングを吹き込んだCDを販売するほど実力がある。英語も流ちょうで外国人記者にはとても丁寧に対応するなど一見「人当たりの言い軍人」だが、ち密に計算して立ち回る権謀術数に長けた「戦略家」としての手腕は国軍内部に依然として支持層を持つ政治家として稀有な存在でもある。

そのウィラント氏の起用に対し、米国務省は直ぐに反応。「内閣改造はジョコウィ大統領の専管事項であるが、ウィラント氏が国軍司令官在任時の人権侵害事件に関心を持っている。人権擁護は米政府の最も重要な政策の一つである」(アレン国務省報道官)とやんわりとしかし明確な不快感を示した。

さらに、インドネシアの有力な人権組織「行方不明者と暴力の犠牲者のための委員会」(コントラス)、国家人権委員会(コムナスハム)などが一斉に「過去の人権侵害事件への関与が濃厚なウィラント氏が政治法務治安を担当する調整相に就任することで自らの疑惑を闇に完全に葬る危険性がある」と指摘。主要英字紙「ジャカルタ・ポスト」なども「ウィラント氏の起用はインドネシアの人権問題への取り組みの後退を意味する」「ジョコウィ大統領が人権問題に真剣に取り組む必要がないことを示した人事」などと厳しく批判した。

■憶測呼ぶ大統領の真意

今回の内閣改造では財務相に世界銀行専務理事で前ユドヨノ政権の財務相だったスリ・ムルヤニ女史を再登用したことやリニ国営企業相の留任も注目された。リニ国営企業相はジョコウィ大統領が所属する与党闘争民主党(PDIP)の党首、メガワティ元大統領が強く交代を求めていた人事とされ、これを大統領が一蹴したことで、メガワティ党首と近いウィラント氏の入閣とリニ国営企業相の残留が「セットで取引された」との観測が一部ででていた。

しかしこの観測は「メガワティ元大統領がリニ大臣の解任を求めていたのは事実だが、ウィラント氏の入閣には一切関与していない。あくまでジョコウィ大統領の判断だ」とPDIP幹部は明かし、別の理由を示唆した。

ではなぜジョコウィ大統領は内外の批判を覚悟でウィラント氏を起用したのか。①政党間の駆け引きという政治力的理由②インドネシアの負の歴史というパンドラの箱を開けさせない封印説③台頭する国軍への重しという治安上の背景――などが有力視されている。

その2に続く。全2回)

トップ画像:当時のウィラント国軍司令官©大塚智彦


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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