無料会員募集中
スポーツ  投稿日:2018/7/19

W杯とは見本市である 超入門サッカー観戦法 その6


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・サッカー選手にとってW杯は自分の価値を世界のサッカー市場に向けてアピールできる「見本市」。

・カテナチオにこだわり続け、結果を出したクロアチア。

・日本代表が世界一の座に就くことは、決して夢物語ではない。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては写真説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=41090でお読みください。】

 

祭りは終わった。ワールドカップ2018年ロシア大会は、フランスの優勝で幕を閉じた。日本でも「余韻」はまだ残っているようだが、人気女優が交際相手とされる実業家と決勝戦を観戦しに行ったとか、今回大活躍だった代表選手が女優と結婚したとか、どうもサッカーと関わりの薄いところで盛り上がっているように思える。

しかし一方では、今次の大会のおかげで、日本代表に名を連ねた選手達の「国際相場」が跳ね上がり、すでにヨーロッパで活躍している選手を中心に、ビッグクラブからのオファーがあった、という話題が次々に飛び込んできている。こちらは大いに正しいリアクションだと言える。

サッカー選手にとってワールドカップとは、国の名誉を背負って闘う場であると同時に、いや、おそらくはそれ以上に、自分の価値を世界のサッカー市場に向けてアピールできる「見本市」なのだ。もちろん現在では、インターネットなどで世界中の選手の活躍ぶりからプロフィールまで瞬時に知ることができるので、スカウト(本来は軍事用語で「偵察」のことだ)に要する労力は、だいぶ少なくなってきてはいる。

とは言え、世界中でTV観戦する何億もの人たちに活躍ぶりを印象づけた選手であれば、ビッグクラブがスターとして迎えたくなるのも理の当然であろう。集客力やグッズの売り上げへの貢献が期待できるからだ。さらに、現在は「戦術の見本市」になりつつあると言う人が増えてきている。

たとえば準優勝したクロアチアだが、「カテナチオの本場は今やクロアチア」と評されるようになって、かれこれ10年近いが、ついに結果が出た、というように。

▲写真 Team Croatia after the final match of the 2018 World Cup Photo by RIA Novosti(President of Russia)

どういうことか、順を追って説明しよう。カテナチオ、とはイタリア語で「金庫の鍵」を意味し、その名の通りイタリアで生み出された戦術だ。フィールドプレイヤー10名を、攻撃的な3人と守備的な7人に分け、相手が3人、5人と攻め上がってきても、こちらは7人で、それもゴール前に要塞を築いたかのような堅固な守備陣形をとって跳ね返す。そして相手に一瞬でも連携の乱れが生じたなら、すかさずカウンターを仕掛ける。うまく点が取れたなら、後はまた、ひたすら守る。「1−0で勝つのがもっとも美しい」というサッカー観を標榜し、セリエAというリーグに世界中からスター選手を集め、自由奔放なサッカーをしていながら、代表の試合ではカテナチオにこだわり続けていた。

ヨーロッパでは、国ごとに伝統的なサッカーのスタイルというものがあり、しばしばそれは国民性と二重写しに語られる、と前に述べた。したがって、口の悪いイングランドのサッカー・ファンなどは、「泥棒が多い国だから、フットボール選手まで鍵をかけたがるのさ」などと評したりしていた。本当のところは、アングロ・サクソンのイギリス人や北方ゲルマン(ドイツ、オランダなど)に対してフィジカルでは不利なイタリア人が、組織的な守備で互角にやりあえるようにと編み出した戦術であるらしいのだが。

クロアチアはと言えば、もともとユーゴスラビアの一部でイタリアと国境を接しており、サッカーでもイタリアから強い影響を受けていた。一方イタリアでは、21世紀に入ってポゼッション(ボール支配率)で相手を圧倒する攻撃サッカーが台頭してくると、カテナチオは時代遅れではないか、と考える人が増え、代表もパスワーク重視のサッカーへと徐々に舵を切ろうとした。これがうまく機能せず、今次の大会では出場を逃す(ヨーロッパ予選で敗退)憂き目を見たのである。これに対して、前述のように「今やカテナチオの本場」と評されるほど堅守からのカウンターという戦術に磨きをかけてきたクロアチアが結果を出したのだから、皮肉な話だ。

他にも、決勝トーナメントで日本、ブラジルを撃破したベルギーの「超高速カウンター」が好例だが、どうやらこれを機に、堅守速攻がサッカーの新たなトレンドとなって来るのかと思える。

もうひとつ、決勝戦はフランス対クロアチアという組み合わせになったわけだが、私は個人的に、イングランド対フランスという対決を是非とも見てみたかった。「サッカーの母国か、ワールドカップの母国か」という組み合わせで、こんな面白い対決は滅多にない。

まずサッカーの歴史を「超高速」で紹介すると、イングランドの農村青年の遊びから生じたフットボールが、やがてラグビーとサッカーへの分岐を経て定着するわけだが、その後イングランドが七つの海を支配する大英帝国となったことにより、ヨーロッパ大陸から中南米まで、貿易に従事する船員らによってサッカーが広められた。日本へは明治初期、東京の築地に置かれた海軍兵学寮(後に広島県江田島に移転し、兵学校と改称)に教官として招かれた、アーチボルト・ダグラス少佐以下、30名の海軍軍人によってサッカーが伝えられている。

▲写真 アーチボルト・ダグラス少佐 出典 パブリック・ドメイン

一方、これは前にも述べたことだが、サッカーの国際組織であるFIFAは1904年、パリで旗揚げされた。そして、3代目会長となったジュール・リメというフランス人が、ウルグアイ東方共和国の建国100周年を祝うイベントに相乗りする形で、初のサッカー世界選手権を実現させた。これが第1回ウルグアイ大会で、1930年のことである。選手全員の滞在費を負担してもよい、というウルグアイ政府からの申し出にリメが飛びついたとも、もともとリメのアイデアで事が運んだとも言われ、詳しい舞台裏は今も分かっていない。

▲写真 ジュール・リメ 出典:パブリック・ドメイン

当初の名称は「ジュール・リメ杯(サッカー)世界選手権大会」というもので、俗にワールドカップと呼ばれていたわけだが、1974年西ドイツ大会から、正式名称もFIFAワールドカップとなった。

……というわけで、歴史的にも因縁の深い「母国対決」は見られなかったが、別の意味で今次のワールドカップは面白かった。総人口わずか30万のアイスランドがヨーロッパ予選を突破して本大会初出場を果たしたし、準優勝したクロアチアにせよ、面積・人口ともに北海道を下回る

▲写真 クロアチア ドブロブニク旧市街 flickr: Travel-Picture

アジア勢でも、1次リーグを突破したのは日本だけだったが、韓国は最終戦でドイツを破る大金星を挙げたし、今やワールドカップは「ヨーロッパと南米の覇権争いの場(かつては、こう考えられていた)」ではない。

言い換えれば、日本代表が世界一の座に就くことだって、決して夢物語ではないのだ。

問題は、サッカー協会にそのような自覚と目的意識があるか否かだが、この話は次稿・シリーズ最終回であらためて問いかけさせていただこう。

トップ画像:France champion of the Football World Cup Russia 2018 Photo by Russian Presidential Press and Information Office


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."