インドネシア潜在テロリスト六百人
大塚智彦(Pan Asia News 記者)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
【まとめ】
・インドネシアのテロ、市民や警察官を標的に。
・ISはジャカルタを拠点化するとのビラ発見さる。
・インドネシアに止まらないグローバルなテロとの闘いに突入。
東南アジアの大国で世界最大のイスラム教徒人口(総人口約2億5500万人の約88%)を擁するインドネシアが今、新たなテロの脅威に直面している。
これまでも東南アジアのイスラム系テロ組織「ジェマ・イスラミア(JI)」などアルカイーダ系のテロ組織メンバーによる欧米系ホテルや飲食店、欧米人が集まるディスコなどを狙った強力な爆弾を使ったテロはあったが、国家警察や国軍など治安当局の厳しい取り締まりと摘発で事件は減少、メンバーの多くが逮捕、投獄され組織は弱体化した。
ところが最近、手製の小型爆弾や拳銃、ナイフなどという小火器・武器による単独か少人数で市民が多く集まる繁華街、バスターミナルを狙うテロが増加する傾向が見え始めた。
さらに今年5月以降、警察官を狙ったテロが相次いで発生、テロのターゲットが欧米資本から一般市民、そして警察官へと変化してきている。
そんな中、国家警察は潜在的なテロリストとして約600人をマークして逮捕に全力を挙げていることを明らかにした。この変容しつつある新たなテロへの対応は、ドイツ・ハンブルグで開かれたG20(主要20カ国)首脳会合に参加、テロとの戦いで国際協調などを訴えたジョコ・ウィドド大統領にとって急務となっている。
■ 警察ターゲットの事件相次ぐ
5月24日、首都ジャカルタのカンプン・ムラユにあるバス停付近で2件の自爆テロによる爆発が発生、イスラム教徒の重要行事である断食月前の市民によるお祭り行列を警戒警備中の警察官3人が巻き添えとなって死亡した。
その後の調べで実行犯は中東のイスラムテロ組織「イスラム国(IS)」に参加しているインドネシア人のバフルン・ナイム容疑者と連絡を取っていたことが判明している。
6月17日、西ヌサテンガラ州ビマ県で手製爆弾によるテロを実行しようとして逮捕された男性3人は「警察署を爆破する計画だった」と供述。6月25日にはスマトラ島北部北スマトラ州の州都メダンにある州警察本部に侵入した男2人によって警察官1人が刺殺される事件も起きた。容疑者らは午前3時に武器を奪う目的で侵入したとみられている。容疑者の自宅からはISの旗やIS指導者の写真が発見押収された。
さらに6月30日にはジャカルタ南部クバヨラン・バルにある国家警察近くのモスク(イスラム教施設)で警察官が刃物を持った男に襲撃された。警察官は負傷したものの、犯人はその場で射殺された。
7月4日には同じ南ジャカルタにあるクバヨラン・バル警察署の外柵にISの旗が掛けられているのが発見され、撤去された。警察によると旗の近くには手書きの脅迫状が残されており「ジャカルタをマラウィのようにする」と記されていたという。
■ ISの拠点作りに関係か
マラウィとはフィリピン南部ミンダナオ島の地方都市の名前で、フィリピンのイスラム武装テロ組織にISシンパの外国人メンバーが合流して、フィリピン軍と激しい戦闘を5月23日以来繰り広げている。フィリピンのドゥテルテ大統領は同島周辺一帯に戒厳令を布告し、軍を増強して掃討作戦を続けているが、テロ組織側が住民を人間の盾にとるなどしているため事態は膠着状態に陥っている。
マラウィでの戦闘にはインドネシア人を含む多数の外国人のISシンパが参加「マラウィをISの東南アジアでの拠点にしよう」と画策しようとしたとされる。ジャカルタで発見された脅迫状にあったように、マラウィでの戦闘の長期化を受けてジャカルタ、つまりインドネシアでもISが東南アジアでの拠点作りを進めようとしていることは十分ありうることで、インドネシア治安当局は警戒感を一段と強めている。
ISがインドネシアを狙うその理由として
① イスラム教徒が多数在住
② 急進派、武装組織、テロ予備軍の存在
③ 群島国家で海路の密入国が容易
などが挙げられると地元新聞社記者は指摘する。
最近のインドネシアでのテロにはかつてのJIとは別の組織でIS信奉者が中心となった新興テロ組織「ジャマア・アンシャル・ダラワ(JAD)」が関わっているケースが増えている。
このJADの壊滅を目指す治安当局は、対テロ特殊部隊「デンスス88」や国家情報庁の協力でカンプン・ムラユ事件以後全国で36人を反テロ法違反容疑で逮捕、複数のテロを未然に防いだとされる。
■ テロ監視対象600人の衝撃
7月7日に国家警察報道官は「現在テロリスト候補者、IS共鳴者などのテロ予備軍を含め全国、外国滞在者など約600人をリストアップして警戒監視を続けている」と発表した。これはこれまで法務司法省が「テロ容疑者」として指名手配していた83人を大幅に上回る数字で(83人は600人に含まれる)、インドネシア社会は大きな衝撃を受けている。
600人には成人、子供、中東での戦闘で死亡した可能性のある者、すでにインドネシアを出国して中東に向かった者、海外渡航に失敗・断念した者、中東からの帰国者などが含まれているという。
治安当局は入国管理局と連携してこの600人の出入国には特に警戒の目を光らせており「このリストの600人は発見次第身柄を拘束して必要な措置をとる」(国家警察報道官)としている。
インドネシアのジャカルタ、バリなどの国際空港、メダン、スラバヤなどの主要港湾、イスラム教のモスク、キリスト教教会、仏教寺院、ホテル、ショッピングモールなどのソフトターゲットでは警戒態勢が高められ、同時に警察署、警察関連施設でも厳重な警備が続いている。
ジョコウィ大統領は、イスラム教の「寛容の精神」とインドネシアの国是である「多様性の中の統一」を強調する一方で、「テロは断じて許さない」との姿勢を幾度となく表明している。
その中で、ほとんど全てのテロリストがイスラム教徒であるという現実に向き合いながら、難しい対テロ政策の舵取りを懸命に行っている。
フィリピンのマラウィ事件に関連してマレーシア、フィリピンと共同でカリマンタン島(マレーシア名ボルネオ島)北東部のフィリピンに隣接する海域、空域の共同パトロールを始めたのはその一環といえる。
インドネシア1国だけではなく、東南アジアや国際社会との協力が不可欠のグローバルな「テロとの戦い」が改めて今、そこにある厳しい現実として迫ってきている。
トップ画像:2016年1月ジャカルタ市内で起きた交番襲撃自爆テロ
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この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。